偉大なカリスマと「原城」の詳細

偉大なカリスマと「原城」
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記事タイトル 偉大なカリスマと「原城」
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JUGEMテーマ:お城   こんにちは、 何とか無事に日々を過ごしているゆうりです。 感染者数も日に日に減少しており、大手を振って旅行に行ける日を心待ちにしています。   そんなゆうりが、 本日お届けするのは、続日本100名城の16城目、 &…… more nbsp;     No.188原城です!   登城日は令和三年七月 ゆうりの西九州の旅で訪れました。   まずは、先日の大雨の影響で被害が出てしまいました。 この災害で被災されたすべての皆様に謹んでお見舞い申し上げます。 一日でも早い復興を祈念しております。   私が訪れたのは、その災害が起こる前。 現在は異なる点があるのかもしれません。   原城といえば、島原天草一揆です。 島原の乱とも呼ばれています。教科書類では島原の乱の方が多いはずです。 島原と天草でほぼ同時に発生した一揆勢が合流し、この原城に籠城しました。 彼らは、この地で何を願い、何を思い、籠城という作戦に出たのでしょうか。   島原城でキリシタンへの抑圧と民衆への圧政を学んだゆうりは、 レンタカーを走らせて海沿いの街を行きます。 途中に見えるのは、静かな海と島原鉄道の廃線跡。 有馬氏に関する遺跡を通り過ぎながら、国道を南下。   進行方向右手に原城跡の駐車場とバス停が見えました。 こちらからも歩いて本丸に向かうことができます。 今回は、もう少しだけ車で先に行きます。   駐車場を通過して、遺跡の中を走っていくと、 途中には、途中で戦死した板倉重昌公の塚もあります。     彼は、一人目の幕府上使として派遣された人物です。 島原城攻撃に失敗(目的を攻城とするなら失敗、略奪とするなら成功)した一揆勢は、 先述の通り、この原城に籠城しました。   このお城は、有馬氏のお城。島原城築城の際に廃城になったばかりのお城です。 お城自体は、資材等が島原城に流用されたとされていますが、 発掘調査によって、ある程度の機能は残されていた可能性も指摘されています。   そんな、一揆の発生を知った幕府が派遣したのが板倉重昌です。 三河の深溝藩主。石高は一万五千石。役職は御書院番頭。親衛隊の隊長の一人です。 何万の軍勢を率いるには、本人の能力以前に、役職としての力不足が否めませんでした。   結果は、幕府軍の統率はとれず、籠城側は天草(益田)四郎時貞のカリスマ性と、 上層部の統率力により、幕府軍の被害は増えるばかり。   幕府は二人目の上使を派遣することに決定しました。 その方こそ、老中松平信綱。忍城三万石の城主です。 本来は、戦後処理の派遣でしたが、決定後、板倉重昌が戦死したため、総大将となります。   板倉重昌は、松平信綱が派遣されることを知って、焦って総攻撃に出たため戦死した、 と言われています。 あまり、良いイメージをもたれていない方ではありますね。 この塚の場所も、本丸とはだいぶ離れています。 激しい戦闘が繰り広げられていたのでしょう。     城跡(一枚目の写真からわかる通り広い草原)を車で走らせること一分。 分かれ道です。 右手に行けば、本丸。一枚目の写真に写っている高い場所が本丸です。 左手に行けば、原城温泉真砂さんの駐車場。 今回は車なので左へ進みましょう。   右手の本丸前にも駐車場はありましたが、訪れたときは閉鎖されているみたいでした。 原城温泉真砂さんで、レンタサイクルを借りれるようなので、そちらへ向かいます。   外は非常に暑いです。 ここから、本丸まで歩いて15分ほど。 暑すぎてレンタサイクルでも熱中症が怖ろしいほどです。   広大な草原を歩いていると、ちょうど中間に小さな小屋がありました。 一休みできるのはありがたいです。 暑さを回避しながら、何とか本丸にたどり着きます。     この地が原城の本丸跡です。 この広い空間を少し先へ行くと、     綺麗な海が一望できます。   