<岩村城、郡上八幡城>の”二重櫓”を巡るの詳細

<岩村城、郡上八幡城>の”二重櫓”を巡る
シロスキーのお城紀行
ページの情報
記事タイトル <岩村城、郡上八幡城>の”二重櫓”を巡る
概要

只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南に向けてお届けしています。 本日は第11弾「岩村城 太鼓櫓」「郡上八幡城 西南隅櫓、隅櫓」の3基です。 ①「…… more 岩村城 太鼓櫓」(岐阜県恵那市)、木造復興櫓 「岩村城」は、「遠山家」のお城で「織田信長」の五男「勝長」を養子に入れますが、「遠山景任」の未亡人(信長の叔母)が女城主となり、敵方であった「秋山信友」と結婚した為、「信長」は「岩村城」に攻め入って「織田家」のお城として、以降「織田」系の武将が入城しました。 その後「森家」のお城となりますが、城代の「各務(かがみ)元正」がお城の改修を行い近世城郭にしました。 関ケ原の戦い後、大給系「松平家乗」が入り、藩主邸を麓に移し以降城下町は麓に発達します。一時「丹羽家」が入りますが、再び「家乗」の子孫で大給「松平家」が幕末・維新まで続きます。 「太鼓櫓」は、「表御門」の西側にあり、下部が板張りとなった袴腰の「二重櫓」でした。更に「表御門」東側には「平櫓」が建つ等の様子が「絵図」にも記載されていますが、1881年にこれらは「藩主邸」とともに全焼してしまいました。 現在は、「絵図」に基づいて「太鼓櫓」「表御門」と蔵風の「平櫓」が復興されていて、更に「藩校知新館」の藩校門が移築現存して一直線に並んでいます。 復興「太鼓櫓」と復興「表御殿」(藩邸跡側から)復興「太鼓櫓」(外側から見上げる)復興「太鼓櫓」(外側から見上げる)復興「太鼓櫓」と復興「表御殿」(外側から)復興「太鼓櫓」と復興「表御殿」と復興「平櫓」風蔵(藩邸跡側から)  ②「郡上八幡城 西南隅櫓、隅櫓」(岐阜県郡上市)、いずれもRC造の模擬櫓 「東(とう)家」攻めの為に「遠藤盛数」が築いた砦が前身でしたが、豊臣政権下に入城した「稲葉貞通」によって総石垣の曲輪を山頂部に導入して近世城郭としての基礎が出来上がりました。 関ケ原の戦いで「遠藤家」が城を奪回し、お城の改修、本丸の拡張をします。その後「青山家」が藩主になり山の中腹に藩庁機能を移しました。 現在「天守」や「櫓」が建つ場所の具体的な絵図は記述されていないので、「天守」「櫓」等の建造物の詳細は不明のようです。 現在建つ「西南隅櫓」「隅櫓」ともに、RC造の模擬櫓で1991年に「大手門」等とともに再現されたものです。 「大手門」脇には「西南隅櫓」が置かれ、土塀が北側に延びた先に「隅櫓」が置かれていますが、この場所についても模擬のようです。 両櫓の形式は、「白漆喰」で破風も無く凄くシンプルな形をしていて、初重目には3個、二重目には2個の窓が開けられています。 模擬「西南隅櫓」と模擬「天守」模擬「西南隅櫓」と模擬「天守」模擬「西南隅櫓」(模擬「天守」下からのぞむ)模擬「隅櫓」  下記バナーのクリックをどうぞよろしくお願いいたします。お城巡りランキング にほんブログ村   close

<岩村城、郡上八幡城>の”二重櫓”を巡る
サイト名 シロスキーのお城紀行
タグ
投稿日時 2021-02-24 02:00:02

「<岩村城、郡上八幡城>の”二重櫓”を巡る」関連ページ一覧

新着記事一覧

青森県の浪岡城をお城巡り、バラ焼を頂きます!


Donutsの旅と資産運用日記
 東北ツーリングに出かけました。新潟からフェリーで秋田に渡り、東北を廻ります。新潟に向けて出発しました。暑い中の高速道路を走り、新潟にフ...
Donutsの旅と資産運用日記
お城巡り ツーリング バイク 旅行 東北
2021-03-01 15:40:03

今日も鉾田市の城跡。倒竹がジャマ! 中居城跡


風来坊貫太郎の城攻めと食べ歩きの日記
本日も、茨城県鉾田市の城跡です。 貫太郎は、無類のドラマ好きで、現在放送中のドラマは、ほぼもれなく録画視聴しているのですが、なかでも、作...
風来坊貫太郎の城攻めと食べ歩きの日記
2021-03-01 14:40:06

【城を観る+】《須佐城(尾張国)》2021 〜千賀氏の居城!須佐城跡を観る〜


城を観る
城を観る[YouTube]今回は...(撮影 2021/02/09)【城を観る+】《須佐城(尾張国)》2021 〜千賀氏の居城!須佐城跡を観る〜【城を観る+】《須佐城...
城を観る
2021-03-01 01:40:05
;