膳所城跡の詳細

膳所城跡
なんとなく城跡巡り
ページの情報
記事タイトル 膳所城跡
概要

所在地:滋賀県大津市本丸町7別名:石鹿城、望湖城築城年:慶長6年(1601年)築城主:徳川家康廃城年:1870年城主:戸田氏・本多氏・菅沼氏・石川氏遺構:石垣、移築櫓・城門案内板:あり指定文化財:なし訪城日:2017年5月11日(木)曇所要時間:すぐ駐車場:無料駐車場慶長5年(1…… more 600年)関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった徳川家康は、翌、慶長6年(1601年)東海道の押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた。膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第1号である。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれた。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる。築城された年に大津城主戸田一西を3万石で入城させここに膳所藩が成立した。以後、譜代大名の居城となった。その子の氏鉄は元和3年(1617年)に摂津国尼崎藩に転封となった。代わって本多康俊が三河国西尾藩より入城。その子、俊次は元和7年(1621年)再び西尾へ転封となった。代わって、伊勢国長島藩より菅沼定芳が入城し寛永11年(1634年)丹波国亀山藩に転出。下総国佐倉藩より石川忠総が入城、子の憲之は慶安4年(1651年)に伊勢国亀山藩に転封となった。石川氏の後は再び西尾藩より本多俊次が7万石で入り、13代220年の間、本多氏の居城となり明治維新を迎えた。寛文2年(1662年)には地震があり建造物が倒壊した。このため俊次は城の大改修を行った。膳所城は湖沿岸に建造された城であるため、時間を経ると波による浸食に悩まされ続けることとなった。このため絶えず城の補修を余儀なくされ、これが藩の財政を逼迫させる一因となっていた。『膳所城wikiより抜粋』堀跡模擬門案内板本丸天守閣跡本丸跡にある城跡石碑模擬櫓?石垣膳所神社にある移築門(本丸表門)案内板膳所城跡へのアクセス close

膳所城跡
サイト名 なんとなく城跡巡り
タグ 滋賀県(城跡)
投稿日時 2017-05-16 01:20:06

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