城友さんとさすらう東西城郭強襲記  虎御前山城編の詳細

城友さんとさすらう東西城郭強襲記  虎御前山城編
久太郎の戦国城めぐり
ページの情報
記事タイトル 城友さんとさすらう東西城郭強襲記  虎御前山城編
概要

城友さんとさすらう東西城郭強襲記< 城友・日向さんとの城めぐり 2020近江の城めぐり編 >近江 虎御前山城 (滋賀県長浜市湖北町別所・虎御前山)毎年恒例の年末城納めの時期がやって来ました。城友・日向さんとは年末に100名城を軸とした城散策に出掛けます。そこで今年頑張った一年を「…… more 城」という「万病治療薬」で清めてもらうのです。久太郎:「今年はコロナで遠くは行けませんね、どこ行きましょうか?」日向さん:「滋賀県でどーでしょう?小谷、虎御前、鎌刃あたりで・・」久太郎:「え?え?まったく同じ事考えてました!なんか奇遇ですね」・・って同じ城まで絞り込まれるって、かなりキモイ関係になってしまってます(・_・;)。今回は日向さんの愛馬「※大鹿毛」(だそうです)で琵琶湖湖水渡り!※名馬 大鹿毛とは戦国時代では武田勝頼の愛馬。武田家滅亡後は織田信忠の愛馬に。また上記の馬とは別に馬明智左馬助秀満の愛馬も大鹿毛です。山崎の敗報後、陸路を断念した左馬助を乗せ琵琶湖を泳ぎきり坂本帰還を果たした名馬です。日向さんは誰推しの大鹿毛をモチーフなんでしょう、今度聞いてみたい・・。ところで・・城に行く前って何故こんなにテンションあがるのでしょう?仕事の朝とは明らかに目覚めも違いますし、ガバッと跳ね起きることができます。ということで午前6時、まだ暗闇の名神高速を駆け抜けます。まずは近江小谷攻めの織田の陣城、虎御前山城へと向かいました。虎御前山は織田信長が浅井氏の居城・小谷城を攻略するため築いた陣城として知られています。姉川の合戦で勝利した信長は小谷城包囲のため眼前にある虎御前山に砦を構え持久戦に備えます。虎御前山では総動員で大規模な築城工事が行われました。広い駐車場から遊歩道沿い順番に見学できるようになっています。虎御前山は小谷城の喉元に位置することから付城を築くのに適した山でした。尾根上には元々古墳が点在しておりこれらを利用して砦を構築したようです。つまりある程度の地ならしがアドバンテージとしてあった、ということになります。まずは伝・多賀貞能(たがさだよし)の砦址にすぐ着きます。六角氏の麾下にあった多賀氏ですが信長に属し虎御前山南の一翼を担います。 そこから矢合神社にて訪問の感謝と旅の安全を祈りました。黒母衣衆・信長馬廻りの蜂屋頼隆の陣跡も古墳を利用しています。 内部の曲輪ライン、外観もやはり古墳に見えました。そこから少し歩いて五郎左さん、伝・丹羽長秀の陣へと至ります。一面を広く整備された陣跡です。多くの将兵が駐留できそうです。「米五郎左」さんだけあってこの広い敷地は兵糧蓄えにも使用されたのでしょうか?続いて伝・滝川一益の陣跡へ。この辺りから横堀や堀切・竪堀といった遺構が鮮明に確認されます。礎石を基にした建物復元がイメージできるようになっています。1間を約1メートルとした四間四方の建物が一般的でした。側柱の中に束柱があり、床板を張る高床建築物があったと想定されます。古墳の高い塚の下を堀切り巧みに遮断線を構築してあります。名人・久太郎の伝・堀秀政の陣跡です。文字と写真が何か主張しているようですが気のせいではなく思い切り特別扱いしてます(笑)。やはりここも古墳特有のラインと城郭特有の腰曲輪が融合しています。面白いな・・。伝・堀秀政の陣の奥が伝・信長陣地址。部将間同士の位置関係性も重要です。安土城天守閣周辺の家臣邸配置を思い出します。ここ虎御前山城でもその配置に当時の関係性を見出すことができましょう。やはり適材適所、能力や信頼関係なども絡んでいるように見受けられます。さ、いよいよ信長公の陣跡とみられる主郭部へ。とても見通しがよく良好に整備されている伝・信長陣跡の切岸が眩しい!ここは虎御前山城山の最高所に位置する場所で本営に相応しい遺構です。「く」の字形の曲輪になっており桝形虎口などの遺構も確認できます。周囲をを高い切岸で防御されており南北の砦群との中心地をなしているのがわかります。おおおおぉ~ここに信長公がいらしのかぁ~感激!O(≧∇≦)O東側の眺望からは北陸自動車道=北国街道が手に取るように見えます。更に置くには伊吹山や美濃への山並み、西には広々とした田園地帯と琵琶湖を望みます。 伝・信長陣跡の東側下には複数の腰曲輪も確認できました。そこには「先手遺構」と呼ばれる虎口遺構を備えた曲輪もありました。(←日向さん発見!)先手遺構も発見し(写真は伝・信長陣跡の切岸)、意気が挙がる日向さん。(小学校の時にこういう高学年のガキがいたなぁ・・)踏査はまだまだ続きます。続いて伝・木下秀吉の陣へ向かいます。伝・信長陣の北に位置する木下秀吉陣跡。まだ「羽柴」ではなく「木下」というところがリアルで緊張感を感じます。「かざし堀」って何??初耳です。ここでしか聞いたことがないのでよくわかりませんでした。坂虎口の脇にあるので直接虎口に近寄らせない横堀の一種なのでしょうか?それとも潜み施設なのか?まさか一夜干しでもかざしていたのか、んな訳ない。もうここまで来ると小谷城が目と鼻の先に。最も小谷城に近接していたのが木下秀吉の陣と伝わります。三角形の曲輪を中心に、周囲に帯曲輪が巡らされ、土塁と横堀で補強してあります。曲輪の加工規模としては一番手がかけられているように感じました。そして鬼柴田さんの陣跡と伝わる場所へ降りていきます。ここは伝・柴田勝家の陣跡となっていますが・・。まさか秀吉さんの風下に位置していたのですか(汗)?曲輪遺構もそんなはっきりしたものではありませんでした。ひょっとしたら事情により後から駆け付けて短期間だけこちらにいたのかも・・。虎御前山の尾根は南北に長く、信長部将オールスターがずらりと陣していたようです。まさに小谷城と相対するのに相応しい立地と人材が勢揃い。勝負を分ける巨大遺構だったことが体感できました。正直に申しますと、最初はそんなに期待していなかったのです。たかが付城、一過性の施設で織田諸将の足跡ぐらいのもの・・。たかをくくっていたのです。そして見事に裏切られ目を見張るばかりでした。まだまだ未熟なる自分。先入観の愚かさよ・・。戒めとすべし。駐車場から片道3km、往復6kmもある道のりでした。しかしそんな距離を感じない程の見所満載の虎御前山城。帰り道は日向さんと二人で御託を並べながら復習・下山するのでした(*^_^*)。 close

城友さんとさすらう東西城郭強襲記  虎御前山城編
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 近江の城めぐり
投稿日時 2020-12-21 01:00:05

「城友さんとさすらう東西城郭強襲記  虎御前山城編」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;