第414回:萩城(幕末志士の多くを輩出した毛利氏の本拠)の詳細

第414回:萩城(幕末志士の多くを輩出した毛利氏の本拠)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第414回:萩城(幕末志士の多くを輩出した毛利氏の本拠)
概要

訪問日:2019年10月萩城は山口県萩市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。背後の指月山(しづきさん)の麓に建てられ,山上に詰丸もあることから指月城とも呼ばれます。1600年 関ケ原の戦いで西軍総大将となり敗れた毛利輝元は大幅に減封され安芸など計8…… more か国の大大名から長門・周防二か国の大名となり,広島城からこの萩に本拠地を移しました。戦国時代には吉見氏の城があったそうですが,指月山山麓から干潟を埋め立て大規模な城下町建設。さらに山上には有事に備えた詰丸を備えるなど現在も広範囲に遺構が残ります。1863年 幕末の毛利敬親(もうりたかちか)が本拠地を山口城移したことにより本拠地としての機能を終え明治維新を迎えています。  ◆大正時代に造られた運河である指月川越しに詰丸(山城部)のある指月山を見ています。この運河からは萩の町を巡る萩八景遊覧船が運行されており海側から萩城を見ることもできます。◆中心部に向かう最初の遺構は二の丸南門跡です。実質の大手門と言ってよいこの門は屈曲を繰り返す二重枡形構造でした。  ◆当時,二の丸南門の前のこの部分には中堀がありましたが現在は埋め立てられております。◆二の丸南門の枡形に進入します。右,左,右と屈曲していきます。  ◆本丸正面に到着。現在も内堀は水を湛え,立派な石垣は現存しております、奥に見える山は詰丸のある指月山。本丸は指月公園として整備されています。◆正面入口から見て左手の一際目立つ遺構は天守台跡です。  ◆内堀を渡る極楽橋は本来は木橋であったそうです。◆本丸内門跡も枡形構造です。  ◆本丸石垣の内側はこのように雁木と呼ばれる石段が残っています。ここを一気に駆け上がって上から敵を射撃するわけですね。◆先ほど外側から見た天守台跡です。  ◆天守台跡の上に残る多くの礎石。◆天守台跡から東側を見ると先ほどの雁木を備えた石垣が本丸内門まで続いています。  ◆天守台跡の西側は内堀が入り込んできている様子がわかります。◆天守台跡を西側から見ています。  ◆指月公園内を散策します。花江茶亭(はなのえちゃてい)は13代藩主の毛利敬親(もうりたかちか)が三の丸の花江御殿に造った茶室です。明治時代の1887年にこの場所に移されています。◆花江茶亭のとなりにある旧梨羽家茶室(なしわけちゃしつ)は重臣であった梨羽氏の茶室を明治時代にこの場所に移したものです。  ◆旧福原家書院(ふくばらけしょいん)は室町時代から毛利家を支えた重臣で江戸時代は家老の役割を担った,福原氏が三の丸に構えていた書院を明治時代に移築したものです。◆志都岐神社に向かうところに架かる万歳橋は藩校として有名な明倫館にあった石橋を移設したものです。  ◆志都岐神社(しづきやまじんじゃ)には歴代藩主が祀られています。五柱として祀られているのが草創期から江戸時代初期の毛利元就、隆元、輝元、幕末の敬親、元徳です。◆東園(とうえん)は六代藩主 毛利宗広が古くからあった池を利用して造らせた庭園の遺構です。一度,埋められてしまいましたが現在は復元が進んでいます。萩城は山麓の部分でも広大な城域を誇っていましたが,加えて戦時に備えた山城部分の詰丸が指月山に築かれていました。  ◆15-20分程度,山道を登っていきます。◆詰丸の大手口にあたる要害門に到着です。山城もしっかり石垣造りとなっています。  ◆要害門もしっかり枡形構造になっています。◆要害門を内側から見ています。  ◆山上に登ると大きく二つの曲輪に分かれています。◆目を惹くのが矢穴の開いた石垣石が転がっていることです。  ◆この矢穴石でかい。 途中で割るの諦めたのでしょうか。◆籠城に備えるために山城にとって水は命ということで貯水槽がいくつか残っています。  ◆ここも規模の大きい貯水槽。◆こちらは案内板に埋門とある東側の門跡です。  ◆山を下りてきて二の丸の海に面した東側の遺構を見ていきます。写真は潮入門跡。◆海沿いに復元された二の丸土塀。  ◆海沿いの石垣に沿って北に進みました。足場が悪く厳しかったので海から船で見るのが良いかもしれません。◆二の丸の最北端を守った三摩地院櫓台跡(さんまちいんやぐらだい)の石垣が見えてきました。