尾張 瀬戸山崎砦  信長方の品野城攻撃の一角の詳細

尾張 瀬戸山崎砦  信長方の品野城攻撃の一角
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 尾張 瀬戸山崎砦  信長方の品野城攻撃の一角
概要

尾張 瀬戸山崎砦 (愛知県瀬戸市品野町8丁目・五輪山)「城」と「砦」、明確な表現の違いははっきりとできないものです。その施設がどのような目的で機能したか?による規模やニュアンスも影響しますね。漠然と言えば「城」>「砦」>「陣」となりそうですが、この線引きも背景事情によりけり。しか…… more し「陣」に対して「陣城」・「付け城」とはある程度その区別けができそうです。何故かというと「陣城」・「付け城」にはそう呼ばれる遺構が残っていることが多いからです。今回訪問した瀬戸山崎砦はどんなもんでしょう?通称「五輪山」と呼ばれる小高い細尾根上先端部が山崎砦。品野城攻略のために織田方が「付城(つけじろ)」として築いた砦と伝えられています。以前は「山崎城」と呼ばれていましたが、近年では「城」という表現は改められているようです。南麓の民家の裏手に切石で積み上げられた「おがたの井戸」と呼ぶ古井戸も残っているとか。(現在廃屋の為、未確認)永禄元年(1558)品野合戦の際は信長の家臣・竹村孫七郎長方が守備しました。長方らは品野城を攻めたてましたがなかなか落とせずいました。逆に豪雨の夜、品野城の松平家次に奇襲をうけ織田方将兵ら50余人が討ち死・敗走したそうです。今川義元は松平家次のこの軍功を大いに称賛した、といわれます。近年まで辻口にこのような案内板がありました。(現在は撤去されています)織田方敗将兵らの供養塔と伝えられる五輪塔が祀られています。織田方将兵の供養塔と伝わる五輪塔と山神が祀られています。一帯は自然地形で人為的普請をなんら受けていない地山です。したがって「城」でも「砦」でもない普通の山だといえるでしょう。仮に織田方将兵らがここに駐屯していたとして、それは高台の「陣所」であったと思われます。しかも品野城を背にした位置取りで反対向きに陣を敷いていた、ということになります。備えもなく、これでは背後から急襲された場合、ひとたまりもないことは明白。これは自分の考えですが、陣の向く先は落合城方面に向いています。この場所は品野城ではなく目と鼻の先の落合城に対する付け城ではないでしょうか?。しかも前回記事の天白山に向けての陣取りのように思えてなりません。 close

尾張 瀬戸山崎砦  信長方の品野城攻撃の一角
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 瀬戸市の城めぐり
投稿日時 2022-03-06 01:20:05

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