広島城(広島県)の詳細

広島城(広島県)
むぎの城さんぽ
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記事タイトル 広島城(広島県)
概要

【広島城】ひろしまじょう 【別名】鯉城・在間城 【構造】平城 【築城者】毛利輝元 【築城年代】1589年(天正17年) 【指定史跡】国指定史跡 【場所】広島市中区基町 地図 【スタンプ設置場所】1層ミュージアムショップ(休館日12/29~1/3) 【城郭検定】出題あり 広島城は…… more 、吉田郡山城を本拠としていた毛利輝元が1589年(天正17年)に築城を始め、 築城前に訪れた豊臣秀吉の聚楽第に感銘し、参考にして本丸御殿が建てられました。 天守、御殿の他に櫓88基、門10基、外観は下見板張に漆喰塗で統一された 築城当初から大規模な築城がなされていました。 築城中に豊臣秀吉による朝鮮出兵が行われ、この時名護屋城へ向かう秀吉が広島城へ立ち寄ったと伝わります。 毛利氏が築き、福島氏、浅野氏と大大名に継がれ、浅野氏は12代(250年)続き、明治維新を迎えました。 二の丸平櫓と二の丸表御門 木橋 二の丸と三の丸を繋ぐ橋は木橋です。 ここでは敵の侵入を防ぐため、すぐに落とせる木製の橋を使っています。 広島城の別名(鯉城)にもなっている鯉が堀を泳いでいます。 平櫓 櫓の内部を見学出来るようになっているので 早速中を見学に行ってみましょう! 出入口 ここで、靴を脱いで中に入ります。 コロナ前はスリッパを使用していたようですが、今はスリッパが用意されているものの 感染予防のためスリッパは使用せず、靴を脱いでそのままで上がれます。 スリッパを履こうとすると、そのままでいいよ~と声を掛けられました。 (できれば靴下は履いていた方が良いかもね) 平櫓内部 まずは近い平櫓を見に来ました。 畳敷になっていて優雅そうに見えているのに、いくつもの狭間が目に入ります。 このギャップが面白い。 二の丸表御門内部 櫓門からはしっかり橋から攻めて来る敵を狙い撃ちする構造になっています。 棟札 平成になってからの復元なのでまだ新しい棟札ですが、次に解体する時が来たら きっと歴史を感じる年代になり、この頃はお城ブームだったんだなあなんて語られる日があるのかな。。。 なんて想像しちゃいます。 多門櫓内部 多門櫓の内部は多くの展示物があります。 模型 平成3年に復元された二の丸の建物の構造模型がそれぞれ展示されています。 太鼓櫓内部 その名の通り太鼓で時を知らせたり、 太鼓の合図で城門の開け閉めがされていた場所です。 太鼓は1階に展示されていますが、当時は櫓の二階に釣られていました。 馬屋跡 二の丸は角馬出になっており、馬屋も設けられ馬出に兵を 中御門 本丸と二の丸の間にある土橋を渡ると、枡形に格式のある櫓門がありましたが 原爆で焼失してしまいました。 被爆した石垣 そして、原爆により燃えた石垣。 石の色が変色し、角が欠けて丸くなっています。 本丸下段 廃藩置県後広島県庁が置かれ、大日本帝国軍の建物が次々に建てられるようになり、 広島城の天守に付属していた小天守や多くの建物がこの時、取り壊されました。 日清戦争で広島大本営が置かれると、明治天皇が広島に滞在し、帝国議会も開かれました。 護国神社 プロ野球球団「広島東洋カープ」が必勝祈願に訪れることで有名な広島護国神社。 毎年5月5日に赤ちゃんの健康を願う「泣き相撲」が行われる予定で準備がされていました。 本丸は下段と上段に分かれており、売店隣の階段を登ると いよいよ天守の見える上段になります。 本丸上段 太平洋戦争では本丸に中国軍管区司令部が置かれ、 そのために原爆投下の標的に! 爆心地の原爆ドームから約700m離れていたものの、下段にあった地下通信室(防空作戦室)から 見た光景はすべての建物が倒壊、残っていたのは石垣だけだったという惨劇でした。 広島城の縄張りは京都の聚楽第を参考とし、天守は大坂城を参考にしたといい、 豊臣秀吉との謁見は輝元にとって、相当の影響を受けたものと想像出来ます。 復元天守 目の前の石垣の上には、かつて南小天守がありました。 そして入口の張り出した屋根のある場所に天守と南小天守を繋ぐ渡櫓があったのですが、 南小天守が残っていたり、復元されていたとしたら ここからの天守の見え方がぜんぜん違っていたでしょう。 100名城スタンプ 天守入口前の渡櫓跡に設置されている日本100名城のスタンプ台です。 ここから先は指定の場所以外は撮影禁止となっています。 攻城団チラシ 売店の前の柱に攻城団チラシが!! どこに行っても大体他のパンフレットに紛れて探すのに少々時間かかるのですが こんな単体で置いてあるとは (広島城好感度超アップ!) 中には撮影OKの場所も設けられています。 最上階の廻縁に出てみました。 華頭窓に装飾され、外観としてはやはり華頭窓は目立ちます。 こうやって中から城主気分で外を眺められるのもあと3年程しかありません。 原爆ドーム 爆心地からこの距離ですから、恐ろしいです。 原爆ドームには中学生の修学旅行で訪れているのですが、広島城がこの距離でも やはり団体行動なので残念ながら見学叶わずでした。 天守礎石群 昭和33年の天守再建の際に、旧天守の柱が載っていた礎石をこの地に移しました。 東小天守跡 東小天守は戦災まで東廊下が残っていたのですが天守復元の際には 南小天守同様に復元されることはありませんでした。 お抹茶とお菓子 本丸にある売店で一休み。 お抹茶に添えられていたお菓子はもみじ饅頭。 やっぱり広島と言ったら、もみじ饅頭ですよね。 中御門桝形 中御門に門柱や扉に鉄板を打ち付け頑丈な鉄門が戦前まで残っていました。 広島城の特徴として、関ケ原合戦後に入城した福島正則による改修は膨大な数の二重櫓を置いたこと。 最も多い時で88棟もの櫓が造られ、要塞化し全国で最も櫓の多い城となりました。 しかし、1619年(元和5年)に幕府に届けず石垣を修復したことが武家諸法度違反となり、 改易となっています。 これが台風による水害で修復したというのだから、ちょっと理不尽な気もする。(個人的な感情) 沢山の櫓と二重の水堀で平城の守りを堅固にした広島城。 太鼓櫓 外から見た太鼓櫓。 太鼓櫓ってなんだか格好いい。 やはり時代が比較的新しい浅野氏の時代の建物だから違って見えるのかなあ。 耐震性を満たしていないことから2025年に復元天守閉館すると聞いて、これは行っておかなければ一生後悔する! ということで今回の遠征で絶対外せない城となった広島城。 「広島城三の丸歴史館」を三の丸に建設して現在天守に展示しているものを展示するというのです。 願わくば、やはり天守の木造復元が叶うと良いですね。 たとえ、木造じゃなくても広島城には復元天守が必要だと思っています。 元国宝の広島城を吹き飛ばした憎き原爆の恐ろしさを後世に伝えて欲しいものです。 令和4年5月3日登城 日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)日本城郭協会,福代徹学研プラス close

広島城(広島県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 百名城
投稿日時 2022-07-04 14:40:02

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