美濃 堂洞城  織田信長、中濃攻略の鍵となる激戦地の詳細

美濃 堂洞城  織田信長、中濃攻略の鍵となる激戦地
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 堂洞城  織田信長、中濃攻略の鍵となる激戦地
概要

美濃 堂洞城 (岐阜県美濃加茂市蜂屋町下蜂屋、富加町加治田)4月に入り新しいスタートが始まりました。我が家庭でも三男が入社式を迎え新社会人としてデビューしていきます。親バカながらこの晴れの日を迎えたことはとても感慨深いものがあります。朝の起床も早くこれから覚えることも多い大変な日…… more 々が続いていくことでしょう。家では少しでもリラックスできるようにしてあげたいと思っています。そしてどうか善き先輩上司や同僚に恵まれることを祈る日々です。さて、そんな自分は良き上司ではなく良き城址に恵まれんことを祈る日々・・。・・考えた割にはパッとしないどうでもいいダジャレが自分でもウザい・・。今回は春の小径、美濃加茂市・強調文富加町間の堂洞城を歩いてみました。堂洞城を夕田地区から眺めた姿です。堂洞城をめぐる戦いを漫画で読んでみても面白いです。上の書籍は美濃加茂市・坂祝町・富加町で共同発行された『夕雲の城』という本です。史料に基づいた考察と読みやすい漫画でとてもわかり易い内容となっています。単に織田と斎藤という武士同士だけではなく寺社や商人との関りにも注目しています。そしてこの時代の信義や信念、人の命の重みとは、を改めて問いかけています。もちろん信長の強い決意や堂洞城主・岸氏らの活躍も活き活きと描かれており。読んでから行くか、行ってから読むか・・、どちらでも楽しめそうです(角川パクリ)。こちらは伝・大手口とさる夕田口にある案内看板。途中の折れ曲がりポイントにも表示がされて行きやすいかと思います。こちらは城の南方面・下蜂屋にある石碑の入口案内。こちらの石碑は昔からあって城の存在を示していました。ここからひたすら北へ道に沿って進みます。池を通り過ぎ、さらに登り切ったところが城内への入口となります。堂洞城主郭部周囲はゴルフ場に囲まれています。城跡はクレセントバレー美濃加茂CCのコース敷地内の中。周囲のコースから取り残されたように残っています。「ナイスショット!!」・・なんて声がかすかに聞こえてきたりして。頂部の道を北に進めば主郭へ、南には八畳岩が鎮座しています。写真を撮るために車を入口脇に停めましたが、ここはコースの管理道。道を塞ぐことになってしまいますので、南の給水タンクのあたりに駐車すると良いかと。普通車でも充分停められると思います。手入れされた林を進んでいくと土橋状の道もあります(城の遺構ではないでしょう)。主郭部手前に土橋と堀切状になった窪みがみられます。堀切のようにも見えますが、う~ん・・実は微妙。さほど深く掘り切っておらず自然地形と人口掘削の半々、といった遺構のよう。積極的に堀切と言うには抵抗がありますが、堀切に相当する遺構といったところです。説明版が立つ広い曲輪が本丸です。本丸に立つ石碑には「南無阿弥陀佛」と刻まれています。 ここは以前から何回か来ている城ですが最近の整備でかなり見やすくなりました。加治田城でセットで訪問するとわかりますがとても見学しやすいです。地元自治体一体となった定期的な整備の賜物でしょうね。以前は説明版も読めない草ぼうぼうの本丸だったのに。説明版も新しくなって読みやすくなっていました。本丸相当部は削平・切岸ともにあいまいな加工で済ませてあります。永禄7年(1564)加治田城主佐藤紀伊守忠能・忠康父子らは斎藤龍興から離反。尾張の織田信長の中濃進出に呼応・同調する意思を示します。これに対し城主の岸氏・多治見氏らは長井氏の指示のもと堂洞に付城を構築。加治田城封鎖の目的と南からの織田軍に備える構えをとります。城は短期間の普請もあって極力自然地形を活かした縄張りとなったと思われます。ほとんど手を加えなくても城になってしまうような要害が堂洞城でした。しかし堂洞城の岸氏は佐藤紀伊守の裏切りに対し憤慨。人質である八重緑を串刺にし長尾丸山に磔にしたといいます。長尾丸山は現在でも加治田城から目と鼻の先に見える細尾根です。曲輪の法面は加工したというより露岩があらわになっています。北の尾根には加治田城を睨むような出曲輪もあります。ここからはゴルフ場コース越しに加治田城全体がよく見えます。北曲輪には不明確ではあるものの折れ虎口と思われるような遺構もみられます。本丸南の岩場は岸信周が酒宴を催したと伝わる八畳岩です。一見アツアツの超巨大鉄板あらびきハンバーグのよう。最近とんと食べていないせいもあって美味しそうに見えてしまいます。例によってドヤ顔でシャウト。「ハンバァーーーーグ!!」。・・どうやら周りには誰もいなかったようで安心しました。自然地形を活かした中にポイントも見られる付城・堂洞城。本能寺の変後、斎藤利堯と森長可による加治田・兼山合戦も繰り広げられました。その際にも堂洞城跡は森長可の加治田攻城戦の本陣として使用されたそうです。やはり自然地形がそのまま利用できるような陣場だったのかと思われます。時間があったので堂洞城の向かいの夕田茶臼山古墳にも寄ってみました。夕田山古墳は山頂部に立地する3世紀前半代の前方後円形を呈する古墳です。発掘調査により旧地形や墳丘の築造工程を復元できた例として貴重な墳墓といえます。堂洞城攻めの際、織田信長は近くの「高き塚」にて指揮をとったといわれています。史料の検証結果からその「高き塚」がこの古墳にあたるのではないか、と考察されます。大手方面という位置関係と地理的にみても至極妥当な候補地だと思えます。城の攻め手はどこからどう攻め寄せたのか・・。守り側の立場と攻め手の立場、両方に気持ちに置き換えてみると・・。城めぐりはさらに楽しみが広がっていきますね。 close

美濃 堂洞城  織田信長、中濃攻略の鍵となる激戦地
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 美濃加茂市の城めぐり
投稿日時 2021-04-09 01:20:04

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