但馬 轟城  その名の通り脳天から胸底深くまで轟き三昧!の詳細

但馬 轟城  その名の通り脳天から胸底深くまで轟き三昧!
久太郎の戦国城めぐり
ページの情報
記事タイトル 但馬 轟城  その名の通り脳天から胸底深くまで轟き三昧!
概要

但馬 轟城 (兵庫県豊岡市竹野町轟・城山)<山名氏城館と山名四天王たちの城郭めぐり その⑦垣屋氏その3>訪問日:2022年5月6日 投稿日:2022年5月27日但馬の城への遠征城めぐり、山名四天王らの関連城郭を見て回っています。特に勢力を誇示した垣屋氏の城郭はその姿を克明に残し価…… more 値深いものがあります。(どの城もそうですが)一城一城見応えがあり、立ち去り難き未練との闘いでもあります。さて、楽々前城、宵田城に続き、垣屋氏の持ち城とされる轟城を訪問しました。※今回の「山名氏城館と山名四天王たちの城郭めぐり」では写真は10段(枚)以内で。短編ダイジェストでスパスパッ、と進めてまいりたいと思います(本当はもっと突っ込みたい)この城の切り札は何といっても多彩な堀切術の凄さ、美しさです。脚がすくむほどの急激な堀底を覗き込む。この堀底に降りてみたい、堀底から上を仰ぎ見てみたい・・。世界が変わりそう・・。そんな衝動に自然と駆られてしまいますが・・。降りたら最後、その険峻さと感動でもう上がることができなくなる、そんな素晴らしい堀切です。日本海、竹野海岸へと流れる竹野川に抱かれた城山・轟城です。竹野は兵庫県北部を流れる竹野川の下流域に位置する地域です。竹野湊は地形的にも良港の条件に恵まれており、江戸時代には国内有数の北前船の寄港地でした。中世では垣屋氏も竹野を拠点に日本海水運に関わっていたものと推察されます。戦国時代末期の城主としては垣屋豊続の居城と伝わっています。垣屋氏支流でありながら本家にも劣らず、太田垣・八木氏らとともに但馬の有力国衆に成長。毛利氏と結んで織田氏・羽柴秀吉・秀長兄弟らに抵抗します。多くの但馬国人たちが秀吉に降る中、豊続は但馬における毛利勢力の中心として秀吉軍に対抗します。ほぼ全ての尾根に設けられた堀切は外ハの字型に展開。城内側から見ると両腕をハの字に広げたように左右へ展開する美しい堀切です。特に南尾根を遮断するそれは二重堀切となり竪堀となって落とされています。城へのルートは東側のコンクリート会社さん側からと南の大谷川沿いからがあります。南から登るとまずこの遺構にぶち当たりますので非常に驚き、楽しませていただけます。北西尾根には大堀切が二重となりその先にも小郭を挟んで堀切を設けます。 竪堀間の尾根にも放射城連続竪堀を配すなど、堀切のバリエーションも多彩。竪堀の走る方向、土塁との併用、鞍部をさらに掘り込んだ様子などなど(下に自作鳥観図あり)。堀切ってこんな使い方があるのか!見学して唸ることしきりでした。堀切を越えた向こうにはプラス土塁も併設されてより堅固な遮断構築になっています。 丁寧さが感じられる削平ぶりに各曲輪内を歩くのも楽しい!山頂の本丸相当部には秋葉神社が祀られて、木漏れ日が届き見通しがいいです。自分は神前にてお参りを済ませた後、ここでランチ休憩をとりました。丸太に敷き布をあてて腰掛けます・・。嗚呼・・、何とも言えない至福の時です。城は静かに限る・・。本丸下の各曲輪は総じて広く、高い切岸によって明瞭な隔たりを画します。曲輪間の連絡手段には当時からスロープが用いられていたのでしょう。本丸を中心に北西尾根伝い、北東曲輪群、南東麓方面へと曲輪を配している。どれもまとまった広さを持つ曲輪で連結もよく考えられています。本丸の角部隅に設けられた張り出し部。本丸の角部に設けられた張り出し施設が北西隅、北東隅と南東隅部(3か所)に見られます。いずれも下の曲輪から登ってくる相手に横矢を掛けられほぼ全周方向への迎撃が可能です。これは主城・楽々前城の本丸にも見られ、直下に腰曲輪を置き切岸を鋭くする手法。大きな二の丸相当の腰曲輪から本丸部を仰ぎ見る。適度な間伐で風通しよい山です。気持ちがいい・・。先程の本丸張り出し部を下から。まるで艦首のように見えました。北東曲輪群の斜面には恐らくですが崩落した石垣の痕跡も見られます。「・・やはり・・」といえばそうなってしまいますが、10枚そこそこの写真では・・。とてもお伝え出来ないことも多いのが泣き所(´;ω;`)。これだけの規模なのに何故か城址碑も縄張図も掲げられていないので・・(ホワ~イ?)2泊目の宿でクロッキーを作成してみました↓。写真では表現できない南東尾根の放射状連続竪堀が必殺技かと。天正8年(1580)4月、織田方の羽柴秀吉・秀長らは姫路城から但馬・因幡方面への進攻を開始。これに対抗し垣屋豊続は毛利方として最後まで奮闘します。しかし先年の宇喜多直家の織田方への離反によって山陽側の情勢が一変。さらに東伯耆最大の国人勢力であった南条元続も織田方への鞍替えを表明。この南条氏の寝返りによって、但馬は分断され但馬の毛利方国人衆も次々と降伏しました。秀吉に降伏した但馬国人たちは、国内の所領を没収され、因幡国へ送りこまれていきました。そんな中で豊続は・・。宮部継潤付けの部将として竹野地区を与えられ以後は羽柴方として活躍していきます。そして秀吉は豊続を次のように評して述べています。「但州の内はいずれへも遣わさず候へども、その方の儀は役に立たれるべき身の上に候」但馬国内の領地は他の但馬国人には与えないがその方(豊続)は「役に立たれるべき身の上」、として見込まれて特別な扱いを受けた、という解釈がされています。秀吉も感じ入った豊続の統率力と但馬の海運基盤摂取を重視したものと思われます。轟城、そんな豪将、垣屋豊続に相応しい実戦重視型城郭。「名は体を表す」と言いますがこの轟城、まさに「百雷耳に轟く心地」がした城でした。あ・・、でも某野望SLGシリーズには豊続さん、出てきてないな~(ホワ~イ?)。ということで早速、新武将エディタで作成して山名救世主としてプレイしてみよっと!。(野望シリーズ新作:新生の発表が楽しみです☆) close

但馬 轟城  その名の通り脳天から胸底深くまで轟き三昧!
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 但馬の城めぐり
投稿日時 2022-05-28 02:40:04

「但馬 轟城  その名の通り脳天から胸底深くまで轟き三昧!」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;