竹生島 [1/2] 秀吉時代の大坂城遺構など国宝重文が多数残る「神秘の島」の詳細

竹生島 [1/2] 秀吉時代の大坂城遺構など国宝重文が多数残る「神秘の島」
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記事タイトル 竹生島 [1/2] 秀吉時代の大坂城遺構など国宝重文が多数残る「神秘の島」
概要

竹生島(ちくぶしま)は琵琶湖の北端に浮かぶ孤島。古くは奈良時代から信仰の対象とされ、西国三十三所の一つである法巖寺・都久夫須麻神社が鎮座している。お城ファンとしての竹生島はやはり、秀頼公が寄進した「旧豊国廟の唐門・観音堂・渡り廊下」や「木幡山伏見城の勅使殿を移築し外装に使った都久…… more 夫須麻神社本殿」だろう。唐門は旧大坂城の極楽橋、渡り廊下は文禄の役時に建造された秀吉御座船の利活用と言われる。旧大坂城も豊国廟も伏見城も全て徳川幕府によって破壊されてしまったことから、いずれも城ファン必見の超貴重な遺構となっている。 <基本データ> ●名称:竹生島 (Wikipedia) ●所在:滋賀県長浜市 (地図) ●遺構:大坂城遺構、伏見城遺構など ●時間:2時間30分 (1010−1240) 訪問時期:2020年8月竹生島 訪問記 − 其の一、二。 竹生島 <訪問記> 竹生島へはクルーズ船に乗って上陸する。いくつかルートがあるが、長浜港から出ている「弁天号」に乗った。JR長浜駅から港まで徒歩10分程度。往復で3130円となかなかのお値段。これに加えて上陸後に拝観料も必要。コロナの時期は乗船人数を限定しているとのことで、事前予約が無難。朝10:10発の便を予約して利用した。予約の電話をした際は空いてるので大丈夫ですよと言われ殆ど人が居ない状態を想像していたが、ざっと見て30人は乗っていた。事務所で乗船券を購入し、船員に見せて乗船。乗船券自体は帰りにもぎるようだ。クルーズ船で島まで約30分の船旅。天気がよく波も無くていい感じ。船内ではビデオで竹生島の歴史や由緒、見どころなどを流していた。そうこうしているうちに、正面奥に竹生島が見えてきた。だいぶ島が近づいてきた。ちなみに竹生島は一周2kmほどの小島だが、上陸ツアーで散策できるのは寺と神社などが建立されている南東部分のごく一部のみ。ちなみに今回は往復ともに1F船内に居たが、後でパンフを見返すと2F後方にオープンデッキがあったそうだ。次回は帰りにデッキに上がってみよう。島に近づいてきた。建物が見える。アップで見てみよう。3つの建屋が見える。左から、観音堂・龍神拝所・都久夫須麻神社本殿。突き出た岩場の上にある石鳥居は宮崎鳥居と言われ舞台から土器を投げる事ができるとか。いずれも檜皮葺(ひわだぶき)による柔らかなカーブを描く美しい屋根。観音堂の屋根は吹き替えられたばかりのため輝いて見える。そうこうしているうちに船は竹生島に到着。接岸していざ上陸。竹生島案内図。通常の散策/拝観ルートはまず図上部の宝厳寺まで左回りの階段で一気に上がり、三重塔を通って、中央下の唐門へ降りて右側の都久夫須麻神社から竜神拝所へ至るようだが、まず唐門・舟廊下・本殿を見たいので、唐門への最短ルートである「二番目の鳥居を越えて右に曲がる」ルートを取ることにする。最初の鳥居を右折すると(赤い橋の方)唐門や舟櫓の一段下の道に出てしまうので注意。港の直前は広場になっている。乗船待ちの人が溜まる場所だろう。様々な石碑や灯籠が立ち並ぶ。奥に大きな石垣が見えるが、まずは左側のアーケード(お土産屋さん通り)を通って拝観券を買いに行こう。ふと石垣の奥を見ると、豪勢な唐門が見える!気が逸る。宝厳寺の拝観券400円を購入し、中へ。ちなみに神社にしか行かなくても拝観券(のあるゲート)を越えないといけないので有料。竹生島神社の大きな石鳥居。先の図面で予習した「二番目の鳥居」は階段の上に見えている鳥居の方だ。この竹生島神社の石鳥居の右側に「竹生島神社参拝道」という道がある。ここを通ると唐門の下を抜けて直接都久夫須麻神社へ向かうことが出来る。竹生島には、竹生島神社(都久夫須麻神社)と宝厳寺の二つが建立されている。元は一緒だったが明治の神仏分離で分割されたようだ。この案内図は竹生島神社のもので法巖寺側の本堂は描かれておらず、唐門も無く「観音堂」が小さく描かれているのみ。ちなみに下に描かれているナマズたちは、都久夫須麻神社に祀られている弁天様(弁財天・右上の女神様)をお守りする謂れによるものとか。ではひとつ上の石鳥居(宝厳寺石鳥居)を右に曲がり、直接唐門へ向かおう。予想通り、ほとんどの参拝客は宝厳寺ルートへ向かい、こちらには誰も居ない。右の古い石碑は西国札所第三十番 観世音道とある。西国三十三所の第30番は宝厳寺だが観世音菩薩が祀られているのは唐門のある観音堂のため、石碑は唐門方面を指している。巨大な唐門が見えてきた!