高槻城 [1/2] 室町期から江戸期にかけて北摂地域の重要拠点だった近世城郭の詳細

高槻城 [1/2] 室町期から江戸期にかけて北摂地域の重要拠点だった近世城郭
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記事タイトル 高槻城 [1/2] 室町期から江戸期にかけて北摂地域の重要拠点だった近世城郭
概要

高槻城は大阪府高槻市にかつて存在した平城で、室町期から江戸期を通じて北摂地域を押さえる重要拠点として機能した。秀吉の元で活躍したキリシタン大名・高山右近が城主を勤めたことで有名、城跡近くにはキリシタン関連の遺構や跡地が見られる。巨大な二重の水堀や多数の枡形虎口を固めた石垣は廃城後…… more に鉄道敷設等に再利用されほぼ地表には残っておらず、城跡は学校や公園、住宅街となった。三の丸跡に築かれている「しろあと資料館」は入場無料にもかかわらず資料も説明も豊富でオススメ。 <基本データ>●名称:高槻城 (Wikipedia)●所在:大阪府高槻市 (地図)●城主:和田惟政、高山右近、永井直清●築城:1569年(和田)、1576年(高山)、1649年(永井)●遺構:土塁、移築門 訪問時期:2019年9月高槻城 訪問記 – 其の一、二。高槻城 訪問記(2013)。 高槻城跡 <訪問記> 高槻城はほとんどが遺構は失われ、城跡としては特に見るべきものがないが、かつての城跡の広大さや点在する関連史跡等をめぐるだけでも楽しい。そんな高槻城跡めぐりは、まず三の丸跡に作られた「城跡公園」から。住民の憩いの場となっている。入口には小さな「高槻城跡」碑。城跡公園の入口に建てられている昭和時代の「高槻城跡」説明板。高山右近が城主だったということで有名だが、絵図などで残る最終的な近世城郭・高槻城の姿は江戸時代になってから全面改修されたもの。昭和50年の発掘調査で地中からかつての本丸外周石垣の底部やその下に敷かれた胴木などが出土している(右下の写真)が、すべて埋め戻された。しろあと資料館にてその復元が見られるので後ほど訪れてみよう。城跡公園内には、一見してお城の石垣とわかる四角い巨石があちこちに配置されている。説明板によるとこれらは昭和50年の発掘調査で出土した天守台や門の根石などを並べたものだとか。高槻藩は三〜五万石クラスだったが巨大で立派な城を持っていたようだ。城跡公園の内部は庭園のように整備されており、池や石垣づくりの展望台などがある。池の向こうに天守台風の展望台があるが模擬。ここは三の丸にあたり、本来の天守台は本丸(現在は学校敷地内)にあり、三重天守が建っていた。池の横には最も有名な高槻城主・キリシタン高山右近像が建つ。いかにもキリシタン大名という風情の高山右近像。同じ姿の像は、晩年を過ごした富山の高岡城内にある。最後の地・マニラにも建っているとか。高山右近 説明板。信長・秀吉の元で活躍するも、秀吉のバテレン追放令で改易、家康の禁教令で国外追放となってしまった。城跡公園内には遊具や民俗資料館など、城跡というより市民の憩いの場として整備されている。その隅っこには、かつてここが帝国陸軍の工兵第四聯隊があった歴史を物語る門跡が残る。レンガ造りの門柱もさることながら、右側に佇むように建つ門番兵のボックスも残る。工兵第四聯隊の営門跡 説明板。さて城跡公園を出て、かつての城の中心部近くへとやってきた。この大きな交差点は二ノ丸(道の左側)と三ノ丸(道の右側)と厩郭(撮影場所)との境界にあった枡形虎口の跡になっている。遺構はまったく残っていないが、当時の枡形を含む道の折れ曲がりがそのまま残っており、お城を感じられる場所となっている。この交差点に建てられている高槻城跡の大きな説明板。当時の城の構造と現在の地図との比定が面白い。城の枡形虎口や城門、天守台など重要ポイントには石垣が築かれていたが、それらは廃城後に鉄道敷設に使われたとある。現在の地図に、当時の堀跡と曲輪名を当てはめた図。堀跡はすべて埋められて失われたものの、堀に沿って道が残っているのは興味深い。高槻城下町比定図。いつの時代か不明だが最終形態か。交差点の一角には、かつてここにあった枡形門の石垣と思われる石材が展示されている。樹木の左右にある巨石がそう。昭和60年の工事でかつての内堀跡から出土した、厩郭枡形門(ここ)の石垣と推定される石材だとか。矢穴の形から江戸初期の切り出しと想定されている。江戸初期の高槻城は、徳川直轄地に始まり、内藤・土岐・松平・岡部と目まぐるしく城主が変わっており、どの時代にどこまで拡張されていったかはよく分からないようだ。枡形門の外側、かつての三ノ丸に位置する場所には高山右近が建設したという教会跡もあり、その近くの現教会の敷地内には高槻キリシタンの祖である高山右近のキリシタン像がある。高山右近キリシタン像。洗礼名はJusto(ジュストまたはユスト)で、ルイス・フロイスの日本史にもJusto Ukonとして頻繁に登場する。茶の湯にも精通し、千利休の高弟「利休七哲」のひとりとしても数えられる。 >> 高槻城 訪問記 其の二へ。<< 2013年に訪れた際の旧訪問記はコチラ。 訪問時期:2019年9月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

高槻城 [1/2] 室町期から江戸期にかけて北摂地域の重要拠点だった近世城郭
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城
投稿日時 2020-10-21 15:00:03

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