尾張 落合城  削り取られてしまった城として、・・じゃこれは何?の詳細

尾張 落合城  削り取られてしまった城として、・・じゃこれは何?
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 尾張 落合城  削り取られてしまった城として、・・じゃこれは何?
概要

尾張 落合城 (愛知県瀬戸市落合町・天白山)城跡めぐりをしているとその位置が判明していない城、という城もよくあります。実際に存在したであろうとは思いますが、その記憶が曖昧になってしまったものか。分け入った山中でもそれらしい遺構を発見することができません。「城」だと言われている所に…… more それがなかったり(損壊を含め)。地名も文献もなく、絵図にも記憶からも忘れられた所にそれはあったり。元来そこだ、といわれていた城が実は違う場所だと判明したり。時にやや離れた所に行ってみると城の遺構では?と思えるような出会いもあります。もちろん、それをもって安易に「城」だとは言い切れないものですが。何にしても適切に把握して図化し、比較・検討していくことも大切だと思うのです。今回は道草歩きの中でそんな遺構との出会いがあった瀬戸市の落合城の訪問です。「城畑」と呼ばれる一帯が落合城の跡と伝わります。天文・永禄年間には戸田氏の居城としていますが今川氏の後押しによるものでしょうか。永禄3年(1560)信長の品野城攻めでは総攻撃を受けて品野三城(品野・桑下・落合)は落城。戸田直頼は三河・岩倉城へ落ち延びたといいます。中腹には溜池がありましたが、当時からのものかどうかは不明。一般的には、下品野小学校の北、水野川を挟んだ裏山が城址であったといいます。川筋変更の為、発破処理がされ、川辺りにあった壁のような巨岩も破砕したといいます。城跡は削られ遺構は消滅、中腹に溜池があるのはその名残りでしょうか?しかし古地図と比較してみると山自体の地形が変わるほどの改変はなったようです。河川変更は主に川筋の左岸、落合城の対岸一帯であったことがわかります。山の等高線も現在のそれとほぼ同じですが丘陵先端部だったら消滅は免れないでしょう。落合城から東に龍洞山久雲寺があります。この寺は曹洞宗・雲興寺末で永禄4年(1561)林三郎兵衛正俊が創建と伝えられています。元和6年(1621)に雲興寺14世居雲宗準大和尚によって寺号を龍洞山久雲寺と改め開山しました。近年、瀬戸市によって公開されているweb版百科事典・☞「瀬戸ペディア」で知りました。さて、その☞瀬戸ペディアには瀬戸市の全城跡も網羅してありますので大変参考になります。ここで落合城の位置に関して気になる記述があったので参考にさせていただきました。そこには旧来とは少し違う場所に落合城がある(あった)との一文が掲載されていたからです。「久雲寺の西丘陵に天白山が在り、そこがかつての落合城跡(別称に「天白の城」)である。」久雲寺の西丘陵に連なる天白山に落合城の手掛かりを求めます。そこでその「天白山」に早速登ってみることにしました。地元の方に麓の天白神社を教えていただきました。天白山は神社の道路を挟んだ西尾根続きの山(じゃないか?)だということです。まずは麓の天白社を訪ねてみます。陶磁器で有名な瀬戸市内にはあちこちに陶祖社も祀られています。ここからはちょっとした天白山冒険記事になります。山頂部手前には見上げるような切岸(状)地形が現れます。その手前には東側斜面に落とされる片竪堀と思われる遺構が。山頂部周囲は低いですが一段切岸によって段差を設けています。このあたりの遺構を見る限り、充分に城跡の要素を感じます。目にしたものを感じた時、震えが来たその時、一度測量をしてみよう!となります。測量して図面に落とす事は、必然城跡を隈なく測り歩くことにもなります。そこからどんな姿が浮かび上がるのかが・・実に面白い所でもあります。頂部平坦地の中央には東に向いた虎口が開口しています。北側からみた主郭部の高まりはダラダラした傾斜ですが整っているようにも見えます。全体的に藪が生い茂り、写真での伝達は難しいのでやはり図面がわかりやすいかと。山頂部一帯は南北約100メートル、東西約50メートルです。山頂部の平坦地は草木で荒れていますがほぼ平らかに削平されています。中央西に開口する虎口は坂道となりますが途中でルートがなくなっていて「?」北尾根へと続く窪地にも堀切と畝土塁がみられるが判別しがたくこれも「?」です。登城口方面、南面の片竪堀および切岸に関しては城郭遺構だと判断しました。メリハリの曖昧さは気になりますが全体の姿自体からは城郭施設を思わせます。あとこの山の位置ですが眼下は水野川と鳥原川が合流する地点。街道が交差する要所で多治見方面、品野方面、瀬戸方面、水野方面、赤津方面へと繋がります。落合地区、品野地区も全体に見渡すことができる位置にあり、久雲寺とも隣接しています。以上が今回の「落合城と天白山の調査ノート」となります。個人的には城郭目的の普請跡ではないか、という仮定を否定できないところです。また付け城のような簡易的施設のようにも見えます。近くには織田氏による品野城攻めの際の付け城も伝えられているので併せて検討したいです。近くに寄られることがありましたら是非登って見ていただきたい遺構です。また天白山について何かご存知の方がお見えでしたら教えていただければ大変光栄です。いろいろな道草からいろいろな引き出しを感じ大切にしていきたいと願っております。 close

尾張 落合城  削り取られてしまった城として、・・じゃこれは何?
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 瀬戸市の城めぐり
投稿日時 2022-03-01 00:40:29

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