石垣で築かれた高台になっており、右側は琵琶湖が一望。極彩色の唐門へ。平成25年(2013年)から令和2年3月(2020年)まで行われた檜皮葺屋根・漆塗り・彩色のリニューアル工事を経て、美しく蘇った。宝厳寺唐門 説明板。1602年(慶長7年)豊臣秀頼は、当時荒廃していた竹生島伽藍整備を行い、その際に秀吉の墓所/廟所だった京都東山の豊国廟より、唐門・観音堂・渡廊下を移築した。関連する古文書やオーストリアに伝わる大坂城の屏風絵により、この唐門は旧大坂城の極楽橋唐門であったことが比定され、唯一残る豊臣大坂城の遺構として今に伝わる。秀吉が栄華を極めた旧大坂城の唯一の遺構が、秀吉が信長の元で初めて城持ち大名となった長浜の地にあることは確かに非常に興味深い。秀吉不在時に長浜城を守った正室高台院(ねね)殿の意向もあったという説も。もう一つの説明板。内容は先の説明板とほぼ同じだが、下にCGによる絵図が載っているところがポイント。NHK制作の旧大坂城 極楽橋のCGと、彩色復元前の色あせた状態の唐門写真。では彩色工事が終わった国宝唐門をじっくり見てみよう。巨大な唐破風の下部には極彩色で彩られた欄間。左右にはキジの一種である「錦鶏」、当時の中国王朝で王者を示す鳥だそうで、まさに秀吉の旧大坂城の入口にふさわしい彫刻と言える。中央の蟇股(かえるまた・青いΩ型の装飾)の内側は赤いハスの花。唐門は観音堂に接続されており、赤い蓮が彫られた漆塗の扉の奥にはもう一つ極彩色の彫刻が施されている。こちらは観音堂側か。ハスの花と青い蟇股という構成は唐門側と同じだが、こちらは錦鶏ではなく、親鳥が中央の金色のひなを守るような図。秀吉・ねねと秀頼、という構図だろうか。唐門と観音堂が接続している部分も非常に細かく美しい装飾が施されている。肋骨みたい。唐門の内側。金ベースの二条城唐門とは全く違う、カラフルで豪華絢爛な印象。宝厳寺観音堂 説明板。こちらも豊国廟より移築。今いる場所は入口に過ぎず、中央部に観音立像が安置されているが写真禁だった。赤緑青のRGBカラーで彩られた斗栱(ときょう・屋根の荷重を分散させる木組み)と、同じくRGBカラーの木鼻・獅子。獅子鼻?観音堂正面には唯一色あせたままの仏様。リアルすぎます。漆塗りも美しい観音堂の中へ入ります。この左側がお土産屋さんと堂内部になっているが全面写真禁のためチラッと拝観するに留まる。唐門と船櫓に気が行っていて観音堂はほぼスルーしてしまい千手観音像や格天井を見損ねたので、再訪時は是非。ちなみに観音堂は修復前の写真を見ると千社札が貼られまくっていたが、漆塗りで美しくリニューアルして千社札も無くなりスッキリ。観音堂の廊下から、渡り廊下の側面がチラッと見える。観音堂と奥の都久夫須麻神社の間は崖になっており、その間を懸造で持ち上げ渡り廊下で繋ぐという豪快な建築がされている。渡り廊下の外装は今回の修復外だったようだが、その上の屋根の檜皮葺や梁の漆塗り・装飾金具の金箔などはキレイに修復されていた。観音堂廊下の窓の下に設置されていた、真新しい檜皮葺の屋根。観音堂を回り込んで、接続する渡り廊下へ。通称 舟廊下。重要文化財。舟廊下の入口部分は観音堂と接続されてしまっていて見づらいが、唐破風になっていた。観音堂の唐門と比べて彩色なしの虹梁のみの、非常に質素なつくり。文禄の役時時に作られた秀吉の御座船「日本丸」の具材を利活用して作られたと伝わることから、舟廊下と呼ばれる。何処の具材をどう再利用したのか現地では具体的に書かれていなかったが、宝厳寺のWebサイトでは「船櫓を利用して作られた」とある(参考)。廊下橋のような天井はなく、三角屋根がむき出しで、内部は梁や斗栱で補強されている。名護屋城や文禄の役の古絵図に描かれる日本丸は巨大な船の上に巨大な櫓が建っている(参考[wikipedia])。法巖寺渡廊 説明板。観音堂から都久夫須麻神社へ渡すために急斜面上に作られているため、下部は足代を組んだ舞台造(懸造)になっている。後ほど帰りに下のルートを取って間近で見てみよう。舟廊下内部の斗栱・木鼻・梁。梁には墨書きで何か書いてあるが読めなかった。都久夫須麻神社側から見た舟廊下全景。左右の窓は神社や寺院でよく見られる連子窓。法隆寺みたいな趣。 竹生島 訪問記 其の二 へ続く。 訪問時期:2020年8月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm 一番上へ戻る。 close

竹生島 [1/2] 秀吉時代の大坂城遺構など国宝重文が多数残る「神秘の島」
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ その他史跡
投稿日時 2020-09-19 01:20:03

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