館林城のなごり 城沼と水城の詳細

館林城のなごり 城沼と水城
城のなごり
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記事タイトル 館林城のなごり 城沼と水城
概要

<館林城跡>復元された三の丸の土橋門。手前が内側、門の向う側が正面です。堀があり、土橋がかかっていたことから土橋門と呼ばれたそうです。[歴史初期]築城には諸説ありますが、鎌倉時代からこの地を治めいた赤井氏により城が築かれたのが始まりと推定されています。越後の上杉謙信が関東に進出す…… more ると、赤井氏は争うことなく開城しました(この時に館林城主だった赤井文六は、小田原北条氏との関係から上杉謙信に従わず、攻め落とされたという説もあります)。上杉謙信の勢力下において、館林城は関東出陣の時の拠点となります。そして謙信亡きあと、諸々の攻防の末に(省略します)北条氏配下の城となりました。[小田原征伐の時] この天下の大戦の時には、北条氏規の城代・南条因幡守が館林城の守りを固めていました。そこへ秀吉から館林城と忍城攻撃を命じられた石田三成・大谷吉継・長束正家らの天下軍が到着。しかし三方を沼に囲まれた館林城はそう簡単に攻略されませんでした。苦戦が続き、三成は城沼に大木を投げ入れて道を造る策戦を思いつきます。実行されますが、沼の道は一晩のうちに沈んでしまいました(作戦失敗です)。結局、北条側から既に天下軍に下っていた氏勝(うじかつ)の説得により、和議開城となります。(このあと三成の軍勢は忍城へ向かい、水攻めを実施します)<城沼>これが館林城最大の防衛施設と言っても過言ではありません。今でも大きな沼ですが、昔はもっと水量があり、城の三方を囲んでいたそうです。土塁跡の位置からして、きっとそうだったのでしょう。館林城跡は都市化により遺構はわずかですが、土塁が確認できます。[戦国以降]江戸時代も城として存続。歴代城主には、後に五代将軍となる徳川綱吉(館林藩25万石の藩主として)も名を連ねます。江戸幕府にとって重要な場所だったのですね。廃城は廃藩置県の時になります。<城内の川>城沼へ繋がる鶴生田川。この季節「こいのぼりの里まつり」が開催されています。水城の名に相応しい城跡でした。[群馬県館林市城町] close

館林城のなごり 城沼と水城
サイト名 城のなごり
タグ ご連絡 城のなごり(関東)
投稿日時 2017-05-07 18:40:00

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