諏訪原城(遠江国・静岡県島田市)の詳細

諏訪原城(遠江国・静岡県島田市)
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記事タイトル 諏訪原城(遠江国・静岡県島田市)
概要

当ブログをご覧の皆様、昨年はコロナ禍での難しい状況の中、大変お世話になりました。今年も状況を見ながらマイペースで更新してまいりますので、よろしくお願いいたします。1都3県に緊急事態宣言が発令されるということで、飲食店の時短営業がどうのこうのといわれています。個人的には飲食店の時短…… more 営業はまあやむなしとしても、休業までは必要ないと思っています。いくら飲食店が感染対策をとっていても、顧客の意識が低ければ効果はありません。むしろ成田・羽田空港発着の航空便、東京駅発着の新幹線、首都圏発着の高速バスを運休することで、人の流れを分断するべきだと思います。そうすれば首都圏から地方へウイルスを運ぶことは減らせますし、海外からの持ち込みもかなり防げます。また、終電繰り上げも効果があるでしょう。是非とも人の動きを物理的に抑制する政策をお願いしたいところです。【Amebaおみくじ】2021年の運勢は...Amebaおみくじを引く2021年の運勢を詳しく占うなんだろう、とにかく早くしろってことですかね?ロマンティックな恋の予感って・・・既婚者にこれはマズいです(汗)新年最初の更新は、現在の静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)にあった城、諏訪原城です。榛原(はいばら)郡金谷町は2005年(平成17年)に隣の島田市と新設合併して島田市となっていますが、金谷町は旧遠江国で島田市(旧島田市)は旧駿河国という、ある意味越境合併となっています。諏訪原城跡は続日本100名城の1つ(146番)に選ばれていて、金谷駅から徒歩20分くらいで行くことができます。1日4往復のコミュニティバスもあるのですが、長期休みの時期などは運休しますので、あまりあてにしない方がいいでしょう。駐車場もあるので、車で行くのが便利です。金谷駅。JR東海の東海道本線と大井川鉄道の大井川本線が乗り入れています。大井川鉄道はきかんしゃトーマス号などが走るSL急行が有名ですが、SL急行は隣の新金谷駅発着となっているため、金谷駅までは乗り入れていません。諏訪原城入口。駅から徒歩できましたので、かなりマイナーな登城路から突入していきます。カンカン井戸。特にカンカン井戸と呼ばれる理由などは説明がなかったのですが、三木城みたいに石を投げるとカンカンと鳴るとか、そういう理由なんだろうと思います。内堀。かなり深いですが、それでも往時はもっと深かったんだろうなと思います。1573年(天正元年)、武田勝頼が遠江侵攻の拠点として家臣の馬場信春に命じて牧之原台地上に築かせたといわれています。二の曲輪。諏訪原城は本曲輪を中心に扇状に曲輪が配置されているという特徴がありますが、特にこちらの二の曲輪が最大の面積を有しています。二の曲輪は本当に広くて、案内表示も2つ(2つ以上?)ありました。翌1574年(天正2年)に武田勝頼が高天神城を攻め落とすと、諏訪原城は高天神城への補給を確保するための中継地点として用いられたようです。石垣っぽい感じですが、コンクリート片らしきものも見えますので後世になって造られたものと思います。本曲輪方面への土橋。こちらを渡って本曲輪へ向かいましょう。空堀も立派に残っています。しかし、1575年(天正3年)の長篠の戦いで武田軍が織田・徳川連合軍に大敗すると、徳川家康はすぐさま反攻の転じて諏訪原城を包囲し、武田軍は小山城へと撤退します。本曲輪虎口。虎口だけでこの広さ、スゴいです。往時はもっと土塁が高くそびえていたと思うと・・・絶句です。本曲輪。結構な広さがあります。本曲輪から大井川方面の景色。ここから先は断崖絶壁となっていて、城の背後はとても堅固な造りになっています。二の曲輪へ戻って中馬出へ向かうと、土橋あたりから突然通路が舗装されています。しかし、こちらは発掘調査によって木橋だったことが分かっています。いつか木橋が復元されるんですかね?二の曲輪中馬出。