丹比廃寺跡(堺市美原区) ・寺院や城も造られた丹比氏の氏寺跡の詳細

丹比廃寺跡(堺市美原区) ・寺院や城も造られた丹比氏の氏寺跡
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記事タイトル 丹比廃寺跡(堺市美原区) ・寺院や城も造られた丹比氏の氏寺跡
概要

丹比廃寺跡 2021年2月訪問 丹比廃寺跡(たんぴはいじあと)は大阪府堺市美原区多治井にある古代寺院の跡です。この周辺にはかつてこの辺りを本拠地とした丹比氏(たじひうじ)に関連した寺院があったと考えられ、特に塔の跡は「丹比廃寺塔跡」として大阪府の史跡に指定されています。 丹比…… more 廃寺跡(堺市美原区) 丹比氏の氏寺が廃寺となった後も、この地には弘法大師による寺院建立や松永久秀の築城など歴史上の人物が関わった建造物があったと伝えられていますが、今は長閑な風景の中にいくつかの往時を思わせる遺物があるのみです。 歴史と概要 丹比廃寺跡は堺市美原区の北東部、東除川左岸(西岸)の中位段丘上に位置し、周辺は住宅地や田畑が多い地域となっています。丹比廃寺跡の現状は、東西に延びる市道を挟んで高さ約1.2mの基壇状の高まりが南北に残っていますが、これは寺院跡を横断するように市道が建設されたためと思われます。丹比廃寺の創建年は不明です。古代この辺りは河内国丹比郡(たじひのこおり)の一部で丹比氏が根拠地としていました。ちなみに、「たじひ」には丹比、多治井、多治比、多遅比など様々な表記があります。当初この辺りを治めたのは、第18代反正天皇(都は松原市の柴籬神社付近)に与えられた名代(なしろ。ヤマト王権に一定の役割をもって奉仕することを義務づけられた大王直属の集団)で、「新撰姓氏録」等によると火明命(ほあかりのみこと)の子孫とされる丹比連(たじひのむらじ)という氏族だったようですが、後に第28代宣化天皇の三世孫である多治比古王を祖とする丹比氏が根拠地としました。この丹比氏の姓(かばね)は最高位の公(きみ)、真人(まひと)となっています。その丹比氏が築いた一族の氏寺があったと考えられるのが当地周辺で、堺市のホームページによると、かねてより塔心礎や古代瓦の存在によって、これが白鳳時代の寺院に伴う塔基壇である可能性が高いと推定されていました。そして、平成20年(2008年)2月の大阪府教育委員会による発掘調査の結果、南側の高まりについては、版築(はんちく。土を強く突き固め基礎を造る工法)を伴う基壇が良好に遺存していることが確認され、この高まりが白鳳寺院の塔基壇である可能性がさらに高まったそうです。。丹比廃寺には金堂や講堂があったと考えられていますがその伽藍配置は不明です。確認されている主要伽藍としては塔基壇のみですが、塔の心柱の礎石である塔心礎が遺存しています。また、軒丸瓦や平瓦が出土していますが、この瓦の様相から丹比廃寺は白鳳期の7世紀後半頃の創建と推定されています。なお、美原区の多治井から黒山にかけて、先の丹比連に関わりがあるとされる黒姫山古墳や、丹比連や後の丹比公にゆかりがあるとされる丹比神社(たんぴじんじゃ)、そしてこの丹比廃寺跡があり、直線上に並んでいます。 説明板 丹比氏の氏寺が廃寺となった後、平安時代初期の弘仁年間(810~824年)には、弘法大師空海によって真言宗の寺院、医王山徳泉寺(徳専寺とも)が開創されたといわれています。徳泉寺は南北朝時代の正平年間(1346~1370年)、南朝方の武将で楠木正成の嫡男である楠木正行と幕府の河内・和泉守護細川顕氏が戦った藤井寺合戦の際に焼失しました。その後、同寺は再興されましたが、天正年間(1573~1592年)に松永久秀が徳泉寺の伽藍を破却したうえで徳泉寺城を築城しました。しかし、この城も松永久秀の敗退に伴い廃棄されました。その後、江戸時代の天和年間(1681~1684年)に僧快円が徳泉寺を再興したとされますが、これも昭和14年(1939年)に焼失し、以後は再建されていません。丹比廃寺跡のうち、丹比廃寺塔跡が昭和31年(1956年)1月18日に大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則により指定された後、平成21年(2009年)1月16日に大阪府指定史跡に指定されました。