第436回:岡崎城(徳川家康誕生の城として知られる名城)の詳細

第436回:岡崎城(徳川家康誕生の城として知られる名城)
こにるのお城訪問記
ページの情報
記事タイトル 第436回:岡崎城(徳川家康誕生の城として知られる名城)
概要

訪問日:2021年11月岡崎城は愛知県岡崎市にあったお城です。市史跡に指定され日本100名城に選定されています。前身となる城は現在地より南の明大寺にあり15世紀前半に三河国守護職にあった仁木氏の守護代であった西郷稠頼(さいごうつぎより)によって築城されたとされます。 西郷信貞が当…… more 主の時代の1524年に徳川家康の祖父に当たる松平清康により攻略され岡崎は松平氏の本拠地となりました。その後,1531年頃に現在地に移され本格的な城郭へと変わっていきました。1535年に清康が家臣に殺害されると子の松平広忠が跡を継ぎ1542年に竹千代こと後の徳川家康がこの城で生まれています。その後の家康の苦難の歴史は語りつくされていますが,織田氏,今川氏で人質生活を送った家康が今川氏より独立しこの岡崎城に復帰するのは1560年 桶狭間の戦いで今川義元が敗死した後になります。1570年に家康が浜松城に本拠地を移した後は子の松平信康が城主となりましたが織田信長に謀反の疑いを掛けられ切腹させられました。徳川の重臣が守っていましたが,豊臣秀吉政権下で家康が関東に移ると田中吉政が城主となり惣構えが整備されより大規模な城郭へと発展しました。江戸時代に入り徳川政権となるとこの城は神君出生の城となり本多氏や水野氏等の譜代重臣が明治維新まで治めることになりました。  ◆現在,岡崎城は岡崎公園として整備されておえい,駐車場から公園に入ると目に付くのが写真の東隅櫓です。手前の広場は菅生曲輪(すごうくるわ)であった場所で,一段上の東曲輪に木造で再建されたものです。◆敵は東隅櫓の下のこの狭い南切通しを進まなければなりません。  ◆東曲輪腰巻石垣は発掘調査で見つかった二段の石垣で下段は菅生曲輪と東曲輪の間にあった堀に面していたそうです。◆東曲輪に上がり東隅櫓の内側に来ています。現地にあった案内板,左側の駐車場よりアクセスしました。城域の中心部は公園化されて残っていますが,大部分は市街地に埋没しています。  ◆本来の場所とは違うのですが二の丸の東北側に大手門が復元されています。元の場所はもう少し北東の国道1号線のあたりのはずです。◆大手門の前の堀もわずかながら再現しています。  ◆公園化された二の丸。当時は御殿などがあり居住区となっていました。◆二の丸に残る井戸。城内に4基残る井戸の一つでこれは厩のものと考えられています。  ◆二の丸の三河武士のやかた家康館では家康や三河武士に関する展示があります。◆二の丸にあった本多平八郎忠勝像。 徳川四天王,徳川軍団随一の武勇を誇ったことで知られる名将です。  ◆能を愛したとされる家康にちなんで建てられた二の丸能楽堂。実際に古典芸能が演じられています。◆持仏堂曲輪の切岸と堀。中世城郭の雰囲気も残しますね。  ◆持仏堂曲輪の堀が続きます。◆持仏堂曲輪腰巻石垣は江戸時代前期のもので隅部は算木積みとなっています。  ◆坂谷曲輪(さかたにくるわ)に残る産湯の井戸。 家康が誕生した時に子の井戸から産湯を汲んだと言われています。◆中心部の西側を直線的に伸びる坂谷曲輪。  ◆本丸の西を守った坂谷門跡。本来は門の前に丸馬出があったようです。◆坂谷曲輪を南に進むとある胞衣塚(えなづか)。家康の胎盤を埋めたと伝わります。  ◆江戸時代前期に造られたとされる本丸埋門北袖石垣は高さ10mを超える巨大なものです。◆本丸埋門跡。 4か所ある本丸の虎口の内,西側にあった門跡です。  ◆本丸の天守に到着。古写真をもとに井戸櫓,付櫓とともに1959年に鉄筋コンクリートで復興されています。◆天守一階に展示された旧天守心柱礎石。  ◆天守よりの眺望。◆本丸にある龍城神社(たつきじんじゃ)。西郷稠頼が岡崎に入った時に龍神が現れて城の守護神となることを約束して以来この龍神を祀っていると伝わります。岡崎城の別名は龍城です。  ◆清海堀は本丸の北面を遮断する深い空堀で西郷氏時代からあったとされます。名称も西郷頼嗣の号である清海入道にちなんでいます。◆二の丸と持仏堂曲輪の間にある太鼓門跡。  ◆持仏堂曲輪から見る本丸。天守や本丸周辺の石垣は豊臣政権下の田中吉政時代より大規模な近世城郭に発展し行く過程で造り上げられていったものです。 家康と竹千代(幼名)の小さい像がありますね。◆二の丸に戻ってきました。徳川家康像。  ◆本丸南東隅に再建された辰巳櫓と石垣。櫓台の石垣は城内でも非常に完成度の高い算木積みを見ることができます。◆本丸南側に広がる内堀(龍城堀)と神橋。  ◆本丸を取り囲む帯曲輪は風呂谷曲輪と呼ばれています。◆城の南を流れる菅生川端に築かれた石垣は城の外郭を固めていました。田中吉政により近世城郭化以降の最盛期には惣構えをもち東西南北1km以上あった広大城域ですが,三の丸や惣構え遺構は市街地に埋没しています。現在の公園部分(赤丸)がほんの一部分であることがわかります。  ◆城の北にある御旗公園にはこの城にとっての中興の祖言うべき田中吉政の銅像があり,コロナ禍でマスクさせられてました。◆丁度,この公園の場所は当時の惣堀が流れていた場所と一致します。最終的な戦国時代の覇者であり260年にわたる江戸幕府の祖となった徳川家康を知らない日本人はいないと思います。岡崎城とともに岡崎の誇りであり続けることでしょう。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第436回:岡崎城(徳川家康誕生の城として知られる名城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 愛知県の城郭
投稿日時 2022-08-27 15:00:03

「第436回:岡崎城(徳川家康誕生の城として知られる名城)」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;