但馬 八木城  山名四天王きっての教養人、八木豊信の居城の詳細

但馬 八木城  山名四天王きっての教養人、八木豊信の居城
久太郎の戦国城めぐり
ページの情報
記事タイトル 但馬 八木城  山名四天王きっての教養人、八木豊信の居城
概要

但馬 八木城 (兵庫県養父市八鹿町八木・城山)《国指定文化財》<山名氏城館と山名四天王たちの城郭めぐり その⑪八木氏>訪問日:2022年5月6日 投稿日:2022年6月27日梅雨もいよいよ本格の時期になってきました。こうして雨音を聴きながらブログ記事を書くのもいいものです(外ザー…… more ザー振りですが)。というか、外に出られなくて家に居るしかないのが現状かなぁ・・。お陰様で振り返りながらの記事に取り組むことができるわけでして。今回の但馬の城めぐり、山名四天王・八木氏の八木城を訪ねてみました。田結庄氏・垣屋氏からやっと八木氏に辿り着きました。(まだ太田垣さんも残っとるよ)この八木城、石垣の城郭部と土造りの古城部の2色で成り立っている城郭です。個人的にも気に入っている城なので写真は2城分、やや多めの掲載でいきたいです。(そもそも10枚の写真で、と制限をかけてしまうこと自体が、どだい無理があるようです)見所は何と言ってもはかなくも美しい本丸隅櫓の石垣です。印象に残った一枚の写真を冒頭にあげております。古城感、という言葉があるのであれば、まさにここではないか、と思えた場所です。感動してしばらくここに。語りかけてくることが多すぎて・・動けんかった・・。「とろ橋」(漢字不明です)から見上げる城山と美しい八木川。何故でしょう、いい城というのは、まずもってその姿も美しいものです。一見は普通の田舎の山ですが、「何かをまとった存在の山」とでも申しましょうか。あの頂き(いただき)には一体、何があるのか・・今日という日をそれだけのために終わらせてしまっても構わない、そんな気持ちですよね。(たま~に無駄に熱くなります)登山口の石碑が登城意欲をそそられる。駐車場は麓の下八木公民館の駐車場が指定されてありました。公民館前で登城の準備をしていたらお隣の美容院経営の方からパンフレットを頂きました。簡単な説明と水分を携帯しているか、等とてもお気遣いしていただき嬉しかったです。「気を付けて見てきてねー」の一言が嬉しいものです。(但馬の方々、皆やさしい人ばかり)但馬八木城城址之碑。飾り台石でのリフトが格式高く(⊂(^ω^)⊃)◎。八木城は「土城山」と南東尾根伝いにあるの「城山」の二か所があります。城山にある方は「八木石城」、土城山の方を八木土城(八木古城)と呼称されています。二つを合わせて「八木城」と呼ばれていますが、厳密には別々の城、かもしれません。両城共に近年の発掘研究では織豊期に改修されている、という指摘もあります。<八木石城へ> 登っていくほどに徐々に山城感が味わえる。鋭い切岸で待ち構える曲輪群が段々に敷かれています。八木城は西から東に伸びる細い尾根上を開いた山城です。本丸から東方向に主に7段の曲輪、北に6段、南に9段と広がります。放射状連郭式山城、という非常に広大な山城だといえます。八木城で最も大きな(三の丸)曲輪、先端部に「三つ顔さん」というお地蔵さんが祀られています。本丸隅櫓台の石垣部に到着。山肌斜面に施行するため、斜め算木積みの土台部が特徴的な積み方です。隅部は比較的頑丈ですが中央部になるにつれ崩れやすくなります。それにしても現代までこうして残っているのですから拍手したくなりますね。写真左隅に落っこちそうで際で踏ん張っている大石が印象的でした、頑張れ!そんな大石が面している方から見上げた石垣部です。中央部に折れを伴った高石垣も見応えあります。屏風のように張り続く石垣技術も素晴らしいものがあります。この石垣の特徴は織豊期の改修による技術だと推定されています。八木氏の次に入った別所重棟・別所吉治らによる整備だと推定されています。またその粗い積み方から未完成説や破城説も考えられています。本丸北西部の石垣の荒々しさには倭城やグスクのイメージも湧きます。八木城の本丸の様子。二段の削平地があり、天守台相当の推定地と考えられています。石垣で改修される前においてもここが八木氏時代からの本丸として機能していたようです。石垣は城下町よりも山陰道に直面した南西方面に重点的に組まれているのも興味深いです。