この間には埋門がありました。北矢倉の呼び名もあるようです。  ◆二の丸の東辺途中に設けられた枡形,仕切門があったのでしょうか。◆こちらは二の丸東門跡の枡形。  ◆ここからは三の丸に広がる侍屋敷跡等を見ていきます。写真は萩城の駐車場の前に残る旧厚狭毛利家萩屋敷長屋で国重要文化財に指定されています。◆旧天樹院墓所(萩藩主毛利家墓所)には毛利輝元の墓所です。  ◆旧毛利家別邸表門は最後の藩主である毛利元徳が明治時代に鎌倉に建てた別邸の表門で1974年に現在地に移築されています。◆問田益田家旧宅土塀は城内に残る最も長い土塀です。  ◆御成道と呼ばれるこの筋が参勤交代も通るメインの道路だったそうです。◆旧福原家萩屋敷門。福原氏(ふくばらし)の本拠地は宇部でしたが萩における上屋敷の門です。江戸時代中期の建築と考えられ一般的な長屋門形式をとらない珍しい形式です。県指定有形文化財となっています。  ◆旧二宮家長屋門。二宮氏は美祢に領地を持つ家臣でしたが,当主の一人であった二宮就辰(にのみやなりたつ)は萩城の普請分業を務めています。◆口羽家住宅は国指定重要文化財となっており上級武士が居住した堀内地区で唯一門と母屋が残っている貴重な文化財です。  ◆口羽家住宅より東に進むと直角に二度曲がる特徴的な道があり堀内鍵曲(ほりうちかぎまがり)と呼ばれています。屈曲した道で進軍速度を鈍らせ,土塀で囲われ見通しを悪くしています。◆旧明倫館跡。この場所に元々の藩校明倫館がありました。  ◆この場所に3つある三の丸への入口でうち,南の入口にあたる平安古の総門がありました。◆城下より平安橋で外堀を渡ると平安古の総門に至りました。この橋は18世紀の石橋だそうです。  ◆平安橋が架かる南側の外堀。これより外側が城下,内側が三の丸です。◆平安橋より少し北上するとある旧児玉家長屋。戦国時代から毛利氏に付き従った児玉氏だけに白壁となまこ壁の立派な造り。  ◆旧児玉氏長屋から西に進むとある旧梨羽家書院。 県指定有形文化財の貴重な建物なのですが,朝早すぎて中は見ることが出来ませんでした。◆旧祖式長屋。祖式氏は宇部に領地を持つ家臣で初代藩主の側近もつとめたことのある家柄です。  ◆大野毛利家の屋敷跡にある萩博物館は2004年に従来あった萩市郷土博物館の移転として建てられました。萩の町の情報を集めるにあたっての中心的な場所となります。博物館の前にはこの町出身の元首相 田中義一の銅像もあります。◆萩博物館の前には東側の外堀があり三の丸への一口の一つ中の総門がありました。三の丸への入口の3つの総門の中でも北東側にある北の総門は案内のように土塁や門の復元が進んでおります。    ◆外堀と北の総門の門,土塁,土橋,船着き場等の様子です。◆門の前は外枡形となっております。  ◆続いて三の丸(堀内地区)の北部分に残る遺構ですが,写真は旧益田家物見矢倉。家老もつとめた重臣益田氏の物見やぐらが残っており,北の総門を出入りする人を見張る役目があったとか。◆旧繁沢家長屋門(はんざわしながやもん)。繁沢氏は毛利氏の分家である家柄でした。  ◆旧周布家長屋門(すうけながやもん)。周布氏は重臣である益田氏の分家にあたる家柄です。◆ここからは外堀の外側,いわゆる城下町を少し見ていこうと思います。菊屋家住宅は萩藩御用達の豪商でひときわ目立つ白壁となまこ壁の建物は城下町の代表的な建築物です。  ◆雰囲気のある菊屋横丁。◆菊屋横丁を進むと高杉晋作生家がありました。奇兵隊を組織したことで知られる高杉晋作は説明不要の有名人ですよね。  ◆こちらも幕末の超有名人の木戸孝允の旧宅。桂小五郎の名でも知られ,西郷隆盛や大久保利通ととも薩長同盟の立役者として知られます。◆木戸孝允旧宅のある江戸屋横丁も風情があります。お城だけでも平城部分と山城部分。町並みは城内になる堀内に加えて城下町までを含めて丁寧に見て回ると考えるととても一日で足りるボリュームではありません。日本人なら一度は訪れたい町だと思います。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第414回:萩城(幕末志士の多くを輩出した毛利氏の本拠)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 山口県の城郭
投稿日時 2021-04-18 01:20:02

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