名護屋城(佐賀県)の詳細

名護屋城(佐賀県)
むぎの城さんぽ
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記事タイトル 名護屋城(佐賀県)
概要

【名護屋城】なごやじょう 【別名】― 【構造】平山城 【築城者】豊臣秀吉 【築城年代】1592年(天正20年) 【指定史跡】国指定史跡 【場所】唐津市鎮西町名護屋 地図 【スタンプ設置場所】佐賀県立名護屋城博物館 【御城印】佐賀県立名護屋城博物館 【攻城団チラシ】鎮西町観光案内所…… more ・唐津駅観光案内所 豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に拠点として築いたのが名護屋城です。 当時の大坂城に次ぐ規模ながら、たった5ヶ月で築城し、全国の大名の陣が周辺に置かれました。 150以上とも云われる大名の陣には20万人もの人口で城下町が構成され大変賑わいました。 1592年(文禄元年)の朝鮮侵攻から秀吉の病死により撤退するまでの7年間戦いは続き、 名護屋城の役割を終えると、名古屋城は取り壊し、唐津城の資材となりました。 駐車場 一番近い、信号名「大手門」のから入る駐車場を利用しました。 駐車場からまずは名護屋城博物館を目指します。 大手口前井戸 駐車場から歩き始めて間も無く道下に井戸跡があります。 名護屋城博物館 ここでは日本100名城のスタンプと御城印をゲット! もう夕方だったので閉館になる前に博物館を見学してから城址を散策することにしました。 常設展示 常設展示は朝鮮半島との交流の様子と名護屋城築城と周辺の陣など 古代から現代までの歴史をテーマごとに展示しています。 安宅船 「肥前名護屋城図屏風」に描かれたものを再現しています。 日本の船らしいというか、船に矢倉が載ってます。 そして現代ではエンジンで動く船が当たり前ですが、 この時代は50人から200人くらいの手漕ぎの船というからこれも凄い! 黄金の茶室 秀吉が名護屋城で披露した「黄金の茶室」を16500枚の金箔を使い5500万円かけて復元したものです。 黄金の茶室の復元て、大坂城の西の丸庭園でも見ましたがそれとは違うようですね。 意外にあったりしますね。 観光案内所 さて、日が暮れてしまう前にこの広い城址を見学してこなくては! ゆっくり散策したいところですが、先を急ぎましょう。 大手口 正面にあるのが五つある虎口のひとつで大手口があった場所です。 大手道 大手口から東出丸まで約100mの直線の道で出来てます。 大手口は石垣があるものの、門に扉があったという跡がみつかっておらず 正面ながら開放的な門であったと今のところは考えられています。 東出丸の虎口です。 東出丸 右手の石垣は櫓台で、ここは大手口や三の丸を警護するための詰め所があったと考えられています。 ここではきっちり大手道を見下ろせる構造が分かります。 大手口の開放的な門の見張りはここでカバーしていたのかも。 三の丸虎口 三の丸の虎口です。 ここにも門跡が発掘調査でみつかっています。 三の丸 本丸の東の下段にあるのが三の丸です。 櫓台や多門櫓、それらを繋ぐ塀で囲まれた郭がありました。 三の丸井戸 築城当時のままと思われる井戸です。 現在は浅くなってしまっていますが、水の湧く位置まで掘っていると考えれば かなり深いものであったのではないかと推定されていますが定かではありません。 本丸大手口 L字に曲がった階段を登ればいよいよ本丸です。 ここには伊達政宗が仙台城大手に移築したと言われる門がありました。 その移築門は第二次世界大戦までは現存していたのですが、残念なことに空襲で焼失してしまいました。 しかし、九州から仙台まで運んで来るなんてよほどその門が気に入ったのでしょうか。 別の理由があったにせよ、その労力を考えると凄いですよね。 本丸 本丸に到着しました! とにかく広いです。 本丸御殿跡図 下を見て歩くと御殿などの建物跡のあった場所が示されています。 青木月斗句碑 「太閤が睨みし海の霞かな」 石碑に刻まれたこの句は、1933年(昭和8年)にここを訪れた青木月斗が詠んだものです。 天守台 ここからの眺めが最高です! 天気によっては遠くに対馬も望むことが出来ます。 5層7階の天守があった場所です。 地上6階、地下1階で石垣から約30m弱の高さがありました。 唐津城が建てられる頃には石垣までも完全に破却されてしまったようです。 名護屋城を取り巻く各地の大名の陣が見渡せます。 時間があれば全部の陣を巡って見たいものです。 遊撃丸 1593年(文禄2年)に明国の遊撃将軍(講和使節)が滞在し、 もてなしを受けたことからこの名が付いたと伝わります。 本丸多門櫓跡 屏風絵にも描かれている長屋状に造られていた櫓で、武器や食料の倉庫として使われていました。 芝生に丸石がゴロゴロしている部分が旧石垣、色の変わった部分から外側が拡張され多門櫓があった場所です。 