現存天守と高石垣「丸亀城」の詳細

現存天守と高石垣「丸亀城」
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記事タイトル 現存天守と高石垣「丸亀城」
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JUGEMテーマ:お城   みなさん、こんにちは。 感染状況によっては、お盆の旅行が消されるのではないかと戦々恐々のゆうりです。 だれから規制されるというよりも、自らが感染する恐怖です。 普段なら良い(よくない)のですが、旅行前は勘弁してほしいもの。 &n…… more bsp; そんなゆうりが本日お届けするのは、 日本100名城の63城目、       No.78丸亀城です!   登城日は平成30年3月下旬です。 東四国と飛鳥をめぐる旅で訪れました。   久しぶりの日本100名城を記事にしました。 繁忙期が重なるとあら大変。積み残しが増えていきます。   そんな積み残したひとつが、東四国と飛鳥をめぐる旅でした。 本日は、その丸亀城です。 かの有名な現存天守の一角です。 弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、松山城、宇和島城、高知城そして丸亀城。 今回で、記事にしていないお城も犬山城を残すのみとなりました。 もちろん、訪れているので、あとは記事にするだけです。   さて、そんな丸亀城は、四国の中ほどなります。 岡山駅から特急に乗って一本。丸亀駅を出発します。   速足で歩いて10分ちょっと。 のんびり歩くと20分ほどを見た方が良いかもしれません。 お城は、駅からよく見えます。 とても目立っていますから。   がんばって歩くと、     このように、山の山頂に見えるお城を仰ぎ見ることができます。 典型的な平山城です。 よく言われたことですが、この高さは、攻めたくありません。   しかし、何とも言えないくらい美しい石垣です。 あれだけの石垣をよく積み上げたものです。 石垣と言ったら、伊賀上野城も有名ですが、この石垣の重厚感は並外れたものがあります。   さぁ、お城を堪能しに行きましょう。 まず、お出迎えするのが、大手門です。     大手門を超えて、後ろを振り返ると、この景色。 内側の軒は広くなっています。 やはり飛んでくる矢を避ける目的があるのか、たまたまなのか。 こちらも重要文化財に指定されています。   ここから、ひたすら山を登ります。 軽い登山です。     三の丸から振り返ってみました。 瀬戸内海がきれいに見えます。   絶景と言ったら、     天守に向かう途中で讃岐富士を一望できます。 桜の枝が入り込んでいますが、気にしないでください。 当時は、うまく映らないかと苦戦していたのですが、今思えば、構図が美しくありません。 もう少し写真の撮り方でも勉強してみたいものです。   讃岐富士をながめたら、いよいよ天守です。 写真は1枚目のあの写真です。 こちらは、桜が比較的おとなしく映っています。 三月下旬は開花したころでした。   いよいよ天守に登ります。 散策しながら登ってきたら、ここまで20分かかりました。 少し時間をかけすぎました。   天守は現存天守ということで土足厳禁。 靴を履き替えて中にはいります。 頂上まで行くと、     うっすらと瀬戸大橋が見えました。 良い眺めです。 瀬戸内海が良く見えるということは、瀬戸内海を守るお城のひとつであったということでしょう。   この丸亀城は、 室町時代に砦があったとされています。 当時は、山があったら砦をつくるような時代ですから(失礼)、この山にもお城が造られたのでしょう。 当時のお城は、領主の防衛の拠点であり、領民の避難所でもあったという記録も残っています。 戦地にいたら、どうなるか分かりませんから。 このお城がどのような目的で、どのような役割を果たしたのか分かりませんが、 戦国時代の戦乱に巻き込まれていったのでしょう。   この地にこのようなお城が造られたのは織豊期です。 四国を統一しかけた長曾我部元親を軍事力で押し返して土佐一国に抑えます。 すると、讃岐、阿波、伊予の三国がまるまる豊臣家に入ります。 大きな領地をもった大名が四国の地に現れるのです。 そのうちの一人が、生駒親正です。   織田家美濃攻め時代からの古株。秀吉とも長い間共に戦ってきた盟友です。 その生駒親正が讃岐12万石6200石を与えられて築城したのが丸亀城です。 本城は高松城なので、詳しい話はそちらで致しますが、生駒親正の手によって、支城としてこの城はつくられました。   その後、江戸の世になると、元和の一国一城令が発令します。 やむなく、丸亀城はお城としての機能を停止しました。 廃城になったという説と、隠していたという説がありますが、どちらなのでしょうか。   そんな丸亀城に転機が訪れます。 生駒騒動です。 その大騒動により、生駒市は出羽矢島1万石に改易されます。   その翌年、山崎家治が天草から5万3000石で加増転封されます。 そこから、丸亀城は再度、お城としての機能を有するようになるのです。   山崎家治といったら、島原天草一揆の後、天草の地を立て直した名君です。 因幡若桜2万2900石→備中成羽3万5000石→肥後富岡4万2000石と次々に出世していった人物です。 また、築城の名人の一人として、現在の丸亀城を改修しました。   その大規模な改修は、彼の死後、山崎家の無嗣断絶後も続けられます。 大名山崎家は孫の代に断絶してしまうのです。 山崎家は、叔父の家系が旗本(明治以降大名)として残りました。   その後、改修中の丸亀城には鎌倉以来の名門、京極家が入ります。京極高和です。 京極家は、彼の叔父京極忠高の代に、出雲、隠岐の松江26万石の大大名でした。 しかし、叔父が無嗣断絶の危機を迎えます。 しかし、名門京極家、関ヶ原前の大津城の戦いでの功績により、甥(一説には忠孝の庶子)が6万石の大名として生き残りました。 当初は、播磨龍野藩でしたが、山崎家の無嗣断絶により、丸亀城に移ります。 その京極高和の手によって、丸亀城は今の姿になりました。   これらの歴史は、城のふもとにある丸亀市立資料館に詳しく展示してあります。 名門京極家の宗家がこの地にいたことは感涙の極みです。   大河ドラマで一躍注目された佐々木の爺さんの子孫ということですから。 あの佐々木の爺さんもすごいですね。 もともと近江の佐々木荘、宇多源氏の一族でありながら、平治の乱で敗れて奥州に敗走中に偶然相模国で引き止められ、源頼朝挙兵に加わるのですから。(宇多源氏か否かは諸説あります。) 佐々木氏については、観音寺城のページがくわしいです。   この丸亀市立資料館の目の前には、     玄関先御門が残されています。 肝心の御殿は、明治期に火災で焼失してしまいましたが、門は何とか残りました。   この門から、先ほどの大手門が見えます。 さぁ、駅へ戻りうどんを食べましょう。   ☆お城データ☆ 現存天守 重要文化財 城所在地:香川県丸亀市 交通手段:丸亀駅より徒歩20分 スタンプ:丸亀城天守閣   お城巡りランキング   では、次回は高松城をお送りします。 close

現存天守と高石垣「丸亀城」
サイト名 ゆうりの世界
タグ 日本100名城
投稿日時 2022-08-03 04:20:07

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