二の曲輪には5つの馬出が残されていますが、こちらの中馬出が一番広い馬出となっています。その先に北馬出があるのですが、何やら不穏な感じがします。いや~な予感がひしひしと感じられ、若干足を進めるのが躊躇われます。はい、二の曲輪北馬出へ行こうとしたら絶賛工事中でした(泣)この先に唯一の復元建造物があるというのに、ここから先へは向かえません・・・。二の曲輪北馬出の門(復元)。仕方がないから柵の手前から頑張って撮影しました。発掘調査で確認された礎石をもとに薬医門が復元されています。門の形は推定して建てたんだと思いますが、二の曲輪中馬出から北馬出を経て二の曲輪へ向かう導線が見えてきます。現在おこなわれている工事は、この門周辺の土塁などを復元整備しているものと思われます。↓↓の記事(こぼれ話)を読むとなるほどなぁと思えます。https://rekigun.net/magazine/log/inside146.htmlいなもとかおりさん、とても参考になる記事をありがとうございました。二の曲輪から大手馬出へ向かう虎口のような感じの地形。今度は二の曲輪の南側を探索します。二の曲輪大手馬出へ向かう土橋。徳川家康は大規模な改修を加えて城名を牧野城と変え、松平家忠や牧野康成らを城番に命じます。二の曲輪大手馬出。大手馬出内には諏訪神社が祀られています。こちらの諏訪神社があることから、諏訪原城という名前になりました。まあ、武田氏は諏訪神社を崇敬していたようですし、当然といえば当然ですかね?諏訪神社の鳥居。右には諏訪原城跡の石碑と順路を示す案内表示があります。すみません、車で来てないので順路滅茶苦茶です。大手馬出周囲の空堀。馬出の周囲をぐるっと囲む丸馬出の特徴がよく出ています。二の曲輪南馬出。武田流の丸馬出の特徴がよく分かるように引きで撮影しました。丸い馬出とそれを囲む三日月堀が見えると思います。二の曲輪東馬出。こちらも引きで撮影しました。馬出の向こうがすぐ断崖絶壁になっていて堀は途中で切れていますが、馬出の丸い形がよく分かります。東馬出から再び大井川方面を眺めます。1582年(天正10年)の甲州征伐で武田氏が滅亡すると牧野城の存在意義がなくなり、徳川家康が関東へ移封となった1590年(天正18年)に廃城となりました。二の曲輪東内馬出。東の馬出だけ二重構造なんですね。旧東海道に面していることもあって厳重にしてあるのかもしれません。史跡 諏訪原城跡の碑。惣曲輪のあたりに案内板とともに設置されています。二の曲輪の外側にあったんですが、惣曲輪は何に用いられていたのでしょうか・・・?大手北外堀。二の丸大手馬出の外側にある大手曲輪を守る外堀の1つです。大手曲輪。すっかり茶畑と化しています。武田方当城主 今福浄閑戦士墓塚。茶畑のど真ん中にあります。武田信玄の家臣で久能城主の今福友清(浄閑)が戦死した墓のようです。諏訪原城ビジターセンター。駐車場脇にあります。諏訪原城に関する展示や城についての展示、ジオラマなどがあるようです。訪問時には閉まっていましたので入れませんでした。こちらに続日本100名城のスタンプがあるようです。東海道金谷坂の石畳。江戸時代に幕府が金谷宿から日坂宿へ向かう人々が歩きやすいように丸石を敷き並べたとされていましたが、近年は一部を除いてコンクリート舗装されていたそうです。1991年(平成3年)に430メートルを石畳に復元したのだそうです。こちらの道を通って金谷駅に戻りましたが、下りだったせいかとても歩きにくかったです(苦笑)諏訪原城は近年の発掘調査で、武田氏時代の丸馬出は南馬出や東馬出などの小さな馬出のみで、二の曲輪や隣接する大きな丸馬出は徳川氏によって改修されたものである可能性が高いそうです。武田氏の手法を踏襲して改修したのかもしれませんが、丸馬出は武田氏特有のものとはいえないんだなと思いました。新年最初の投稿から非常に長くなってしまいましたが、皆様今年もよろしくお願いいたします。御城学。 close

諏訪原城(遠江国・静岡県島田市)
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投稿日時 2021-01-07 15:20:02

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