美濃 椋実城(欒峰城)  堀切・切岸を効果的に配した全方位型城郭の詳細

美濃 椋実城(欒峰城)  堀切・切岸を効果的に配した全方位型城郭
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 椋実城(欒峰城)  堀切・切岸を効果的に配した全方位型城郭
概要

美濃 椋実城(欒峰城) (岐阜県恵那市三郷町椋実・峰山)いつの間にか・・自分は50歳の誕生日を迎えました。それで特に何ってこともないのですが・・。思い返すと色んな人に支えれられて見守られてきた道でした。奥方に「お誕生日何か欲しい?」と訊かれました。「別に何も要らないや」と答えたら…… more ホントに何にも無かったのですが‥。その日はお風呂の湯舟に薬用入浴剤をひと玉投入してくれました。ドボン!と。(「花〇のバ〇」というやつです)炭酸ガスにシュワ~と身体が包まれ芯からリラックスします。・・ふと。ここでオナラをしたらどうなるんだろう??・・やってみる価値はある・・。炭酸ガスとメタンガスのコラボ如何に。そんなくだらない自由を求め続けた50歳の夜でした。・・さてそんなことはどうでもよく。今回50歳を迎えて最初に登った城が恵那市の椋実城です。自分はここの峰々を這うように連なる遺構がとても好きです。椋実集落の入口に「寿老滝と戦国ロマンの道」の散策案内板があります。椋実の里は山々に囲まれた山中の盆地といった所です。山々の麓は耕地が開け長閑な里山となっています。殿畑・流矢・一の木戸・的場・陣場・千人塚、等々城に関する地名も多い地区です。椋実集落の奥、屏風山の麓の峰山に椋実城があります。入り口を示す表示板が立っています。表示板は示されていますが、どこから登っていいのかわからない・・。以前は手前の尾根伝いに登れたのですが、崩れてしまっています。地元に方にお尋ねして谷筋から登る道を教えて頂きました。谷筋から登って行くと右手に畝状になった竪堀群(4本)を鑑賞できます。しかしながら畝自体の盛り上がりが風化で低くなっています。果たしてこれを畝状と呼んでいいものかは判断が分かれると思います。城の中心部に直結するルートなので準備された遺構では?と感じました。主郭部から見て北の堀切です。ここを経由して主郭部に連絡します。主郭部に至るためにはこの堀底を通る必要があります。整然と削平された主郭曲輪は見通しもよく広いスペースになっています。「欒峰城跡」の城址碑が立ち嬉しい気分になります。地元では「欒峰城(らんぽうじょう)」と呼ばれています。やや独特の名称なので由来を調べてみたのですがわかりませんでした。ご存知の方が見えましたら是非とも教えていただきたいと思います。各尾根とは堀切もしくは鋭い切岸にて遮断しています。主郭から派生する尾根に対しては全てに遮断の備えが見られます。北・西は急切岸を施し、東と南は鞍部を利用した堀となっています。特に北東に延びる尾根は足元が急になくなるような激しい切岸に。それほど比高のある城ではありません。主郭につながる尾根全てに遮断施設をかけて雄山に見立てているようです。故に主郭部から見た堀切の外側曲輪は積極的に削平された形跡がありません。大規模な主郭南側の堀切。鞍部を深い箱堀とした様子がよくわかります。しかし両端を竪堀として伸ばさないタイプです。尾根続きとの連絡路をある程度確保しようとした意かもしれません。こちらは南東尾根の堀桐です。南尾根堀切と同じタイプです。散策すると鉄球のような丸岩も鎮座していて面白いです。椋実城は最初に述べたように現在では山々に囲まれた閉塞地です。しかし当時は岩村からの街道が近くを通っており屏風山へと繋がっていました。屏風山を越えると西に神箆城、すなわち天正当時の織田氏勢力圏内へと迫ります。ここからは直接西側平野部の眺望は得られません。そこで北西に位置する佐々良木城がそれを補っていたものかもしれません。しかし椋実城は敵からもその姿が把握できない、という利点もありました。岩村城の出城としては城域規模も大きく拠点型要所にあると思われます。明知白鷹城→陣屋敷→釜屋城→下手向城→椋実城は等間隔でほぼ一直線。そして佐々良木城もその延長上に位置することが判明しています。今日見られる椋実城の遺構はその当時の緊迫した情勢が影響した姿といえそうです。山々に囲まれた椋実城とその延長上にある佐々良木城の位置確認をしてみます。ここからは一旦麓に降りてみます。城に関係する地名の散策も少ししてみました。目に止まった所だけですがいろいろあって戦国ロマンに浸れます。城の西麓の千人塚。合掌です。千人塚は天正年間に武田軍とに戦いに討死した城兵を葬った塚といいます。椋実城は岩村城の出城であって天正3年(1575)2月に武田軍により落城されたそうです。その以前は遠山(度会)右馬丞安守の名が城主として伝わっています。城の東麓一体には欒峰城陣場と呼ばれる広場があります。ここは椋実城の城兵が勢揃いをした場所と伝わります。椋実城からは東尾根曲輪に沢を挟んで通じる所になっています。椋実ダムの堤下に位置しているので当時と若干地形が変わっているそうです。椋実城陣場全体を上部から俯瞰してみます。一帯は周囲よりひときわ高い台地になっているようです。すぐ上には椋実ダムもあります。農地防災目的のアースダムとなっています。上流へ行くと隠れスポットとして寿老の滝も見応えあり!です。西濃地方の「養老の滝」に対して東濃は「寿老の滝」と名付けられた滝。落差は10mほどですが水量多くなると左側にもう1本滝が現れ2本になります!車でも駐車場がすぐそばにあり気軽です。ここには家族ずれでよく遊びにきたこともあります。夏になると川遊びもできますし、冬はつららができて氷遊びも楽しめます。散策路を伝えば滝がまさに落ちる所まで近づくこともでき興奮します。さて・・50歳・・。歳を得るごとに忘れていくこともある一方、新たに教わり気付くこともたくさんあります。長い長い坂道をまだまだ登って行きたいです。それはさながら山城を登るように。時々休みながら景色を楽しみながら、そして安らぎを得ながらです。 close

美濃 椋実城(欒峰城)  堀切・切岸を効果的に配した全方位型城郭
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 恵那市の城めぐり
投稿日時 2021-02-07 15:20:04

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