第107景 〜横手城の詳細

第107景 〜横手城
カメも歩けば城に当たる… 城跡酔夢譚
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概要

秋田県横手市に行ってみたい、と思うようになったのは、今から10年ほど前のことである。その横手に秋田藩の支城だった横手城があるのだが、実のところ、私は城より先に「横手焼きそば」の噂を聞いてしまい、後追いで横手城や石坂洋次郎作品の情報を得た、というのがその真相なのである!今回やっと訪…… more 問の機会を得たので、ここは「焼きそば」より先に城跡の朝倉山を目指した。では。横手城 (模擬天守):秋田県横手市城山町29→Map  山城 別名:朝倉城・韮城築城年:弘治元年(1555年)   築城主:小野寺輝道   主な城主:小野寺氏、戸村氏 廃城:明治元年(1868年)戊辰戦争で落城  (撮影日:2021年9月)横手城の起源については諸説あるようだが、戦国期に出羽国(秋田・山形県)で勢力のあった豪族小野寺氏、その13代小野寺輝道が弘治元年(1555年)朝倉山に城館を築き、横手地方の支配を確実にした、というのが今のところ有力な説のようだ。小野寺氏の始祖は下野国(群馬県)都賀郡小野寺邑に起こった一族だというが、ここは家系の掘り下げが目的ではないので 「横手城=小野寺氏」と憶えておこう。 実際、模擬天守の建つ二の丸に、立派な小野寺氏彰徳碑(顕彰碑)が置かれてれている。歴代城主をみると、江戸期の1672年から明治まで6代200年にもわたって、戸村氏が城代を歴任しているが、市は今も460年前の築上主である小野寺氏の業績を顕彰しているのである。彰徳碑に添えられた案内板の説明が簡潔で分かりやすかったので、一部引用させてもらうと、 ……小野寺氏は平安時代後半に下野国都賀郡小野寺に発し、文治五年(1189)の奥州合戦による戦功で出羽雄勝郡などの地頭職を得た。南北朝時代に出羽雄勝郡稲庭に移住し、さらに沼舘城、湯沢城へと移り、その後、輝道がこの地に横手城を築城し県南の拠点とした。小野寺氏彰徳碑小野寺氏は輝道の子、義道の時代に最盛期を迎えたのであるが、ここにまた西から問題が……。豊臣秀吉の小田原攻めに参陣後の太閤検地により所領の三分の一を没収される。さらに、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で西軍についたとされ、所領は没収のうえ義道は石見津和野へ追放された。義道は津和野藩で坂崎直盛、つづいて亀井家の預かりとなり、40年を生きて80歳で没し、ここに小野寺氏は滅亡した。さて、義道改易後の横手城は秋田佐竹氏の所領となった。佐竹氏も関ヶ原後の改易組である。佐竹義宣は朝倉城を秋田藩の支城として改修した。今に残る縄張りはこの佐竹時代以降、江戸期のものである。慶応4年(1868年)戊辰戦争で奥羽列藩同盟、仙台、庄内藩の砲火を受け城館は全て炎上、横手城は落城した。という背景を思いつつ城跡を歩いてみた。 JR横手駅からは、いつものように城下を抜け、城を目指して歩いく。2km程だろうか、程よい距離である。朝倉山は比高40mほどの小山で、「七曲」の坂を登って大手門跡へ。二の丸跡登り切って武者溜から二の丸へ上がってみる。城址は横手公園としてよく整備されている。模擬天守から横手市街を望む三層の模擬天守には展望台としての機能もあり、そのために見晴らしの良い二の丸に建てられたのだろう。ならば登ってみるしかない。現在人口9万、秋田県東南部の中心都市を望む。目前で横手川が大きく蛇行する様子も見え、川が外濠代わりの防衛線であることが良く判った。本丸跡こちらがより重要な本丸跡である。東西47m、南北77mの楕円形の曲輪で、本丸御殿が置かれていた。この縄張りは関ヶ原合戦の後、久保田城の支城となってからのものであり、本城と同様、天守が建てられることはなかった。今の社殿は秋田神社の分社である。それから、城の別名を「韮城」というのは、土塁の斜面にニラを植えたためというが本当だろうか?土塁の斜面を登り難くするには、土を突き固めて滑りやすくする方が確実なのだが、植物を植えることもあったそうで、確かに韮なら食用にもなってよかったかも。平日のことで、人影もない少し寂れた本丸跡で、築上主でついには滅びさ去った小野寺氏や、戊辰戦争での落城などを想えば、いつもながら無常感 が漂う城歩きでもあった。本丸跡から二の丸方向を見る牛沼石坂洋次郎文学碑作家石坂洋次郎は青森県弘前市の出身だが、1926年から横手高等女学校、1929年から横手中学校(現、横手高校)で教鞭をとっている。碑文は長編「若い人」の一節が自筆で刻まれている。手持ちの文学全集の石坂洋次郎の巻に、「若い人」が収録されていたが、これ昔、途中で投げ出したままであった(読んでおこう……汗)また「山と川のある町」は横手が舞台で全国にその名が知られるようになったという。昭和32年(1957年)には映画化されているが、私は未見で、今のところ商品化されていないようだ。横手川と城跡樹木が繁茂し、やや見通しが悪くなっているが、城下から天守が見える。城下を見晴らす展望台であると同時に、城下から見上げる郷土のシンボルである。模擬天守を置くということの意味が実感できる風景だ。では、最後に横手市訪問の切っ掛けを作ってくれた「横手焼きそば」を少しだけ。横手焼きそば当然食してみたのだが、食レポが目的でもないので詳細は省こう。今や、冬のかまくら、城と武家屋敷跡にならび「横手焼きそば」は横手観光の重要な目玉、となっているのが確認できた、な。では また。 close

第107景 〜横手城
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タグ 北海道・東北の城
投稿日時 2022-03-14 00:40:07

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