西城 埼玉県熊谷市の詳細

西城 埼玉県熊谷市
古城巡り2015
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記事タイトル 西城 埼玉県熊谷市
概要

西城@Google長井斎藤氏の祖となった実遠は、藤原伊尹(これただ)の一族・幡羅太郎道宗の息・(藤原)助高が、源家所有の旧・妻沼町西城に築いた、西城(長井城)に入城したと伝わっている。一方、幡羅太郎道宗が、幡羅郡に土着して構えた居館だとの説もあるが、真偽は定かではない。なお、助高…… more はこの西城を築くとともに、東の守りとしてとしての砦も築いており、以来、里人は西城を本丸、砦を東城と呼び、これが地名の由来となったと伝わる。また、斎藤実遠が長井庄守護として西城に入ったことで、西城城主・助高は、太田庄・成田郷(熊谷市成田)に居を移し、成田氏の祖となり、その十一代目・親泰は、長井斎藤氏十六代・実治の娘を娶り、忍城に移住している。時代は下り、藤原助高や斎藤実遠が拠点とした妻沼・西城の地は、後世の土地改良・区画整理などにより、今ではのどかな田園地帯と化している。しかし、往古は、北東に福川、南は入胎堀と長安寺沼が広がる湿地帯であり、さらに、周囲を長安寺遺跡、鵜森・入胎遺跡、切通遺跡などに囲まれている史実から、この辺りが縄文時代から開けた土地として、早くから人々の生活が営まれて来たと同時に、長井庄の要害の地であったことが窺えるのである。但し、斎藤実遠から三代目の実盛が、長井庄の別当となった後、領内支配に適した首邑(しゅゆう)の地として、館を西野郷に移したとの説や、初代・実遠が大我井の地に移した、との説もあり、真偽は定かではない西城本丸跡の碑長井斎藤十五代目・利家の時代には、再び拠点を西城に移しており、これは、改めて戦国期における戦乱に耐えうる要衝の地として考え直されたものと思われる。しかし、文明十二年(1480)、「長尾景春の乱」で鉢形城を落とされ、敗走する影春をった西城は、太田道灌の猛攻により落城し、実遠の長井庄士拝命以来、約四百二十年続いた斎藤氏による長井庄支配が終わり、斎藤一族は長井庄から離散している。現在の西城周辺からは、五百年前の攻防を窺わせる面影はなく、豊かな田園地帯が広がるのみである。今では西城や東城の跡地周辺には、中世の面影を偲ぶべくもないが、平成十年には西城本丸比定地に、妻沼郷発祥の栄光を後世に伝えるためとして、本丸跡記念碑が建てられている。 close

西城 埼玉県熊谷市
サイト名 古城巡り2015
タグ その他 埼玉県
投稿日時 2022-08-26 01:20:03

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