但馬 生野城  赤松氏討伐拠点から銀山争奪の城への詳細

但馬 生野城  赤松氏討伐拠点から銀山争奪の城へ
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但馬 生野城 (兵庫県朝来市生野町口銀谷・古城山) <山名氏城館と山名四天王たちの城郭めぐり その⑭山名氏と太田垣氏>訪問日:2022年5月6日 投稿日:2022年7月14日但馬では平安時代より金山や銀山の採掘が盛んに行われていました。その中の生野銀山(朝来市)も室町期に山名氏か…… more ら、山名四天王の太田垣氏が所領しました。どうも山名四天王と呼ばれる実力者たちの経営基盤には鉱山の存在も挙げられそうです。阿瀬金山(豊岡市)も山名四天王の垣屋氏が経営を独占。また山名四天王の八木氏もその領内に複数の金鉱山がありました。各鉱山は豊臣・徳川時代まで最盛期が続き、幕府直轄領になり貴重な財源となっていきます。戦国武将と城と鉱山、その深い関係を調べてみるのも面白いな、と思いました。市川沿いのトロッコ軌道跡から生野城・古城山を見上げます。町は生野鉱山を中心とした鉱山町が重要文化的景観として選定されています。中世城郭・生野城と戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山。見所満載の生野の町です。が、今回は時間の都合で生野城だけです。アーチ状に組まれた堰堤も見られノスタルジックな景色が味わえます。「びわの丸健康公園」から登山口があり、ここから登れます。ところが肝心の「びわの丸健康公園」はその入り口がかなり解りずらいです。来迎寺の北上にあり、お寺の西側から回り込むと公園の標識があります。車は3,4台は停められそうです。公園入口に生野城案内板が設置されています。公園入口には生野城の歴史と縄張り構造が説明されています。応永34年(1427)、但馬国守護・山名時熈は将軍・足利義持の命によって生野に築城。その目的は播磨国守護・赤松満佑を討伐するためで播磨との国境に近い生野城が拠点とされました。そして天文11年(1542)、但馬国守護・山名祐豊の時に銀鉱脈を発見。「灰吹法」といわれる採掘・精錬技術を導入し、本格的な採掘が始まりました。 山頂までの道のりは結構キツイですが遺構が見えてくるとテンション回復↗!主郭から西に延びる曲輪群に入ります。下草が刈ってあり非常に見学しやすかったです。西に続く尾根が麓からの大手にあたると思います。で、主郭から西に二段、さらに南西下にも一段の曲輪があります。僅かですが石積遺構も一部残存していることがわかります。主郭部の曲輪とその切岸の様子。山頂本丸の中央には大きな岩(高さ2m50cmくらい)がシンボリックな存在を示しています。天文11年(1542)山名佑豊は生野城の麓に平城を築いて銀山を支配します。この平城は総構えにして三階の天守を構えた堂々としたものであったようです。しかし弘治2年(1556)山名氏の有力家臣であった竹田城の太田垣朝延が謀叛を起こして生野城を接収。太田垣氏には元々の鉱山の開発者・所有者としての主張がありました。その後、織田信長の命により但馬に侵攻した羽柴秀吉によって支配されます。江戸時代はその生野城の平城部分が生野代官所となり銀山支配の拠点となりました。本丸部から規模の大きい北東尾根の曲輪を見下ろします。本丸周囲は部分存ですが良好な石垣遺構を見ることができます。やがて剥がれ落ちるのは時間の問題と思われますが、ロマンスが感じられます。北東曲輪は三方に土塁を設けた長方形の曲輪。北東方面に至るルートには石段の痕跡が残り、嗚呼、ここにもロマンス。ここから北西曲輪群へと繋がっていきますが、こちらも壮大!切り立った本丸を見上げます。生野城は山頂にある主郭から四方に伸びた尾根に曲輪が連なっています。どの曲輪も広大で曲輪主体の城郭だと感じることができます。大きな堀切等がなく曲輪間の連結によって構成されているようです。自然石や巨石と人口石との組み合わせも見所あり、の石垣?です。例によってわざとらしいコーヒータイムには自分でも腹が立ちますが・・。ここからは生野の街並みと鉱山一帯の様子が手に取るように見えます。播磨からの街道筋を押さえる一方で鉱山経営の様子も把握できます。木々が切り払われているので非常に景色も良かったです。元亀元年(1570)但馬の国人衆や織田信長より生野銀山の押領について咎められた太田垣輝延。所有権を認められる一方で守護の山名祐豊を疎略にしないよう命じられています。輝延は天正5年(1577)に竹田城の支配を奪われ、その勢力は完全に終焉を迎えます。太田垣氏は鉱山の経営や運営による経験や実績を活かして、力をつけました。ここ生野銀山の開発に力を注ぎ、やがて山名氏からの独立を企んだのでしょう。しかしそこに現れた織田氏とその部将・羽柴氏、そして毛利氏。竹田城と生野城・生野銀山との両翼をもっての独立は叶いませんでした。 close

但馬 生野城  赤松氏討伐拠点から銀山争奪の城へ
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投稿日時 2022-07-15 02:40:04

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