本丸が一回り大きくなったということですが、なぜこのように広げる必要があったのか謎です。 本丸旧石垣跡 本丸ははっきりしたことはわかりませんが、築城後に何らかの理由で拡張されています。 その時にこの石垣ごと埋められ、この石垣より外側に本丸が広げられています。 そのことがわかるように築城当時の石垣が露出されているので、ぜひご覧あれ。 本丸新石垣櫓台 こちらは拡張された場所に造られた櫓台跡です。 櫓の周囲の通路にも玉石が敷かれていましたが、現在は保存のため埋め戻されています。 馬場 馬場を上から覗き込んでいるこの場所の下に、10mほどの高い石垣が眠っているようです。 拡張の際に石垣ごとそのまま埋められているので、見ることはできないものの、 旧石垣が保存されているということになります。 そして、後から築かれた石垣は御覧の通り破却されています。 一旦三の丸へ戻って、本丸北側へ下ってみましょう。 水手通路 本丸北側へ下り、水手曲輪方面へ廻り込んで来ました。 舗装路の方は現代の道で、石垣の沿いを通るのがかつての通路です。 舗装路と違って道は角々と曲げられています。 水手曲輪 城内に井戸を掘ってみたのですが水不足のためここに貯水池を造り 雨水を貯めて使用していました。 正面、天守台跡を見ながら真っすぐ遊撃丸へと進みます。 遊撃丸 先ほど本丸から見下ろした遊撃丸の内部です。 正面が天守台で、右側の石垣と真ん中のこんもりした土塁との間(虎口)に 門が設置されていたと推定されています。 二の丸 遊撃丸から二ノ丸へやって来ました。 本丸から見下ろしたとおりにとても広い曲輪です。 二ノ丸合坂 石垣や土塁の上に登るための石段が数か所設置されています。 雁木?と思ったのですが、ここでは「合坂」と呼ばれています。 これがあることによって、兵の移動が容易になっていたようですが、破壊されていたものを 現在はきれいに修復、このように展示されています。 二の丸長屋建物跡 発掘調査により、この掘立柱建物跡は名護屋城があった時代のものと判明。 建物は3棟あり、2棟の長屋は四つの部屋に区切られ、 築城時の仮設住宅?などまだどのように使われていたのか解かっていないことが多い。 こうやって見ると、二の丸かなり広い。 弾正丸 二の丸より一段高く、搦手の玄関口になっている弾正丸へやって来ました。 ここは、秀吉の正室ねねが出た浅野家が守備する曲輪で、浅野長政の官位が弾正少弼だったため 名付けられた曲輪です。 搦手口 大手口と違って、城の守りを固めるため喰い違い虎口になっています。 縁者となる浅野長政が守備を任されるという重要な虎口は敵の侵入を防ぐだけでなく いざとなったらここから秀吉を逃がすという重要な役目も担っていたことも推測されています。 南側の石垣 当時は長く高い石垣がこの斜面を覆っていたのでしょう。 馬場下の石垣は破却され、石垣がV字に崩されているのが分かります。 上山里丸 現在の広沢寺の下段にあり、秀吉の居館や「草庵茶室」があった場所と推定されています。 能舞台や庭園なども備わっていたという。 山里口 上山里丸に通じる虎口で、こちらは積み直しはされていますがしっかり石垣が残っています。 破却が免れたこともあって、綺麗に修復されています。 大手口に相当する重要な場所だけに、二重の食違虎口で厳重にガードしている様子が分かります。 堀 鯱鉾池から続く堀です。 正面には台所丸があり、その奥には殿町が続きます。 大野治長陣跡 名護屋城周辺には130ヶ所とも言われる全国から集まった諸将の陣屋跡が点在しています。 どこを向いても名立たる戦国武将の陣跡といった様子がちょっと周辺を周っただけで実感できます。 海の見える眺めの良い綺麗な城で、めちゃめちゃ良い場所だなあ、こんなところに 家が建てられたら最高だよなあと思いつつも、ここからは過酷な戦闘の拠点になっていたことに 何ともいえない複雑な気持ちが込み上げて来ました。 日本の戦国武将のオールスターがここに集結し、ここから海の向こうまで戦いに行っていたのかと思うと 何だか自分の小ささと、昔の人の大胆な発想といろいろ考えさせられました。 令和4年5月1日登城 日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)日本城郭協会,福代徹学研プラス ウッディジョー 1/100 安宅船 木製模型 組み立てキット完成サイズ:全長490mm、全幅141mm(艪取付時約230mm)、全高310mm(船台含む)ウッディジョー(Woody JOE) close

名護屋城(佐賀県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 百名城
投稿日時 2022-08-03 14:40:22

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