そして、同じく、この本丸にいらっしゃるのが、     天草(益田)四郎時貞 一揆勢のカリスマです。   彼は、天草の一揆勢がその旗頭に定めた人物です。 元は、小西家の家臣、益田家の人と考えられています。 一揆勢首脳部は、彼のカリスマ性を極限まで高めて、求心力としました。   実際に指揮をとったかどうかは定かではなく、 ある種の存在するだけで人々を惹きつける何かによって、一揆勢をまとめ上げていました。 それを世の人はカリスマ性と呼ぶのでしょうか。       そもそも、この島原天草一揆には、大きく分けて三つの勢力が共存していました。   一つ目が、キリシタンです。 実際に、一揆勢の中心であり、天草四郎時貞をはじめ、一揆首脳部はキリシタンでした。   二つ目が、天草の寺沢氏(唐津城主)と島原の松倉氏(島原城主)による圧政に耐えかねた民衆です。 小豆島で見つかった壺井家文書にも、松倉氏改易の要望が書かれています。 (幕府軍が小豆島から船団を徴収した歴史的背景からも本物だと考えられています。)   三つ目が、強制的に参加させられた集団です。 地域住民一丸となって一揆を組織するため、家族が人質とされたり、捕虜や連行されて参加せざるを得ない集団が多くいました。   そんな彼らをキリスト教の考えを用いて一つにまとめ上げたのは、 天草四郎時貞(もしくは、彼を祭り上げた首脳部)のカリスマ性によるものなのかもしれません。   しかし、長期の籠城戦によって、彼らの一枚岩も崩れていきます。 幕府軍は、矢文によって何度も投降を呼びかけます。 かれらが、雑多な集団で、真の意味で一枚岩ではないことを見抜いていたからです。   その効果もあり、徐々に投降者も増えてきていました。 水を汲みに行くと言って投降したものも数知れず。 特に三つ目の集団に属していた人物は、次々と離脱を試みました。   福山城主水野勝成の具申を受け、総大将松平信綱は、最後の総攻撃に出ます。 結果は、万単位の一揆勢を全滅に追い込むものでした。 発掘調査を行うと、かなりの人骨が出土します。 天草四郎時貞をはじめとした首脳部も打ち取られました。   ここに、島原天草一揆は終結したのです。 戦後、松倉勝家は斬首(江戸時代、切腹ではなく大名の斬首はこの一件のみ) 寺沢堅高は、天草没収、出仕停止の後自害となります。   また、この島原天草一揆は書物となり、広く読まれることで更なる影響を及ぼします。 幕藩体制の首脳部は、苛酷な年貢取り立てへの自制、キリシタンへの弾圧をゆるめる(天草崩れ)など、民衆を追い込まないようになるきっかけとなりました。 また、民衆も隠れキリシタンの更なる秘匿化など心理的に影響を及ぼしたとされています。       本丸から、階段を下りて道へ戻ると、 本丸の入り口付近には、このような小屋があります。     原城跡の案内所です。 ここに来るまで存在を知りませんでした。 スタンプもここで押せますが、不定期で存在するらしいです。   さぁ、車に戻り、次の目的地を目指しましょう。 そう、原城と島原天草一揆のことなら、この場所。     南島原市有馬キリシタン遺産記念館です。 原城跡から、車で10分ほどのところに位置します。   この場所で、有馬氏の歴史、キリスト教と一揆勢の話がよく分かります。 あの壺井家文書も展示してある一大スポットです。 上記の内容は、この地で学んだことです。   こちらで続日本100名城のスタンプを押して、ミッションコンプリート。 急ぎ、レンタカーで諫早駅を目指しましょう。 くれぐれも時間には余裕をもって…。   ☆お城データ☆ 城所在地:長崎県南島原市 交通手段:島原鉄道島原駅より、加津佐海水浴場前行きバスで60分「原城前」下車15分。 スタンプ:原城跡案内所(不定期)、南島原市有馬キリシタン遺産記念館   お城巡りランキング   次回は、ゆうりの太平洋北上の旅をお届けします。   close

偉大なカリスマと「原城」
サイト名 ゆうりの世界
タグ 続日本100名城
投稿日時 2021-09-18 04:20:17

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