羽生城のなごりの詳細

羽生城のなごり
つわものどもが夢の跡
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記事タイトル 羽生城のなごり
概要

つわものどもが夢の跡今回は埼玉県羽生市の城跡です<羽生城>はにゅうじょう上杉謙信の関東出兵において重要な拠点となった城跡です■現地訪問■私は羽生駅から徒歩で現地へ向かいました。その途上、こんな橋を渡りました。<城橋>なんとなく気分が盛り上がる名前ですもう少し進むと<道しるべ>ここ…… more に記載されている『古城天満宮』がこの日のゴール。これもまた気分が盛り上がる名前です<羽生城跡>羽生駅から20分くらいでしょうか。遺構らしい遺構は無いことを事前に聞いていましたので、何となく地形を意識しながらゆっくり歩いてきました。多少の起伏を除くと、駅からここまでほぼ平らな地形です。<天満宮>城跡の天満宮<史跡羽生城址>立派な石碑です<説明板>石碑の隣には説明板。城の歴史と縄張り図が記されています。ちょっと見てみますかね<縄張り図>ちょっと影で見にくいですが、雰囲気は伝わると思います。平らな低地の微高地に築かれた城だったのでしょう。埼玉県の平野にありがちですが、城は沼地に取り囲まれた浮き城のようです。いまでこそこの付近も整備されていますが、大昔は水郷だったのでしょう。そこに築かれた平城が今回訪問の羽生城ということですね。さて羽生城の歴史について事前に知っていたことは、あの上杉謙信(当時は長尾景虎)が関東攻略の拠点とし、のちに小田原北条氏の配下に組み込まれたということだけです。現地の説明板で、もうちょっと詳しい情報を得ました。予習なしの訪問者にはありがたい説明です。折角ですので以下に抜粋させて頂きます(部分的に文字を省略していますがご容赦下さい。)【羽生城のうつりかわり】 西暦   主な事項1540年代:広田直繁・木戸忠朝兄弟によって築城1544年:古河公方(足利義氏)敗れ小田原北条氏の支配下になる1560年:広田直繁・木戸忠朝 上杉謙信に属す1561年:木戸忠朝 皿尾城(現在の行田市)に移る     広田直繁 羽生城を守る1570年:広田直繁 館林城に移る     木戸忠朝 羽生城を守る1574年:木戸氏上州の膳城に移り、羽生城北条氏に攻められ落城     忍城の支城となる1590年:大久保忠隣 羽生城主となり、1万石を領す1614年:忠隣、徳川家康の不振を買い、城地は没収され羽生城も廃城となる[出典:現地説明板]築城者である兄弟、広田直繁と木戸忠朝を中心に羽生城の歴史が紹介されています。あとで調べたことを補足すると、広田直繁が兄で、木戸忠朝が弟です。北武蔵において、忍城の成田氏と勢力争いをした木戸氏。弟が家督を継ぎ、兄は同じく北武蔵の地元豪族の広田氏を継いだようです(細かい事情まではわかりませんでした)。つづいて『古河公方敗れ小田原北条氏の支配下になる』ですが、兄弟は揃って古河公方に従っていましたが、その古河公方が北条氏に敗れてしまったことで、一度は城を奪われたということですね。しかし関東へ出兵する『上杉謙信に属す』ことで兄弟は羽生城を奪回。そのあと広田直繁は『館林城に移る』とありますので、謙信からよほど期待されていたのでしょう。館林城も謙信の重要拠点だったことで知られています。上杉謙信と言えば、いうまでもなく現在の新潟県を本拠とした武将。関東出兵での拠点というと、私はまず前橋城(厩橋城)ほか群馬県の城を想像します。しかし今回訪問の羽生城は埼玉県です。山を越えて関東に入り、更に南下するための拠点ということでしょうか。南へ進むほど、小田原の北条氏と勢力が重なることになります。上杉謙信にとって、羽生城は関東攻略のための最前線の城のひとつだったのかもしれません。説明板によれば、1574年に『羽生城北条氏に攻められ落城』となり、以降は北条配下の『忍城の支城と』なったようです。少しだけ補足すると、上杉対北条の争いが激化し、諸々の経緯を経たのち、羽生城は謙信の指示で破却され、木戸忠朝は城兵とともに群馬県の膳城に移されたそうです。上杉謙信としては、守り切れない拠点を手放して、信頼できる木戸忠朝率いる兵力を温存したわけですね。<古城天満宮>羽生城は上杉謙信が救援に駆けつける重要な城でした。遺構はなく、いまは天満宮が鎮座しています。この神社は藤原秀郷による創建に始まります。木戸忠朝が古城天満宮と改称し、城の守護神としたと伝わります。ここはかつての城の天神曲輪跡です。やがて豊臣秀吉による小田原征伐により、北条氏は滅亡。関東には徳川家康が入ります。羽生城は大久保忠隣に与えられました。忠隣は古くからの家康の家臣です。数々の戦で武功を立てるとともに、三方ヶ原で大敗を喫して敗走する時も、はたまた織田信長死後の伊賀越えの際にも、家康と同行していた武将です。家康から高く評価され、武蔵国羽生2万石を拝領しました。羽生城には城代がおかれ、徳森伝蔵らがつとめました。大久保忠隣はやがて幕府の中核を担う存在となりますが、諸事情で改易となってしまいます。老中や小田原藩主にもなった大物なんですがね。失脚の経緯はかなり複雑なため、今回は省略致します。羽生城はこれを機に廃城となりました。<つわものどもが夢の跡>江戸初期まで城があったとは思えない景色ですが、この地には確かに武士の拠点がありました。------■ 羽生城 ■------築城主:詳細不明(木戸忠朝?)築城年:詳細不明(1540年代)改修者:広田直繁・大久保忠隣城 主:木戸氏・成田氏・大久保氏廃城年:1614年(慶長19)[埼玉県羽生市東]お城巡りランキング close

羽生城のなごり
サイト名 つわものどもが夢の跡
タグ 城跡[埼玉]
投稿日時 2021-03-14 01:00:16

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