但馬 楽々前城  この連続竪堀こそ山名四天王、垣屋氏の居城の詳細

但馬 楽々前城  この連続竪堀こそ山名四天王、垣屋氏の居城
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但馬 楽々前城 (兵庫県豊岡市日高町佐田・城山) <山名氏城館と山名四天王たちの城郭めぐり その⑥垣屋氏その1>訪問日:2022年5月5日 投稿日:2022年5月21日山名氏の衰退とともに独立色を強めていく山名四天王たち。西から毛利氏、東から織田氏が台頭すると派閥抗争を繰り広げ、…… more 山名氏の衰退はさらに加速。甲斐武田四天王ほどの団結力は微塵もないのですが、誰が呼んだか山名四天王。田結庄氏の居城・鶴城のお次は垣屋氏累代の居城・楽々前城を訪ねてみました。山名祐豊の代では垣屋続成・光成(親子か祖父・孫関係)が城主として有名です。「楽々前」は「ささのくま」と呼びます。・・こうなるともうキラキラ☆ネーム(・_・;)。毎回10数枚の写真を選ぶのに迷います。※今回の「山名氏城館と山名四天王たちの城郭めぐり」では写真は10段(枚)以内で。短編ダイジェストでスパスパッ、と進めてまいりたいと思います(表現力より決断力が問われてます)この城の切り札は何といっても畝高い竪堀群だと思います。主郭部の下、北に尾根が派生する中腹脇西側に見られる素晴らしい竪堀群です。一筋一筋が深く浮き上がるような竪土塁、彫刻のような堀底。奇麗に並べられた五本指を思わせる整然とした竪堀群に魅了されました。※植村直己冒険館あたりから眺める、佐田城山の楽々前城です。もう一度申しますと「ささのくまじょう」と呼びます。どうやっても読めない・・。楽々前城は日高町佐田から日高町伊府・道場にまたがる標高300mの山頂に築かれています。 比高だけでも270mあるのでそれなりの登山になります。※植村直己氏は日本の登山家。世界初の五大陸最高峰登頂をはじめとする冒険者です。(直己さんも登った事あるんだろうか・・)車は西麓の常光寺さんの参拝駐車場をお借りいたしました。寺の境内一帯は「伝・家老屋敷」と呼ばれています。寺には本丸から出土したと伝わる茶釜が保存されているとの事です。登山道らしき道が見当たらなかったので最寄りの尾根に取り付く作戦を採用。※麓周辺は場所によって鳥獣柵が設けられているので要注意。 なお見学した限りでは案内板、標柱石碑など、城跡に関する表示物は一切確認できませんでした。 ですから、近隣への一層の配慮とそれに伴う登山装備、心構えが大切となります。南北に延びる尾根に辿り着くと大きな土橋と堀切が主要部へと導きます。ここより南に下ると周囲を土塁で囲まれた曲輪もみられます。まだまだ中腹ともいえるこの位置から早くも明確な遺構が連なっていきます。そして畝状竪堀群が早くもここでお待ちかねです。昂る鼓動を押さえきれなかったのでしつこくもう一回。(´∀`*;)ゞ 主郭部付近に点在している石積みの址。広い曲輪の外周沿いに残っている石積みです。特に本丸に至るルート沿線両脇に多用されているように見受けられます。城内のこのエリアには段差がみられることから屋敷か畑等があったのかもしれません。本丸ではなくその下部曲輪にしっかりと残っているのが興味深い石垣。 多くの広い曲輪が塁段となって重なり、尾根沿いを固めています。各曲輪は高い切岸を持ち合わせ一つ一つの曲輪の面積も広いです。特に主郭の北東部には張り出した小郭とそれを巡るように設けられた帯曲輪がみられ曲輪主体の防御態勢が高められているように感じました。張り付いていた石垣がそのまま滑り落ちたような箇所も見られます。本丸周囲には目立った石垣は見られません。唯、北側にはその崩落跡と思われる形跡が確認できます。かつては部分的に石垣を使用していたであろう形跡を感じました。本丸に相当する山頂部の曲輪は特に広く、周囲の切岸も鋭いのです。本丸部は東西に長い広々とした空間を有する曲輪となっています。樹木があまり生えていないせいか見通しがよく削平具合もしっかりしています。西側は絶壁ですが、東側から下部の曲輪と連絡できるように配されています。南東に伸びた尾根を遮断する二条の連続堀切。現場で軽くクロッキーした鳥瞰図面になります。(初の試み(*´~`*))垣屋氏は山名四天王のなかにあって筆頭格であり、山名氏を陰で支えてきました。徐々に勢力を蓄え、熙続(長男) ・熙知(次男)・豊茂(三男)に別れ、分家。それぞれ楽々前城、宵田城、轟城を受け持ち所領が拡大していったようです。垣屋氏一族は勢力扶植の基盤を確立し、多くの庶子家を抱える巨大な武士団を構成。 その影響力は守護である山名氏を凌ぐほどの発言権も有していたと言われます。こうした経緯から主君である山名氏との関係は不安定で度々対立もみられます。そんな中、垣屋続成は永正9年(1512) 居城を鶴ヶ峰城に移し垣屋氏の拠点としました。その後、織田信長の台頭に伴い、家中が織田氏派と毛利氏派に割れると、続成は毛利氏方を表明。そのため同じ四天王である田結庄是義と対立、元亀元年(1570年)是義の奇襲を受けて自刃しました。主君である山名祐豊が織田氏派の意思を表明したにも関わらず反対するあたり強い独立性を感じます。因みに、某野望シリーズのSLGでの歴代続成の顔グラフィックは印象的。白髪で髷を結い、見事な長い白髭を蓄えている、という存在感のある面で登場してます。このイメージで軍議が垣屋氏主導のもとに進められた・・なんて想像すると・・。主家・山名氏の立場がいたたまれないです・・(笑)。この城を見学すれば山名家臣・四天王筆頭格に相応しい垣屋氏の勢力が窺われいやいや、それ以上の大名並みクラスの縄張りであるぞ、ということも理解できます。このような見応えある城がなんの案内もなく山中にある、それもこの城の醍醐味でもありましょう。 close

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タグ 但馬の城めぐり
投稿日時 2022-05-21 16:00:04

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