なお、南河内には、少し西の黒山地区の黒山廃寺や富田林市の新堂廃寺など多数の古代寺院があったことがわかっています。現地の様子堺市立美原体育館前の市道を東に進むと、東除川へ下る坂の手前の両側にコンクリートで固められた高さ1m少々の基壇状の高まりがあります。 北西から見た南側の高まり 体育館側から見て右手、つまり南側の高まりは東西約28m、南北約8mほどあり、中央の階段の先に地蔵堂が建っています。 北東から見た南側の高まり 地蔵堂の東側、つまり東除川寄りに塔心礎、そして宝篋印塔がある他、いくつかの石標と礎石のような石が点在しています。また、歩道には説明板が設置されています。 塔心礎 塔心礎は塔の心柱の礎石ということで中心に柱を受ける大きな孔があります。なお、この塔心礎はもとの場所からこちらに移されたものです。塔心礎右側には「史蹟 丹比廃寺塔跡」と彫られた石標があり、側面に「大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則により昭和三十一年一月十八日に指定」とあります(碑の建立は昭和36年(1961年)3月)。一方、塔心礎の左側には古そうな「念佛講中」と読める石標が建っており、その左後方には石造りの地蔵堂の屋根のようなものが置かれています。 宝篋印塔 南側の高まりの東寄りには塔心礎と同じくらい存在感のある宝篋印塔があり、保存状態も良さそうです。 北東から見た宝篋印塔 一般的に宝篋印塔には、密教における金剛界五仏の中心である大日如来(だいにちにょらい)の四方に位置する四方仏の種子(梵字)が塔身の四面に彫刻してあり、東のウーンは阿閦如来(あしゅくにょらい)、南のタラークは宝生如来(ほうしょうにょらい)、西のキリークは阿弥陀如来(あみだにょらい)、北のアクは不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)を表しているそうです。 南側の地蔵堂 南側の高まりの中央にある地蔵堂には5~6体の地蔵尊が祀られています。光背に「左」や「右」と見えるものもあることから、周辺の街道沿いにあった道標地蔵などがこちらにまとめて祀られているのかもしれません(650mほど西に中高野街道が通っています)。 北側の高まり 一方、道路北側にある基壇状の高まりは東西約9m、南北約7mほどと、南側よりはかなり狭くなっています。 祠と灯篭 北側の高まりにも階段がありますが、その先には小祠が建っており中には神様を祀る社があります(御祭神は不明。訪問時点のGoogleマップでは「地蔵尊」となっていました)。また、その両側に一対の石灯篭が建っています。 鬼子母神灯篭 祠と石灯篭から離れて少し西側に一つだけ常夜燈がありますが、こちらは「鬼子母神」と彫られたこの辺りではあまり見ないものです。江戸時代のもののようですが、祠との関係は不明です。大阪府内では貴重な古代寺院遺構として重要視されている丹比廃寺跡には、古代からの様々な石造物などが並んでおり、再建と焼失などを繰り返した今はなき寺院や城に思いをはせることが出来ます。アクセス南阪奈道の高架下、「小平尾西」交差点から南に進み、突き当りを右折。西に約450m進むと道路の両側に丹比廃寺跡の石造物などが並んでいます。阪和自動車道高架下の府道36号「美原北小南」交差点からは南に進み、約450m先の交差点を左折。道なりに750mほど進むと道路沿いに廃寺跡があります。途中にある堺市立美原体育館や多治井運動場からは100m少々東になります。公共交通機関では、近鉄南大阪線「河内松原」駅や「恵我ノ荘」駅前などから近鉄バスに乗り「大阪橋」バス停で下車。100mほど南に歩いて信号のある交差点を右折すると約300m先に廃寺跡があります(小平尾橋を渡ります)。丹比廃寺跡に見学者用の駐車場はありません。 Tanpi Dilapidated Temple Ruin(Mihara Ward,Sakai City,Osaka Prefecture) close

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タグ 史跡 堺市美原区 大阪府 寺院
投稿日時 2021-03-24 00:40:11

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