美濃 飯羽間城  「砂婆(さば)土台地」に築かれた遠山氏有力支城の一つの詳細

美濃 飯羽間城  「砂婆(さば)土台地」に築かれた遠山氏有力支城の一つ
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 飯羽間城  「砂婆(さば)土台地」に築かれた遠山氏有力支城の一つ
概要

美濃 飯羽間城 (飯峡城) (岐阜県恵那市岩村町飯羽間)「砂婆(さば)土」という土壌があります。「サバ土」とも書かれます。愛知県瀬戸市周辺から岐阜県東濃地方にかけての地域ではよくみられる土層。サバ土は瀬戸焼でも素地土として用いられています。花崗岩が風化してできた特殊な砂状の土壌で…… more 真砂土(まさど)とも呼ばれています。 客土として用いられる反面、斜面での安定性が他の土質に比べて劣ることが知られます。外気にさらされると温度変化や雨水によって風化が進行し崩れやすくなるためです。今回の飯羽間城はそんなサバ土層を利用して築かれた丘城です。 東濃地方では他に土岐高山城や神箆城(鶴ヶ城)、戸狩城等がこれに該当します。前回記事の信の城にもこの地質がみられました。東面から見上げる飯羽間城とその手前の説明版。 「遠山七頭」と呼ばれる遠山氏の有力氏族・飯羽間遠山氏の城といわれます。七頭とは岩村・明照・明知・飯羽間・串原・苗木・阿木等のの有力格の一族を指します。他にも遠山氏にはさらに細かく遠山十八城と呼ばれる支城も挙げられています。西に連なる「向山曲輪」を収めた全体景観。大手と伝わる西の鞍部谷より登城しますが・・。訪問した時期が悪かったのか草木ぼうぼうで前に進む気にもなりません(-_-;)。意を決して枝を除けながらのヤブ漕ぎです。以前図面作成で訪れた時はそんなでもなかったのですが。切岸に依存した削平地を中心に構成されています。小さな曲輪が多く配置されて一見堅固に見えるのですが・・。どうも一部は後世の畑地として改変を受けているように思えます。実際にはベースとなる曲輪は存在したのでしょう。西の向山曲輪(出丸)と主郭部との連結部の土橋。写真では全くわからない(ヒドい藪!)ですが主郭部から向山に延びる土橋があります。現在その幅は細い所で約40cm程となり渡るのもちょっと怖い・・。麓から地元の方に「そこ気をつけんしゃいよ~!」と大声で心配されてしまいました。主郭部内部の段曲輪の様子。頂上の主郭部は数段の連郭式曲輪で構成されています。やはり一部が畑化した形跡もあり、端部はサバ土の崩落も見られます。曲輪間の導線も現在のそれとは異なっているのかもしれません。曲輪主体で成り立つ飯羽間城の主郭部。主郭部中心部。ブッシュがなければ城下や景色が拝めた所ですがちと残念。飯羽間城の戦いで命を落とした将士への供養碑が立ちます。合掌。城主・遠山友勝は織田信長の命によって苗木城へと移り、子の友忠が城主となりました。その後、友忠も後阿寺城、苗木城へ移り、その子の友信が城主となったようです。以後友信も東美濃衆として信長の下で明知城の守備にも関わったようです。ところが天正2年(1574年)武田勝頼の明知城攻めで遠山友信は城内で謀反。他の守将を殺して武田方へ寝返り明知城は落城しました。この時信長父子は明知城救援のため神箆城まで出陣するも間に合いませんでした。これは『信長公記』の出典です。『甲陽軍艦』では武田軍が飯羽間城を攻め落としたとあります。その際土蔵に隠れていた遠山友信を生捕りにして連れ帰ったということです。『信長公記』では武田滅亡の際、友信は織田方に生捕られ成敗されたそうです。城の北側には飯羽間川が流れまさに水堀といったところ。飯羽間城は東方面へ舌状に突き出した丘陵上に築かれています。北は川で守られ、南はかつては湿地帯だったようです。その上周囲はサバ土によってそそり立つ崖でこれを巧く利用したようです。今にも崩れ落ちそうですが、こちらからの登攀は不可能でしょう。比高は僅か20メートル程の丘城ですが軍艦の側面のように反り返っています。頂部の土部分と岩部分の間に風雨の隙間ができ崩落の痕がみられます。だとすると主郭部の北側は以前はもう少し広いスペースがあったのやもしれません。飯羽間城の東麓に駐車場をお借りいたしました。山の麓に近い位置に城址石碑があります。(時期が悪いと草で埋もれてるかも・・です)飯羽間城と信の城との位置関係をもう一度確認します。飯羽間城と信の城との間には同じ高さの峰があり互いの姿が隠れてしまいます。信の城は直接街道を押さえ飯羽間城を補う出丸として機能したのでしょうか。こう考えると信の城の「信」は城主・遠山友信の「信」を指すものでしょうか??う~ん・・。よくわからないですが、わからないほうが面白いこともあります。あれこれと思いを巡らし辿り着いた答えも時が過ぎればまた変わり・・。そうやって思いにふける時間が楽しいですよね。 close

美濃 飯羽間城  「砂婆(さば)土台地」に築かれた遠山氏有力支城の一つ
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 恵那市の城めぐり
投稿日時 2021-02-18 02:20:04

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