美濃 祐向山城  龍興も逃げ込みここで頭を冷やしたのでしょうか?の詳細

美濃 祐向山城  龍興も逃げ込みここで頭を冷やしたのでしょうか?
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記事タイトル 美濃 祐向山城  龍興も逃げ込みここで頭を冷やしたのでしょうか?
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美濃 祐向山城 (岐阜県本巣市法林寺~岐阜市掛洞・祐向山)山口城から法林寺城へと渡って更に祐向山(いこうやま)城を目指します。法林寺城までは整備された遊歩道でしたがここから先は自然の尾根道。それでも自然歩道としてはかなり手が行き届いた歩きやすい山道(だと思う)です。祐向山城への途…… more 中尾根道にて。標高差もさほどない風通る平坦な尾根道は静謐。歩きながら物思いにふける時間・・。いにしえにはこの道をどれだけの将兵たちが往来したんだろう?・・そーいえば・・。半兵衛くんに追われた龍興ちゃんもここに逃げてきたんだったっけ・・。永禄7年(1564)2月竹中半兵衛重治と安藤守就の軍勢によって居城・稲葉山を追われた斎藤龍興。酒色に溺れて政務を顧みず、家臣らの諫言も聞き入れないことに発したこの事件。龍興は約半年間この祐向山城~揖斐城に逃避していた、と伝わっています。「そんなことしてたらどこの家のオヤジでも放逐されるわなぁ・・。」ちらっと我が家の諫言女史・奥方のほうに目をやりますと・・何?なんで睨み返してる??やめてくれませんか、その不明な目つき。しょんべんちびりそうなんですけど・・(゚△゚;ノ)ノ。・・さてそんなことはどうでもよく(よくないな・・)祐向山城へご入城で~す。法林寺城方面から登るとまず堀切にさしかかります。中央部に土橋が設けられている他に途中堀底にも小土橋が2~3確認されます。これが堀底内の障壁として利用されたものとみる見方もできる一方で。土橋同士の間隔がせまいので或いは土橋間を天水溜池として利用したものでは、との意見も。でもそのままでは水が地中に沁みていくので木桶でも用意したのでしょうか。このような堀底障壁を有する城として近辺では長山城(岐阜市芥見)の他小野城東出丸(関市小野)などにもみられます。どこも城域の端部の堀切底に設けられれているのは何か意味ありげで気になります。堀切・土塁を越えるとほぼ自然地形なんですけど曲輪としての削平地が続きます。南側に一段差を設けて曲輪としていますが北側はほとんど手付かずの状態。竪堀っぽい谷(竪堀かも?)を取り込んで南側にのみ少し防御意識がみられます。約100メートル弱の長さがありながらこれといった防備はみられない空間です。本丸と思われる山頂部手前に再度の堀切。上から見た感じ。踏み跡の土橋両脇が堀切となっています。祐向山山頂部一帯は広い削平地となっています。「祐向山」は”いこうやま”と読みます。自分はここのプレートのふりがなを読むまで「ゆうこうやま」だと思い込んでいました(恥!)。当時の文書にも漢字をそのまま仮名に書き違えた記録書もあるようです。この日頂上からは北側の方面が見晴らしが良かったです。(といっても小雨降ってまして)残念ながら岐阜城は木々の間からチラっとしか見えなかったのですが・・。本来なら御望山越しに稲葉山の岐阜城もはっきりと見えるのでしょう。城を追われた斎藤龍興と家臣たちもここから奪還を画策していたのでしょうか?おそらく定期的に手入れされていると思われる山頂部です。山頂部にある平岩・長屋氏の図面を参考にさせていただき作図をしてみました。楕円形の曲輪の西側に土塁がめぐっていました。また切岸はやはり西側に固くかけられているのに対し東側はほぼ自然傾斜。本丸を取り巻くような腰曲輪も見当たらず極めて簡素な感じです。西側の2条の大きい堀切に対して東側の小さな堀切は見落としそうなほど・・でした。則松・秋沢方面から祐向山を眺めます。文珠山城砦群の中では一番標高が高く奥まっているのが祐向山城です。尾根伝いに法林寺城・山口城と掛洞城を両脇に従えているようにも見えます。ただしこちらからでは法林寺城以西の姿を見ることはできません。法林寺谷の旧毘沙門堂跡と伝わる「桂の御神木」。祐向山城の山麓・法林寺谷にはかつて「祐向寺」という中世寺院があったといわれています。現在でも法林寺谷には元毘沙門堂があったとされる平場が残っています。注連縄(しめなわ)がかけられた「桂の御神木」と根元に五輪塔が安置されています。山中には大きな密教系の中世寺院が存在していたことを伺わせます。さて、稲葉山城から逃れた斎藤龍興でしたが約半年後に稲葉山城奪還に成功します。これは半兵衛が龍興を諌め諭し、稲葉山城を返還したともされます。また龍興支援勢力による反撃により稲葉山城を放棄、結果返還したとも考えられています。いずれにせよこの事件を機に織田信長は美濃への布石を一層強めていくことになります。割れた家臣団(特に西美濃三人衆)の取り込みを進めていきました。遅かれ早かれ龍興には美濃を維持することはできなかったことでしょう。祐向山城は「龍興の逃げ込み城・・」。そんなゴシップ的な評価以外にも逃げ込む訳があった重要な城だったのかもしれません。実在の可能性が高いといわれる祐向寺の存在も関係ありそうです。道三以来の斎藤家との繋がり深い城であったであろうことも想像できました。城跡で考える遺構や舞台裏といったいろんな想像。家庭内で読まなければいけない不条理な視線やいろんな空気。どちらも大切ですね、自分は放逐されないぞ!(´∀`*;)ゞ。 close

美濃 祐向山城  龍興も逃げ込みここで頭を冷やしたのでしょうか?
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 本巣市の城めぐり
投稿日時 2021-05-23 01:20:03

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