美濃 兼山城  長可に手向けられたような散りゆく千本桜の詳細

美濃 兼山城  長可に手向けられたような散りゆく千本桜
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 兼山城  長可に手向けられたような散りゆく千本桜
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美濃 兼山城(金山城) (岐阜県可児市兼山町古城・古城山) ≪国指定史跡≫ ≪続日本100名城≫東西南北、春のお花見城めぐり・ラスト第4弾の北は美濃・兼山城を訪ねます。(もう、世間はG.Wというのに・・、遅くなってしまったようです)本当にもう語るに尽くせない東美濃の要衝・兼山城。…… more どうせ語れないのですから小牧山城同様、あれやこれやというお口にチャックです。(本当は喋りたくて仕方ないのですが・・)桜に囲まれた兼山城を南方面から見ます。兼山城の南面中腹にはもう、それは見事な千本桜が咲き誇ります。毎年、「森蘭丸の里・美濃金山城 桜まつり」が開催され、以前から家族で花見に行きます。自分的には近所の手軽に行ける、ちょっと自慢の秘密花見スポット。山肌を埋める千本桜も「卍解(ばんかい)状態」、「散れ、千本桜!」(※)この桜をほぼ毎年散り始めに見に来ることが多いです。時々吹く強風にあおられて散り舞い上がる桜吹雪の美しさといったらありません。散りゆく桜に古城址見学、実に風情があります。※「卍解(ばんかい)」とは漫画『 BLEACH 』に登場する戦闘技術用語です。千本桜景厳「せんぼんざくらかげよし」は朽木白哉(くちきびゃくや)の斬魄刀(ざんばくとう)、「千本桜」の卍解形態。わかりやすく言えば、究極奥義みたいなもので・・。・・こういう話はどうでもよろしいか・・。  麓近くには、城攻めさながらの遊具もあり、お子様たちも(大の大人も・・)喜ぶこと請け合い!南方面・兼山小学校の向こうに広がる可児市の平野部。駐車場となっている出丸の石垣を見上げます。主郭から遠く西に張り出した独立郭の出丸です。ここの石垣は一部組み直されていますが、破壊された主郭部よりもよく残っています。兼山城内でもとても迫力のある石垣遺構の一つ、といえます。ここまで車で登ってこれますので案外、楽ちんな山城かもしれません。ここから歩いて主郭部に登って行きます。三の丸、二ノ丸を経て、大手桝形門へと進みます。三の丸から二ノ丸に入ると切岸が高くなります。方形の大手桝形門跡に到達します。この桝形門跡、広角レンズを装着しても全体が収まらないほどの立派な規模です。南に大きく張り出した南腰曲輪。随分整備されています。この南腰曲輪の東側法面には30メートルにも及ぶ腰巻石垣が残り素晴しいです。そしていよいよ本丸に登って行きます。・・とその前に東の腰曲輪進むのが本来の攻城ルートでしょうか。廃城感あふれる東腰曲輪から見る石垣群。崩れた石垣がそのままの状態で残っているようです。なんかこう、古城感を誘う、石垣フェチご用達のような空間です。しかし、奥の手が、まだまだありますから・・。(やはり喋りたくて仕方ありません)小天守に設けられていたとみられる穴蔵出口の遺構。この構造が犬山城の天守に似ている、という一因にもなりかつての金山城天守が犬山城に移築されたとの説もありました。しかし、そのような痕跡はないことが近年の調査でわかってしまいました・・。この説は結構皆さんも知ってみえるのではないでしょうか?解体された兼山城天守相当建築が木曽川で流し送られ、犬山城天守の骨組みとなった・・。なんて夢がある話か!と思っていたんですが・・。真実は真実ですから受け止めないとね・・。がっくり・・(´・_・`)。本丸に到着しましたが・・、うん?なんか以前と違う・・。 以前は写真のように天守台に鳥竜神社の本殿があったはずなんですが・・。ここでは本殿で手を合わせ、子供たちとお菓子をもって遊びに来たものです。多分、・・恐らくは建て替えられるんじゃないのかな、と思いますが。本丸より、北の八百津方面を直下に、飛騨街道方面を遠望します。こちら、美濃加茂方面、可児方面を遠望します。兼山城が東濃地区方面の要として飛騨・木曽からのルート上に位置していることが解ります。また木曽川を直下に抑えていることで河川交通の要所も兼ねています。木洩れ日にたたずむ金山城石碑。この城址碑の台座といい、このあたり周辺の地面に生える苔が石碑にとマッチしてます。本丸北西部の角部下にある石垣。一気に積み上げず、犬走を都合3段に挟んで積まれています。破壊されているとはいえ、見応えのある主郭石垣遺構だといえますね。近世への総石垣の発達段階過程を垣間見れる遺構だと思いました。隠れた見所、左近屋敷郭の石垣です。現在、主郭部から左近屋敷への散策ルートはできていません。よって、ここまで足を延ばす見学者はよほどの城好きの方かと思われます。城の東口を守る重要な郭であることは東端部の大堀切が物語っています。幅15メートル高さ8メートルにも及ぶ大堀切。堀底には城山林道が通され、旧状はわかりません。ただ、地形的には大きな鞍部となり、城域を区切るような大堀切がありました。恐らく、南北に竪堀となり、落とされていたと思われます。突然、ここで全く私事なのですが、自分は地元びいきもありますが兼山城といえば、城主の森可成以下、森可隆、森長可、乱丸らが大好きであります。皆、短い命を戦場で散らしてしまいますが、その散ざまに惹かれてしまうのかもしれません。特に森武蔵守長可、時に苛烈な仕打ちをもって鬼武蔵、と呼ばれていました。戦場で名馬「百段」に騎乗し、自ら十文字槍「人間無骨」を振り回して敵陣に突入する姿に加え、反抗する勢力には、人質さえも処断し、自領の与力部将たちにさえ容赦をしませんでした。誇り高い父を失い、憧れた勇気ある兄を失い、頼りとした弟たちを3人も失います。「鬼」にならなければ、一族・郎党を守ることはおろか、自身が戦場にて生き延びることすら叶わないことを彼は身に染みて感じていたはずです。本能寺の変後、信濃の北部から兼山城まで帰還するだけでも奇跡だったのにその勢いで東美濃全域を瞬く間に再平定をします、これは見逃せない手腕です。民政にも心を配り、川湊の兼山城城下町を発展させたのも彼の功績の一つです。古城山を木曽川方面より見上げます。雄大な山容です。小牧にて三河奇襲の別働隊として出陣する前の逸話です。「自分の娘は医者に嫁がせよ。決して武家には嫁がせるな」という遺言を残しています。本来は心根の優しい人物だったのかもしれませんね。過酷な戦国の世を渡った森一族に手向けられたような千本桜。その光輝くような咲き振りと吹雪のように舞う花びらに彼らを投影してしまいます。春のお花見城めぐり、今年はこれまでにしとうございます。 close

美濃 兼山城  長可に手向けられたような散りゆく千本桜
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 可児市の城めぐり
投稿日時 2017-05-07 11:20:03

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