美濃 東野陣屋(東野砦)  「陣屋」といっても城の匂いがプンプンいたしますぜの詳細

美濃 東野陣屋(東野砦)  「陣屋」といっても城の匂いがプンプンいたしますぜ
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記事タイトル 美濃 東野陣屋(東野砦)  「陣屋」といっても城の匂いがプンプンいたしますぜ
概要

美濃 東野陣屋(東野砦) (岐阜県恵那市東野染戸)毎回記事の書き出しにあたって、前振りは何書こう?と考えるのです。そんなん、誰も読んでくれないのに・・。時事ネタは書きたくないなぁ、下ネタはもっとダメだな・・、とか(論外ですね(;^_^))。奥方:「いいわねぇ~、城のことばっかり考…… more えれて(♯`∧´)」考えすぎて奥方の問いかけにも上の空、ついつい適当な返事をしていることも・・。そう言いながらこたつで横になり、ボリボリとせんべい食べながら韓ドラをみているアナタ。お互い様だと思うのですが・・今日も平和な居間でございます。さて、平和といえば太平の世に築かれた城郭施設として「陣屋」が存在しました。石高1万石未満の大名・旗本たちの役所ともいえる施設でもあります。城ではありますが防御施設が軽微で「あまり魅力を感じない」という方も多いと思います。自分も正直申しますと陣屋は戦闘意識が感じられず、あまり興味が湧きません(暴露)。ただ、一口に「陣屋」といっても大小様々、構築遺構も様々、時代によっても様々。今回は恵那市に伝わる「東野陣屋」を訪ねてみました。西から眺めた東野陣屋の丘。河岸段丘上の丘陵地が続く台地に築かれています。丘陵地の先端部、ではなく途中箇所を選んで築かれた珍しい立地といえます。上の写真でもわかりますが深い空堀跡で城地が画されているようです。おそらく堀底だったと思われますが、現在は生活道路として改変・利用されています(北側)。主郭部の北にあたる弘法堂。染戸の五輪塔が安置されています。『恵那市史』によると天正元年(1573)織田信長と遠山氏が武田氏に対する備えとして築いた砦とし、『巌村府誌』では東野の「御所前」は遠山氏の「古府」があった場所だと述べらているようです。しかし詳しい来歴はわかっておらず、江戸時代の「陣屋」とはまた別の意味なのかもしれません。信長・遠山氏による武田対抗用城砦と伝わる城は神箆城や小里城などを除きそのほとんどが確たる遺構を持ち合わせていないので類例が乏しいです。北側の堀へと続いている水路。北側の堀はこの延長上にあるので侵食された谷を掘り込んだものかもしれません。(或いは掘り込む予定が、何らかの理由での普請中断も)東側の入り口に立つ案内碑。貴船神社の入り口あたりに立っています。陣屋内部へと続くあぜ道がありますが、個人敷地内です。一声お掛けして失礼なく見学させていただきます。東からみると鬱蒼とした森となっています。陣屋の南に隣接する貴船神社。こちらからのほうが見学しやすい。神社の北側には低いですが土塁が巡っているように見えました。(;゜0゜)!、足元が急にストン、と落ちて深い空堀へと。幅は約8メートル、深さ4メートル弱の大きな空堀です。遺構が良好に残っているここ南側空堀では長さ約50メートルも続いています。堀底に下りてみるとその規模の大きさがよくわかります。こちらは草木で荒れていますが主郭内部の様子です。現在の主郭内部はかなり荒れており、非常に見学困難でした。雨上がりに訪問したせいで枝先に残った水滴に攻撃され服はビショビショ・・。作図紙面もべたべたに・・。でも「俺は負けない!、プロレスの星、アステカイザー!」・・先に進みますね。主郭西側に城址碑(陣屋址碑)が示されています。「陣屋の跡地」とあります。主郭内部の土塁の内側には石垣も見られます。土塁内側、コーナー部の積み石の様子。雑な落とし積みで仕上げてあるようで心もとないです。おそらく後年の改変によるものだと判断しますが不明。石積みでコーナー囲いした空間になっています。東側の空堀は1ヶ所クランクがかけられ横矢掛け効果が期待。こちらは比較的見学しやすい北側主郭内部。畑地になっていた形跡です。規模は約50メートル四方の方形を成した単郭です。東から南にかけては土塁と空堀が取り巻いています。冒頭であげた北側にもおそらく同規模の空堀が東側から巡っていたものでしょう。土塁南東部の角地は櫓台状になっています。改変で崩れてしまっていますが東側には空堀をまたぐ形で土橋と虎口の存在を想定します。埋まった部分もある程度復元できそうな残存状況だといえましょう。陣屋には不似合いとも思える大きな空堀。付近を含め平地におけるこれだけの規模の空堀・土塁は貴重な遺構といえます。伝承にあるような織田・遠山氏による対武田への対抗用砦と考えるには・・、その普請量もさることながら、守備意識・立地的にもやや疑問です。むしろ逆に武田氏による台地展開型を目的とした城だったのではないか?などと推測するほうが・・すんなり解釈できそうです・・(個人的意見)。付近には馬場・大門・堀内・公文橋などの地名が残っています。恐らくですがそれらを含めたさらなる外郭の展開予定もあり得たかもしれませんね。地籍図・現況共にそういった形跡は見られませんが、将来展望としてはどうだったのでしょう?丘陵地の途中箇所を選んだのもそういった展望があったからではないでしょうか。いま一度中世城郭として見つめ直してみたい東野陣屋だと思いました。西側を流れる小川もかつての自然堀を連想させます。 close

美濃 東野陣屋(東野砦)  「陣屋」といっても城の匂いがプンプンいたしますぜ
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 恵那市の城めぐり
投稿日時 2022-01-21 01:00:09

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