中世武蔵の中心地「川越城」の詳細

中世武蔵の中心地「川越城」
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記事タイトル 中世武蔵の中心地「川越城」
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JUGEMテーマ:お城   みなさん、こんにちは。 いよいよ夏の閑散期が終わり、秋の大繁忙期がはじまったゆうりです。 なんとか、月数回更新を続けていきたいと思いますが、 すべては体力と感染症次第です。   そんなゆうりが本日お届けするのは、 …… more 日本100名城の68城目、       No.19川越城です。   登城日は、令和4年7月下旬。 ゆうりの甲武城めぐりで訪れました。   写真は、本丸御殿です。 この本丸御殿の一部が現存しているお城は、この川越城の他は、高知城、二条城、掛川城のみという貴重なものです。 訪れた曜日が月曜日ということで、川越市立博物館とともに閉まっていました。 仕事休みの日程上致し方ないこと。   8時台なのに暑すぎる中、時の鐘から15分ほど歩いてきました。 駅から通算で30分以上歩くことになります。バスが出ているので、バスの方が身のためです。   ここから、富士見櫓を目指して歩きます。 三芳野神社を過ぎて、住宅地をのんびり歩くこと15分ほど。     川越城富士見櫓跡です。 現在は、小高い山になっています。 登れそうなので、登ってみます。 暑すぎて半端ないですが、木々の中ならましでしょう。     途中、神社がありました。 御嶽神社とかかれていました。 なかなか、フォトジェニックです。   その先も行けそうですが、途中で行き止まり。 城跡に木々が生い茂るのは、よくあることですし、自然に還っていくようで構わないのですが、 木の成長具合と櫓の跡地がアンバランスすぎると崩れそうで怖いものがあります。 原因は分かりませんが、危険だから、立ち入り禁止らしいです。   川越城は、この富士見櫓が天守の代わりをしていたようです。 たしかに、この近辺では一番高いところにあります。 そこから途中、川越氷川神社に寄りながら、市役所を目指します。   道中、     中ノ門堀がありました。 少しぶれてしまいましたが、門の奥には遺構が少し見えています。 道路の反対側にあったため、この写真しか撮れませんでした。 9時をまわったばかりなのに異常な暑さのため、横断歩道のある場所まで大きく迂回する力は残されていませんでした。   ここから歩くこと数分。     川越市役所に着きました。 月曜日は、ここの観光課にスタンプがあります。 ちなみに、銅像は太田道灌さんです。     この川越城は比企地方のある台地の端に位置しています。 この地に目を付けたのは、室町期の関東混乱期に生きた扇谷上杉氏です。 当時、古河公方足利成氏と対峙していた上杉持朝です。   この時代の関東地方は、足利氏(古河、伊豆、小弓)と上杉氏(山内、扇谷、深谷)がそれぞれ分かれて争っている時代でした。それに付随して、長尾氏、佐竹氏、宇都宮氏、結城氏、千葉氏など、有力な一族内で争っていました。お互いがお互いをけん制し、泥沼のような時代です。その一族の混乱をうまくまとめられたか否かが戦国時代を生き残れるかどうか重要なポイントでした。   この時代の中で、大きな影響力をもっていた存在が、扇谷上杉氏、その配下の太田道灌です。 彼は、父の太田道真とともに川越城を築城します。さらに太田氏は、江戸城を築城し、その地を守護しました。 川越城と江戸城は街道で結ばれ、その上杉、太田の両氏で混乱の関東に一大勢力を築きました。   扇谷上杉氏は、太田道灌が築城した川越城を武蔵国の中心としてこの地をおさめ、古河公方足利氏、山内上杉氏ともこの地で対峙し続けました。   また、関東において今川氏の家臣という立場から子の代で自立し、破竹の勢いで勢力を拡大した後北条(伊勢)氏との争いでも最前線に立つことになります。 川越城を狙う後北条氏二代目北条氏綱との争いです。 古河公方とも血縁関係をむすび、武蔵国を次々に勢力下においていった北条氏綱は、天文6(1537)年に川越城を占領します。しかし、天文10(1541)年、その生涯を終えました。   跡を継いだのが北条氏康です。 世代交代の混乱に乗じて、両上杉氏が攻勢を仕掛けますが撃退。 駿河の領地をめぐって敵対していた今川義元との和睦にも応じず、北条包囲網をつくられてしまいます。 北条氏康の名を世に広めたのが、この時の戦、川越夜戦です。   1545年。川越城を扇谷上杉氏、山内上杉氏、古河公方足利氏に半年ほど包囲されます。 北条氏康は、この包囲網を破り撃退します。 子の結果、扇谷上杉氏上杉朝定が討たれ滅亡、山内上杉氏上杉憲政は上野国のち越後国へ、古河公方足利氏足利晴氏は隠居するなど、関東の覇権は後北条氏に大きく傾きました。   そんな真偽は分かりませんが、歴史的舞台となった川越城は、後北条氏の有力な支城として豊臣政権との戦いに臨むことになります。結果は、ご存じの通り。川越城は関東移封となった徳川家の支城となりました。   川越城には、1万石で酒井重忠が入城します。 その後、譜代、親藩が入れ替わり入城しました。 佐倉城の次に老中を輩出したとんでもないお城です。   言い換えれば、老中に抜擢されるほど、信頼のある家、人物が城主を任されたのでしょう。 江戸城との関係は、主従は入れ替わったにせよ上杉太田氏時代から変わらない、重要な間柄だったのでしょう。   川越市役所で涼んだのち、次の目的へ行くために猛暑に中に身を投じます。 暑い。 しかし、行かねばならない。 いざ、江戸(東京)へ!   ☆お城データ☆ 城所在地:埼玉県川越市 交通手段:JR川越駅からバス スタンプ:川越市立博物館(休館日は川越市役所)   お城巡りランキング     では、また次回。 close

中世武蔵の中心地「川越城」
サイト名 ゆうりの世界
タグ 日本100名城
投稿日時 2022-09-04 00:20:04

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