江戸を守る直轄地「甲府城」の詳細

江戸を守る直轄地「甲府城」
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記事タイトル 江戸を守る直轄地「甲府城」
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JUGEMテーマ:お城   みなさんこんにちは。 夏の終わりをかみしめているゆうりです。 本日より、ゆうりの甲武城めぐりでめぐったお城についてお届けしたいと思います。 今回は、その第一弾です。   というわけで、日本100名城の66城目、 &…… more nbsp;     No.25甲府城です!   登城日は令和4年7月下旬 ゆうりの甲武城めぐりで訪れました。   とても立派な櫓です。 こちらは、稲荷櫓と呼ばれている櫓です。 平成16年に復元されました。 中央本線を新宿方面からくると、進行方向左手に見ることができます。   この甲府城は、現在舞鶴城公園として整備されています。 甲府駅の半分ほどが、甲府城の一部を活用して作られたことから、駅からとても近いです。 駅の南口を出て、東へ進みます。 武田信玄像とは反対方向です。   すると、身延線のホームと線路を跨ぐ鉄橋が見えてきます。 その鉄橋への階段を登れは、     このように、現在、舞鶴城公園として整備されている甲府城が見えてきます。 見えている門が、内松蔭門です。 道路側が、屋形曲輪。門の内側が二の丸になります。 この門から入っていきましょう。   この門から二の丸に入り、一段高くなっている本丸を目指します。 石の階段と、細い道を歩きます。 よくあるお城の道です。 数分で、銅門跡を通って本丸にたどり着きます。     奥に立っている塔は、大正期に建てられた謝恩塔です。 また、その横にある門が、     平成25年に復元された鉄門です。 中を見学できるようになっており、甲府城についての展示があります。   その鉄門の反対側には、   立派な天守台がそびえています。 多種多様な石を用いて、石垣が造られています。 この石垣をよく観察すると、大きな石を割ったものや、採掘跡も見ることができます。   こちらの天守台を登ると、     甲府の街並みを一望できます。 この写真は、東側です。 ちょうど、線路が微妙に見えていると思います。 こちらは、稲荷曲輪と呼ばれる曲輪で、、その名の通り、庄城稲荷と呼ばれる稲荷神社が鎮座していた曲輪です。 奥の一段下がっている場所が数寄屋曲輪、右側少し見切れているところに稲荷曲輪門があります。   他にも、北を見たら、要害山城方面。 南を見たら、鍛冶曲輪や甲府市街地、富士山方面。 西を見たら、甲府駅が見えます。   景色を堪能したら、天守台から稲荷櫓を目指します。 といっても、天守台の北にある道をまっすぐ進むと、一枚目の写真。 復元された稲荷櫓です。 この場所にスタンプが設置されています。 他にも、公園管理事務所で押すことができますが、せっかくだからここで押したいところ。 また、甲府城に関する展示も豊富で、史料もいくつか手に入れることができます。   そもそも、この甲府城は、中世、一条小山と呼ばれていました。 甲斐源氏の一条氏の館だったと言われています。 室町後期に武田氏が台頭すると、甲府城北部にある躑躅ヶ崎が甲斐の中心となり、この場所は城下の南部に位置するようになりました。   そのまま、戦国時代の幕が開き、甲斐武田氏の滅亡、本能寺の変を経て、徳川家康が甲斐国を治めることとなります。 彼の時代に、甲府城が造られ始めたのではないかと言われていますが、諸説あります。 豊臣政権の時代に、徳川家康の城代としてこの地をおさめた平岩親吉の時代に築城を開始したのではないかと言われたり、徳川家康の関東移封後の豊臣秀勝、加藤光泰が城主となった際に築城を進めたのではないかと言われたりしています。 少なくとも、浅野長政、幸長の時代に完成したと考えられています。 その時の甲府城の役割は、徳川家に対する前線基地といった役割でした。   浅野氏の時代も長くは続かず、関ヶ原の戦い後、7年ほどで和歌山城へ移封となりました。 その後、この地には、徳川義直(のちの名古屋城主、尾張名古屋藩初代藩主)、徳川忠直(家光弟、後切腹)、徳川綱重(家光次男)、徳川綱豊(綱重の子、後の6代将軍家宣)など徳川家の一門が、幕府在番時代を挟みながら城主を務めました。江戸を守る重要な地として甲府城は位置していたのです。   甲府の地を一躍発展されたのは、徳川綱豊が5代将軍綱吉の養子となった際に、甲府城の城主となった柳沢吉保です。 武田氏ゆかりの一族、側用人として幕政に関わった彼が、甲府城の改修、城下町の整備を行いました。 その後、子の柳沢吉里の時代に大和郡山城へ移封となるまで、甲府城の発展に寄与しました。   柳沢氏のあとは、幕府直轄の甲府勤番により治められます。 再度、この地が歴史の表舞台に登場するのは戊辰戦争でしょう。 新選組率いる幕府軍が、板垣退助率いる明治政府軍と衝突した戦いです。 幕府軍の遅れもあり、甲府城は板垣退助が先に接収してしまい、江戸が包囲されることとなりました。 この時、板垣退助は、乾退助から武田氏にゆかりがある名字である板垣に復姓しています。   そのまま、このお城は明治期に廃城となりました。   甲府城は、築城時から廃城まで江戸に対して大切な役割を仰せつかったお城だったのです。   時間は、すでに13時を超えています。 一時間ほど、このお城で過ごしたことになります。 稲荷櫓から、まっすぐ稲荷曲輪を歩むと、最初にみた内松蔭門の左手の坂道に出ます。   さぁ、ここから歩いて数分の甲府駅北口へ行きましょう。 この甲府駅北口バスロータリーには、甲府城の遺構が発掘されています。 清水曲輪と呼ばれる曲輪がありました。 その石垣が、バスロータリーの東側に見つかったのです。   それも含めて、次回お届けしたいと思います。   ☆お城データ☆ 城所在地:山梨県甲府市 交通手段:JR甲府駅駅から徒歩すぐ スタンプ:甲府城稲荷櫓   お城巡りランキング   close

江戸を守る直轄地「甲府城」
サイト名 ゆうりの世界
タグ 日本100名城
投稿日時 2022-08-25 04:40:14

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