第106景 〜横須賀城の詳細

第106景 〜横須賀城
カメも歩けば城に当たる… 城跡酔夢譚
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記事タイトル 第106景 〜横須賀城
概要

今回は「横須賀城」だが、神奈川県の横須賀ではなく、静岡県掛川市に残る遠江横須賀藩の藩庁として明治まで存続した城跡のことである。この城、元はと云えば徳川家康がある目的のために築いた城だった!では早速行ってみよう。 横須賀城 (本丸跡) 静岡県掛川市西大渕 →Ma…… more p  平城   別名:松尾城•両頭城  築城主:大須賀康高  築城年:天正6年(1578年) 廃城年:明治元年(1868年)                       (撮影日:2017年11月)徳川家康が自ら選地、縄張りを行い、配下の大須賀康隆に築かせた横須賀城であるが、これには明確な目的があった。もちろん目的のない築城というものはないが。それは「高天神城をぶっ壊〜す!!!」じゃなく「高天神城を取り戻〜す」だった。奪われた高天神城の奪回こそがその目的であった。では先ず、その高天神城とはなにか?というところから。高天神城は掛川の南方8km、比高100m程の鶴翁山(かくおうさん)上に築かれた山城である。15世紀後半には今川氏家臣の福島氏が在城との記録がある。小規模な城ながら、山は急峻で難攻不落の堅城であった。また軍事戦略上の要衝であり、特に甲斐武田と三河徳川が争奪戦を繰りひろげた。永禄12年(1569年)家康の家臣小笠原長忠が入り、以来徳川の属城となっていた高天神城。武田信玄も攻略を試みたがついに落とすことができなかった城であった。しかし、信玄の後を継いだ武田勝頼は天正2年(1574年)二万の大軍をもって高天神城を囲み、ついに落城させ宿願を果たした。家康は要衝の城を奪われてしまったのである。(余談であるが、1980年の黒澤明監督作品「影武者」に、勝頼の高天神城攻めが出てくる。当時は今の城郭人気とは程遠く、城に詳しい人など少なかったこともあり、ロケ地の選択がかなり緩い!!! 突っ込みどころ満載ってやつである。天正初年の頃なのに、高天神城は高石垣と水堀を備え、チラッと天守まで出てしまう。(多分、伊賀上野城あたりでの撮影だろうか)他にも映画冒頭、信玄が狙撃される野田城。これも山中の小城のはずが、なんと熊本城の宇土櫓下でのロケ。清正の武者返し石垣がバチっと出ている。一見して判る姫路城、彦根城などもモロ出しなのが微笑ましい。もちろん、映画的表現であり、城がテーマではないことは十分承知している。当時は私も何の違和感も持たずに観ていた。作品を貶めるつもりはまったくなく、城好き裏話としてお聞きいただけたら幸いである)。閑話休題。高天神城を奪った勝頼だが、それも束の間、翌天正3年長篠の戦いで織田徳川連合軍に大敗を喫し、急速に勢いをなくしてしまう。家康には奪回の機会到来ある。その奪回戦の拠点、つまり付け城として築かれたのが、この横須賀城であった。さらに翌天正7年(1579年)より、高天神城を東から半円形に包囲するように六箇所の砦を構築する。高天神六砦(小笠山砦・能ヶ坂砦・火ヶ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村城山砦・三井山砦) 態勢整った家康は天正8年(1580年)7月浜町城から出陣し横須賀城に入った。総勢一万一千で高天神城を囲み、完全な兵糧攻めとした。守備側の高天神城は岡部長教(ながのり)以下1000人、家康軍の十分の一でしかない。勝頼も援軍を送ることができず、ついに城は落ちた。「高天神城の戦い」について話が長くなってしまったが、これにより家康は遠江支配を確実なものとし勢力を拡大した。そして横須賀城は「家康の出世城」と呼ばれたのである。その後、高天神城が廃城となり、横須賀城が遠州南部の拠点となった。慶長6年(1601年)に大須賀忠政が領主となり横須賀藩の立藩となる。以後は松平、井上、本多氏と続き最後は西尾氏8代まで280年余り続いて明治維新を迎えた遠江の名城であった。では、改めて現在の横須賀城を見ていこう。本丸跡に立てられた解説板に、立体ジオラマが添えられていて、縄張りとその特徴が一目瞭然とても分かりやすかったので、そのまま掲載してみた。横須賀城は平山城に分類できるが遠州灘に近く、海水を引き込み水濠を構築し直接船が出入りできる港(船着場)を持った海城とも呼べる縄張りだった。さらに横須賀城の特徴が、天竜川より採取した丸石を使った玉石積みの石垣である。一部の現存箇所を除いて、その殆どが現代工法での積み直しだと思うが、城域全体に復元されていて、なかなかの迫力である。玉 石河原から採取した丸石は遠目には全て似たように見えるが、近づいてみるとそれぞれに違った表情があった。天守台跡2代城主大須賀忠政の時、天守が建てられ、その後も数回の増改築を経て明治6年(1863年)の取り壊しまで、遠江横須賀藩を象徴する天守であり続けた。天守の礎石 南方向に遠州灘。現在は海岸線が少し遠くなってしまったが、当時は本丸のすぐ近くまで海が迫っていたのである。 北の丸から本丸方向では、今日の一枚(やはりこの石積みで) 玉石積みの石垣*(資料:手持ちの学研歴史群像シリーズNo.11「徳川家康」(1989年)に横須賀城と高天神城の戦いについての記事があり、大いに参考になりました)なお横須賀城へは、その後もう一度 行ってみたが、相変わらず訪問者も殆どなく静かな城歩きができた。車でのアクセスが必要だが、一見の価値あり、是非ご覧ください。では また  close

第106景 〜横須賀城
サイト名 カメも歩けば城に当たる… 城跡酔夢譚
タグ 北陸東海の城
投稿日時 2022-03-07 15:00:03

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