石垣に沿うように内側には石塁が組まれています。ここは丁度木陰となり、ベンチも用意されています。自分はここで例のおにぎり弁当を味わって食べました。(景色はよく見えません)‥誰も来ません。たくさんの石垣に囲まれてましたがね(笑)。本丸から見下ろす高石垣もまた格別かと。また八木城に関して言えば他の但馬の城に見られるような竪堀群がないのも特徴。本丸の背後に(それほど大きくない)堀切が1本あるだけ。敵の斜面移動を敢えて引き込む想定をしたのでしょうか?面白いです。さて、食事休憩の後は八木土城(古城)へ登って行こうと思います。<八木土城(八木古城)へ>八木土城は石城からみて西へ200mほど登ります。途中には急斜面もあり、直結とはいえ、かなりキツイ!です。しかしこの城はセットで見学してこそ感動が味わえる、といえそうです。まず驚かされたのは馬の背道です。人一人ががやっと立ち歩きできる細さ、両脇はお湯が切岸が鋭くなっています。バランスを崩さないように一気に渡り切ります。なんだかアスレチック施設に来たみたいです。(帰路の足ガクガク時の方が要注意!)見上げると土塁がモコモコ、いかにも土城、という感じです。曲輪が連続する縄張り。各曲輪の見通しがよく見学しやすかったです。石城の縄張りが東西であったのに対してこちら土城は南北に展開しています。こちらも南北尾根をおよそ15の曲輪を連ねる曲輪主体の縄張りです。一段一段の高低差があるので※「リンかけ」のように突破していく楽しみがあります。※車田正美先生の『リングにかけろ』ですね。この場合は阿修羅一族編ですか・・。本丸手前の枡形虎口を備えた曲輪。ここからルート取りを確認してみるのも面白かったです。本丸相当部の曲輪。きれいな削平地となり、見通しも良いです。やぶ漕ぎを覚悟していましたが、こちらもよく整備され歩きやすいです。やはりというか、土城というだけあって石垣は見られませんね。キョロキョロ・・。背後の大堀切が迫力の割れ目。これだけの規模に仕上げながら端部を竪堀としない、という意図です。竪堀を造作すればそれに伴う付属施設、ここでは曲輪なども併設しなければいけません。こういった無駄を省き、尾根筋だけを意識して守備する姿勢が感じられました。帰り道、もう一度本丸から枡形虎口曲輪を見渡します。これだけの広さの曲輪を邪魔する木々もなく見学できる山城はそうそうありません。特に枡形虎口付近は当時の様子が想像できるようです。石垣もいいですが、土塁を駆使した仕掛けをじっくり見学できるのもいいものです。完全に八木城の虜になった自分、毒に侵されたように見入るのでした。さて、戦国期の八木城・城主、山名四天王の八木豊信。その名は山名祐豊の偏諱を受け「豊信」を名乗ることを許されています。しかし、山名氏の衰退と共に独立性を強めていき、毛利氏との結び付きを深めます。織田信長の勢力が及んだ際は垣屋氏らと共に毛利氏派として行動します。これは地理的にも山陰道で繋がる中国地方との結び付きを考えれば当然かと思われます。特に毛利氏の吉川元春とは親交も厚かったことも一因でしょう。天正8年(1580)の第一次鳥取城攻防戦では、秀吉から因幡・若桜鬼ヶ城を任されます。しかし天正9年(1581)に山名豊国から吉川経家に鳥取城主が交代。若桜鬼ヶ城を守りきれずに消息不明となり失脚します。その後、島津氏を頼り、島津家久の右筆として仕え、再登場です。豊信は歌人として優れ、詠んだ和歌も「都城八木家文書」に残されています。津田宗及の茶会に参加するなど公家や文化人との親交も活発でした。そのような教養、交流の広さから家久に登用された、とも見られています。山名祐豊からただ一人偏諱を許された四天王の一人。その文化的な才覚を持ち合わせた有力者として人柄が偲ばれます。現地でのパンフには豊信の肖像画も刷り込まれていますので、是非手にして見てください! close

但馬 八木城  山名四天王きっての教養人、八木豊信の居城
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 但馬の城めぐり
投稿日時 2022-06-28 01:20:03

「但馬 八木城  山名四天王きっての教養人、八木豊信の居城」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;