美濃 杉原砦  城郭遺構が認められる伝説の砦の詳細

美濃 杉原砦  城郭遺構が認められる伝説の砦
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 杉原砦  城郭遺構が認められる伝説の砦
概要

美濃 杉原砦 (岐阜県揖斐郡揖斐川町東杉原・丈谷山)厳寒の中、密を避け少し遅めの初詣に詣でました。願い事一つといったらやはり「家族の健康」です。そして毎年恒例の緊張の瞬間、おみくじタイムを迎えます。先に「大吉」や「中吉」の幸運を引き、湧きかえる子息達と奥方。その傍らで「どうしよう…… more 自分だけ悪かったら‥」と躊躇している自分がいます。家族全員の「お父さんどうだった?」のにやけ面にすごいプレッシャーが・・。そして結果は「末吉」!。くっ・・「吉」の最低ランクか・・。どうしてくれようか、この気まずい雰囲気を。それにまさかの3年連続「末吉」とは・・。ま、しかしながら末吉は「末広がりの吉」、ということで縁起がいい事だとか(汗)。神様は辛抱強い自分をいつもどこかで見ていてくださっているのでしょうか?そうですか・・落ち込まず希望を捨てず慎ましく生活しながら努力しろ、と。これに尽きるしかない我が人生です。(トホホ(´・_・`))さて毎年こんな出だしの年始め、今年もプラス思考で行くしかありません。いいんです、自分には「城」があるのです、心の拠り所という「城」がぁ!!ということで今回は伝説?幻?の杉原砦を捜索&散策です。(無駄に前置きが長え)杉原砦に登る前に「藤橋城プラネタリウム」に寄っていきまーす。旧藤橋村によって建設された「西美濃プラネタリウム・藤橋城」。かつてこの地には「杉原砦」と呼ばれる砦がありました。しかし現在の藤橋城のある場所にあったわけではありません。この施設は城址としてでなくあくまで観光地として建設されたものです。 外見はなんとなく彦根城天守に似てこじんまりしています。まだ若い頃に当時お付き合いをしていた奥方と来たことあったっけ・・。藤橋城はプラネタリウムの他に旧藤橋村の歴史民俗品等の展示室などもあります。ロマンチックな星座ショーから河童から甲冑鎧まで結構見応えありました。唯一のアクセス国道も空いておりとても静かでのんびりできる所です。ちなみにカップルや仲の良さそうなご夫婦ご家族連れが多かった気がします。歴史民俗史料館の庭園ものんびりまったり散策できていいです。お目当ての杉原砦はここから川を挟んだ対岸、西方面の山塊の一尾根上にあります。(間違ってもこちらへ大事な人をエスコートしないように・・)高い山頂ではなくそこから派生した尾根上に存在します。実は後ろの山から派生する尾根は3本あります。・・さてどれだ?・・。どの尾根かわからないので手前から順番に登っていきます。1本目・・違う無いな、2本目・・ここにも無いな・・、3本目・・ここになかったらどうしよ?しかし、なんと3本目、一番最後に登った奥の尾根に城郭遺構です。「あった~\(^o^)/!」前の写真の黄色い枠を拡大してみると堀切断面がくっきりと。杉原砦は県発行の調査書にも掲載されていない城郭です。ここに砦らしき遺構がある、というのは研究仲間のK先輩から教えていただきました。随分前に聞いた話だったので場所はよく覚えていなかったのです。主郭部はやや軟傾斜になりつつもよく削平されています。虎口ははっきりとしませんが、尾根道に沿って登り主郭部へ到達したようです。途中に山肌が堀込まれた跡がみられます。これらは後世の山仕事に関わる址なのかもしれません。さらに進むと土塁越しに堀切が見えます。間違いなく城郭遺構です。主郭部の北(前面)に2段の腰曲輪を設け谷状の窪みを竪堀として活用。尾根筋を1本の堀切で画しているようです。曲輪内の堀切に面した部分には土塁を構築しています。