松ヶ嶺城 栃木県矢板市の詳細

松ヶ嶺城 栃木県矢板市
古城巡り2015
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記事タイトル 松ヶ嶺城 栃木県矢板市
概要

松ヶ嶺城@Googl永正年間に塩谷孝綱によって築かれたとされる。一方、文明10年(1478年)正月18日、宇都宮正綱の四男弥五郎(弥六郎)が養子として塩谷氏に入った際、付家老として岡本重親が塩谷の地にやってきて居城として築かれるともいう。具体的な年代は不明であり、塩谷の地に入って…… more すぐに築かれたとは考え難いが、文明10年(1478年)以降の15世紀末期の内に築かれたものと考えられている。重親、正重、正親と3代経て、松ヶ嶺城が戦場となることは一度もなかったが、2代正重、また、正親が一時塩谷家を追放されていた天正13年(1585年)3月25日には、正親の弟氏宗が那須氏との戦いで討死するなど、城主には不遇が多かった。ただ、松ヶ嶺城は城地が狭く、天然の水堀となっていた城の東を流れる中川(ちゅうかわ)は、通称「バカ川」と呼ばれるほどに氾濫を繰り返し、城下の松小屋の人々を苦しませていたため、塩谷氏から独立すると、正親は居城を泉城に移し、松ヶ嶺城を廃城とした。しかし、城があった山は、寺地山、寺中山などと呼ばれており、松ヶ嶺城の南側にあった岡本氏の旧菩提寺である慈光寺は、元和2年(1616年)まで存続していたため、廃城後も慈光寺の敷地という名目で、実質的には有事の際に使われる詰め城、あるいは陣城などとして、寺が廃寺になるまで機能していたのではないかと考えられている。㊟イメ-ジ図になります(*・`ω´・)ゞ『矢板市史』によると、城跡は、寺中山、寺地山、城山、古城などと呼ばれているが、城下町である松小屋が城の廃城後に衰退し、現在は完全に廃村となってしまっているため、当地が城跡であることを知る人は地元でも少ない。ただ、城郭遺構は、一部を除いて、ほぼ完全に残っている。その主郭には、かつて愛宕神社が建てられ奉られていたが、大正時代に入って、城の北東にある箒根神社に合祀された。北からの遠景この橋を渡り、登城口を確認し踏み跡を見ながら藪へ・・・・1本目の堀切 小さいので見逃しやすいが、両サイドに堀が見える郭5 最初に見える広い郭2本目堀切 郭5先2本目堀切南から土橋有り郭2郭2 北がの土塁主郭 北から主郭 西側の土塁郭4郭3と主郭の城塁 切岸南の郭 郭2 東主郭西側の堀切主郭西側の堀切郭2からの展望西の郭を望む改2021.8.12登城 前日雨大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキング close

松ヶ嶺城 栃木県矢板市
サイト名 古城巡り2015
タグ 栃木県
投稿日時 2021-08-14 01:20:02

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