北条方不落の名城「忍城」の詳細

北条方不落の名城「忍城」
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JUGEMテーマ:お城   みなさん、こんにちは。 なんとか今週を乗り切ったゆうりです。 次回の更新は、未知数ですが3連休に期待しましょう。   そんなゆうりが本日お届けするのは、 続日本100名城の21城目、   &nbsp…… more ;   No.118忍城です!   登城日は、令和4年7月下旬。 ゆうりの甲武城めぐりで訪れました。   立派な櫓です。 こちらは、忍城御三階櫓です。 行田市郷土博物館の一部として、復元されました。   こちらの博物館までは、最寄りの秩父鉄道行田市駅から徒歩15分ほど。 市街地を歩きます。 途中にある物産館のような場所でもスタンプを押すことができますが、 その地点でも駅からそこそこの距離があり、城跡が山奥というわけでもないため、 博物館が休館日の時以外は利用することが少なそうです。 お土産等を購入するには良いかもしれません。   並々ならぬ暑さに精神を持っていかれながら歩き続けると、     やっと見えてきました。 シンプルながら、見るだけでお城とわかる土塁! つきました!忍城の本丸跡地です。 丁度、下草を刈っているいるでしょうか、暑い中ご苦労様です。   この本丸に行田市郷土博物館があります。 堀の横を通り、目の前にあったバス停の時刻を確認して、本数の少なさを嘆きながら、入口へ行きます。     行田市郷土博物館です。 大通り沿いに入り口があるのでさほど迷うことは無いでしょう。   ちなみに、空が薄い青色をしているのですが、 この写真を撮影してすぐに雨が降り始め、奥の入り口に入るころに土砂降りの大雨になりました。 あと数分歩くのが遅かったら大惨事です。 作業していた方は大丈夫だったのでしょうか。   何はともあれ、館内に入ります。 館内は平成26年にリニューアルされたということで、とても綺麗です。 館内は、郷土博物館と銘打っているだけあり、忍城というよりも、行田市地域全体の展示があります。 もちろん、忍城に関するものも多くありますが、埼玉郡発祥の地としての誇り、足袋の街としてその名を知られた先人たちの思いを感じさせる展示の数々。 実に素晴らしいものばかりです。   この城は、成田氏によって築かれたとされています。 もともと、成田氏は鎌倉時代から続く御家人の名族です。 途中、鎌倉幕府の終焉や室町期の両上杉家の対立など何度も危機を迎えます。 そのなかで、主流が変わったり、養子が入ったりと数々の困難があったらしいです。   もともと、成田氏は隣の熊谷市の成田郷が本貫地です。 その成田氏がこの地域を手に入れたきっかけは室町期に両上杉氏の対立です。 延徳元(1489)年、成田親泰が忍氏を滅ぼし、この忍城のあった地域を手に入れます。 その後、この忍城を築城して、成田氏が領有してきました。   成田氏は、最終的に後北条氏に着きますが、古河公方足利氏、関東管領上杉氏、越後上杉氏(上杉謙信)など巨大な勢力の間を渡りつつ生き残り続けました。 この最終的についた後北条氏の時代におきたのが小田原攻めです。 この戦いでは、城主成田氏長(親泰の孫)が小田原城に籠城し、忍城には氏長の叔父成田泰季を城代として、甲斐姫をはじめとした成田氏一族が入ります。   忍城では、石田三成を筆頭に、佐竹氏、宇都宮氏など2万人もの軍勢を率いて忍城を攻めます。 この際、三成は、堤防を築いて水攻めを行いました。 備中高松城を彷彿とさせるような巨大な堤防を築いたとされていますが、 最近の研究では、自然堤防などを活用して、実際に築いたのは4キロメートルほどではないかとも言われています。 この水攻めですが、秀吉の意志で行われたもので、三成が忠実に実行していました。 しかし、忍城側の反撃により、なかなか思うようにいきませんでした。   そうしている間に、鉢形城、八王子城と主要なお城が開城する中、小田原城と忍城が残ります。 包囲している三成軍に焦りが見え始めます。 浅野長吉が力攻めをするも力及ばず。秀吉の強い意志のもと水攻めを継続することとなります。   ついには、小田原城も開城し、忍城だけになりました。 その忍城も、小田原城開城の8日後に、受け渡しがあり、ここに成田氏の城主時代は終わりました。 そのことから、忍城は最後まで残った不落の名城として有名になります。   その後の忍城は、松平家忠が城代として修繕し、家康四男松平忠吉(関ヶ原の戦いの後、清州城主)が入城します。 その後、松平信綱(島原の乱ののち川越城主)、阿部忠秋が入城します。 阿部氏は、幕末間近の1823年まで忍城にいますが、三方領地替えにより白河城へ移封されます。 最終的に桑名城から奥平松平氏が入城して明治維新を迎えました。   シンボルともいえる御三階櫓は、阿部氏の時代に作られました。 この復興櫓は、位置も規模も異なるそうですが、写真を基に復元された立派なものです。 もちろん、一枚目の写真にもついていた渡り廊下を通り櫓の中へ行けます。 櫓の中は近代行田市の歴史が数々展示してあります。 最上階へ行けば、     少し見えずらいですが、市街地を見ることができます。 一つだけ、言いたいことがあるとしたら、エアコンがない、もしくは不調ということくらいです。 とんでもなく暑い。 扇風機と全開の窓でなんとか頑張っていますが、暑いものは暑いです。 午前10時で猛暑日というこの暑さ。昔は〜などと言っている場合ではありません。 リニューアルしている本館が涼しかっただけあり、気温差がかなりきついです。   まあ、嘆いても仕方がないので、本館に戻ります。 そこで、古代の企画展示を見て、感動して入口へ戻ります。   あのワカタケル大王で有名な稲荷山古墳は行田市にあったのですね。 埼玉県のさきたま古墳群とは知っていましたが、行田市でした。 また、先史時代から数多の遺跡が存在しているということで、驚きを隠せません。 たしかに、利根川流域の湿地帯。 湿田がメインだった古代なら稲作が発展しそうです。   案内所でバスの時刻を聞くと、 なるほど、ちょうど良いバスは無いようです。 歩きましょう。次の駅まで。   博物館を出ると雨も止んでいました。 少し涼しくなったなか駅まで歩けると思い、意気揚々と写真を撮影していると、カメラの充電が切れました。 おかしい。昨夜の時点で三つ分の充電があったのに。 仕方がないので、スマートフォンで撮影します。     こちらは、どこの門か不明らしいですが、遺された遺構です。 雨上がりの石畳と左右の生垣のバランスが何とも美しい。 この門をあとにして、駅へ歩きましょう。   10時50分ごろ、お城を出発して持田駅に着いたのが11時5分を過ぎたころ。 とんでもない蒸し暑さでした。倒れるかと思うほどの汗が滴り落ちます。 雨のせいですね。 忍城に水は似合いますが、蒸し暑いのは勘弁してほしいものです。   ☆お城データ☆ 城所在地:埼玉県行田市 交通手段:秩父鉄道行田市駅から徒歩15分。時間によってはバスもある。 スタンプ:行田市郷土博物館   お城巡りランキング   次回は、いよいよ比企地方へ向かいたいと思います。 close

北条方不落の名城「忍城」
サイト名 ゆうりの世界
タグ 続日本100名城
投稿日時 2022-09-11 00:40:05

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