美濃 鶴尾山城  もう会えないのね・・。の詳細

美濃 鶴尾山城  もう会えないのね・・。
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 鶴尾山城  もう会えないのね・・。
概要

美濃 鶴尾山城(郡上苅安城)(岐阜県郡上市美並町白山上苅安・鶴尾山)かつてそこには山城がありました。頂上から三方に延びるなだらかな尾根が鶴のように美しく。様々な遺構や遺物が確認された郡上を代表する貴重な城郭でした。しかし東海北陸自動車道の美並インターチェンジ建設に伴い消滅しました…… more 。約1%部を残しますが、もうその痕跡を偲ぶ事はできません。(あ、・・悲しみが・・)今回はそんな初秋の鶴尾山城址を訪れてみました。矢印の真下に標高232メートルの鶴尾山がありました。上写真の左に延びているのが東海北陸自動車道です。林広院の裏山あたりからざっくりと山は取り削られました。インターチェンジではなく道だけだったらトンネルになったかもしれません。鶴尾山麓の林広院から東の尾根へと道がついています。天文21年(1552)福野の河合七郎右衛門を討った遠藤盛数は陣とした鶴尾山に築城。河合氏の遺領を継ぎ、周辺一帯を本拠地としました。永禄2年(1559)郡上八幡城へ移りるまでの居城となったようです。元亀元年(1570)には盛数の家臣、粥川甚右衛門親光が城主になり遠藤氏を支えました。甚右衛門が没すると盛数は功臣の菩提を弔うため鶴尾山一帯を寄進。苅安山光林庵の寺跡を移して林広院を開山しました。林広院山門から見ると里と周辺城郭が見渡せます。福徳天神生成(ふくとくてんじんいなり)から北へ造成尾根道を辿ります。林広院から東の尾根へ登ると福徳天神生成の祠が見えてきます。祠の左脇から自動車道に沿って散策道が北に延びています。かつて主郭部から南に延びていた稜線ですが遺構の痕跡はありません。福徳天神生成の由来の看板には鶴尾山城についてふれています。鶴尾山を貫通している東海北陸自動車道。旧主郭部はまさにこの地点。間近に見る削り取られた主郭部一帯。ここまで来ると何度来ても渡るのが切ない・・。林広院橋を渡って登ると供養塔が立っています。年を経るごとに手入れもされなくなりブッシュに埋もれていきます。戦国以来の戦火による戦死者を弔った供養塔として建立されたものです。ここはかつて本丸背後の堀切があった場の近くになります。唯一残った遺構の北東尾根の曲輪の一部。一見土塁のように見えますが手前側は削り取られました。残された曲輪の端部が土塁状に残った、ということです。この供養塔一帯の西側直下は高速道路となっています。東曲輪の一部を逆方面(東方面)からみる。当時のままの姿を拝めるのはこの場所だけ、ということになりますか・・。ここには三角点が埋め込まれているのが目印でしょう。現在の頂上からみる対岸部の粥川城(高原城)がピラミッドみたいです。当ブログでは城址の「今現在」をお伝えしていきたい、と思っております。フィルム撮影した当時の写真もあるのですが敢えて掲載は控えたいと思います。(探せないだけじゃ・・という声も認めますが)それはもうこの城の遺構が「失われてしまった」からです。主郭部の高い切岸、背後の土橋と堀切、南東に張り付いた畝状竪堀群・・。郡上の戦国史における貴重な城郭遺構の宝庫でした。かつてはこのように展開していました。替わりといってはなんですが・・学生だった平成3~4年頃に作図した図面を掲載したいと思います。発掘調査中にじっくり見学できたこの頃が最初で最後になりました。見所はなんといっても南部の塁段曲輪群と畝状竪堀群でした。城の遺構としてはこの部分が意識的に重視されているように思えます。考えるに後年の※立花山の戦いの際に改修を受けたものでしょうか。※天正11年(1583)に遠藤慶隆・胤基と佐藤秀方・森長可との間で行われた戦い。 山崎の戦い後、岐阜城主となった織田信孝は羽柴秀吉と対立します。 郡上郡の遠藤慶隆と胤基は、信孝側につき、秀吉方の佐藤・森氏らと交戦しました。城は南から北上してくる軍勢に対する構えとなっているようです。至近距離に点在する福野城、粥川城、丸山砦、深戸城、下田城(伝)などそれらの諸城と連帯した俯瞰的な防御網も考察したいところです。鶴尾山城はお星様になりましたが今でも脳裏の奥に焼き付く素晴らしい城でした。麓の林広院から東の尾根の福徳天神生成へ至り北へ辿る。林広院橋を渡って高速道路を越えたら主郭部址に向かって登ります。鶴尾山城主郭部の東端部が残っていますが、ほぼ把握できない状態。(主郭部といえるかどうかも疑問ですが・・)福徳天神生成に説明版、主郭部東端部に供養塔があります。 close

美濃 鶴尾山城  もう会えないのね・・。
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 郡上市の城めぐり
投稿日時 2020-10-04 20:20:02

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