堀切・土橋と連動された主郭部尻の土塁。曲輪の東側は谷に向かって急斜面になっています。どちらかといえば川の上流方面、徳山方面を意識した構えと見えます。かつての街道は砦の直下の川沿い麓を通っていたのでしょうか。幅は約8メートル、深さは深い所で2~3メートルでしょうか。堀切中央には土橋が設けられています。これもクッキリです。堀切・土橋からは左右(東西)に竪堀となって落とされています。土塁の脇が開けられているのでここから連絡できるようになっていたのでしょう。尾根道は細い道となって山頂方面に続いていきます。主郭周囲には傾斜した腰曲輪から浅い凸凹、竪堀状遺構も観察できます。(写真では全然表現できないほど浅い遺構です)しかし1本1本の畝は非常に浅いもので消滅しかかっているようです。これを畝状竪堀の名残りとみるか、別遺構と見るかは判断が分かれると思います。自作図面では東側面の畝状遺構は見取りましたが、北側は止む無く省略しました。ただ、急峻な西に対して東斜面は緩やかなので竪堀群を敷く意味はあると思いました。藤橋城の北には竹山神社があり七人塚が祀られています。風聞 七人塚 (解説版より抜粋) 杉原砦を死守する杉原家盛一族五百の軍兵は、ひしめき寄せる斉藤先発千余の軍勢を迎え撃ち、吹雪の中死闘十余度に及んだが、衆寡敵せず、ついに敗色濃しと見るや、家盛は潔く自決しようとした。 この時、これを押し止とどめ、再起を期して他国に落ち延びさせようとする七人の近従がいた。 東前丈谷の山道を追っ手が追いすがる度に、近従たちはその都度、ある時は岩陰からあるいは大樹の後ろから大音声で家盛の名を名乗って躍り出て、追っ手と斬り結び主を逃がさんための時を稼ぎ、七人ことごとく敵の刃の下に倒れ果てたのであった。 降りしきる雪の中、家盛は無事落ち延び給うたとか、あるいは山中にて自害して果て給うたとか、その生死はさだかではなかった。 そして数年の星霜が流れたとある秋の暮れ村にやってきた商人風の男の口から、家盛は尾張国尾州に落ち延びられ、寄る辺の者にかくまわれて再起を図っていると里長に告げて立去ったと伝えられている。 以来七人の忠誠を称えて、ここに村人達の手によって、祀られてきた。・・という事です。この文面から推測すると押し寄せたのは斎藤勢、ということです。美濃守護代の斎藤氏でしょうか。一説では南北朝からの砦だとも伝わります。現状の遺構から推測するには戦国期の遺構とみてもよさそうです。杉原家盛の再起を願い身代わりとなった七人の勇士の塚です。尾張へ落ち退いた杉原家盛は秀吉の正室おねの祖という説もあるとか・・。おね(寧々「ねね」とも)の父、杉原定利はその一族の出自なのでしょうか??風聞にはそこまでの言及には至っていません。しかしながら・・天正19年の御蔵入目録にはこの地が豊臣秀吉の蔵入地だったことも・・。単なる偶然かもしれませんけれど、どうなんでしょう?。信じるか、信じないかは「あなた次第」ってことで・・。(またパクったな)歴史民俗資料館内の散策もおススメします。かやぶき民家が当時の状態で復元されています。民具や民芸品などを展示していますし、真ん中の池や水車小屋も見所。12月1日〜3月31日までは冬期閉鎖になります(豪雪地帯の為)。どこかの誰かさんは12月の頭この北の徳山城で一瞬閉じ込められそうになったらしい。表示板や交通情報は事前にちゃんと確認して通行しましょう!(↑学ばないワタクシですがな) close

美濃 杉原砦  城郭遺構が認められる伝説の砦
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 揖斐郡揖斐川町の城めぐり
投稿日時 2021-02-01 06:20:02

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