但馬 竹田城  城主様方を訪ねての詳細

但馬 竹田城  城主様方を訪ねて
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但馬 竹田城 (兵庫県朝来市和田山町竹田・虎臥山) 《国指定文化財》<山名氏城館と山名四天王たちの城郭めぐり その⑫・竹田城主たちの足跡を訪ねて>訪問日:2022年5月6日 投稿日:2022年7月8日『天空の城』、『雲海の城』、『日本のマチュピチュ』・・。色んなコマーシャル・フレ…… more ーズで呼ばれるあの有名な竹田城。皆さんがよく知ってる全国屈指の山城、但馬竹田城です。んな訳で、この城に関しては多くを語る必要はないと思います(自信もありません)。近年、登城者が激増したことに伴い竹田城を取り巻く環境は大きく変貌しております。車両規制に伴う付け替えられた道、土砂の流出による石垣の崩壊保護。訪問する度に増える立ち入り禁止区域と定められた観光ルート。ここまでしないとこの城を、文化財として守って行くことができなくなってしまいました。保護シートの上を歩きながら私たちは考えさせられるかもしれません。「本当の竹田城の魅力」は何処へ行っちゃたのか・・、と。そして山城全体のこの先の事を、です。ま、ムズカシイ事をいうつもりはなく、やはり素晴らしい城郭です。今回は太田垣氏が城主を務めていた歴史がある、という一点で取り上げてみます。基本的には太田垣氏時代の縄張りの上に拡張改修された現在の竹田城。現時点の見学ルートに限れば太田垣氏時代の遺構を見つめることが難しいです。鉄板ですがお向かいの立雲峡第3展望台からのぞむ竹田城・虎臥山です。少し霞んでしまう日でしたが遠くから見るのもいいものです。先ずは御城主様方にご挨拶をと思いお寺めぐりです。竹田まちなか観光駐車場の利用が無料で便利です。また現在竹田城は近くまで一般車両では行けなくなっています。ここに車を停めさせていただき駅裏登山道を登っていくのもあり、かと思います。最初に立ち寄ったのが常光寺です。こちらには竹田城の最初の城主(とされる)・太田垣光景公の墓があります。竹田城の築城時期については確たる史料がなく、嘉吉3年(1443)山名持豊(宗全)によるとされます。この地方の有力国人であった太田垣光景が初代城主に任ぜられた、とする口碑を残すのみです。応仁の乱では山名氏配下として従軍。太田垣氏の奮戦により丹波細川軍を撃退。以降、太田垣氏は垣屋氏・八木氏・田結庄氏らと山名四天王と呼ばれるようになります。本堂の左を登ったところに初代城主・太田垣光景の石塔があります。寺町通りの水路には情緒が残り、散策も楽しいです。続いて立ち寄ったのがそのお隣の勝賢寺です。勝賢寺には、かつての竹田城主・桑山重晴の長男・一重の五輪塔があります。羽柴秀長の但馬侵攻後、二百年余りも続いた山名氏支配も終わりを告げます。山名氏とともに勢力を築き上げていった太田垣輝信も播磨に落ちていきました。但馬平定後、秀吉は桑山重晴を竹田城に任じています。一重は桑山重晴の長男として誕生。父と同じく秀長に仕え、家督を継ぐはずでした。しかし父に先立ち、天正10年(1582)竹田城において26歳という若さで早世しました。家督はしばらく後に、当時7歳だった長男の一晴が継いでいます(重晴の後見にて)。一重公とその妻の五輪塔と一緒に並んでいます。翌年の賤ヶ岳の戦いでは、桑山重晴は山頂の賤ヶ岳砦を守っています。佐久間盛政の攻撃に際しては時間を読み結果的に秀吉の到着までの時間を稼ぎます。その後、重晴は丹羽長秀隊に合流、反撃に参加し秀吉軍の勝利に大きく貢献しました。桑山氏の功績は地味ながらその忠実な信頼性において秀吉に認められていたのでしょう。また尾張時代からの苦労・近江時代での協力を共にし、その功績に報いたものでもあると思います。その後も功績を重ねていくのでした(派手さはないが)。そのお次は法樹寺に寄っていきます。こちらには竹田城最後の城主・赤松広秀公の供養塔があります。境内の裏山奥の墓地を登っていくと、広秀公の供養塔があります。ここにはかつての竹田城主の居館跡があった所でもあります。背後に見える石垣も山上遺構のそれとほぼ同様の組まれ方をしています。現存する竹田城の遺構は赤松広秀時代の構築とされています。広秀は儒学者・藤原惺窩について漢学を学ぶなど、文化的一面がありました。竹田城主時代は養蚕や漆器業などを奨励し、とても領民に慕われていました。朝鮮出兵の際に捕虜とされた朝鮮の高官・姜沆(かんはん)とも交遊を持ち、その帰国を支援。「日本の将官は全てこれ盗賊であるが、ただ広秀だけは人間らしい心をもっている」姜沆の著作『看羊録』での赤松広秀の評価です。法樹寺の塀には狭間があり、ここだけは城郭の雰囲気が残っているようでした。広秀は関ヶ原本戦で西軍が敗れると亀井茲矩の説得で東軍に転じます。その上で西軍の宮部長房の居城・因幡鳥取城を攻めたのですが・・。城下を焼き討ちし民家に放火したのを咎められ、戦後、徳川家康から切腹を命じられました。 竹田城に関わった城主様方のほんの一部ですが紹介させていただきました。興隆と没落、その繰り返される中で竹田城は確実に進化し続けていきました。どの時代の城主もその任期に関わらず民から思慕の思いで語り継がれているようでした。山名四天王の一人として太田垣氏を語るにはやや足りないので次回また・・。 close

但馬 竹田城  城主様方を訪ねて
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 但馬の城めぐり
投稿日時 2022-07-09 01:20:05

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