第711号安威城の詳細

第711号安威城
城 新 聞
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記事タイトル 第711号安威城
概要

 1504年から1521年 までの永正年間に安威弥四郎によって築かれた云われています。 場所は安威川西岸の丘陵に位置した山城で、縄張りは『大阪府全志』によると東西180m×南北270mの規模だったと記されています。 また、『東摂城址図誌』…… more によると内郭、本丸跡の中心部には「御殿台」という土壇があったとの記載があったとされ、古代、この周辺は藍(あい)の名を擁した中臣藍連の一族がいたいう伝承があるそうです。 安威氏は、この地の土豪で摂津守護細川氏より安威庄惣領職を安堵されています。 1526年、管領細川高国と阿波細川晴元との合戦では、高国方に属した芥川、茨木、福井、三宅城ともに落城。その後、安威弥四郎は細川晴元の家臣三好長慶の傘下に入ります。弥四郎の子、安威五左衛門尉は豊臣秀吉に仕え、1586年に茨木城主となり安威城は廃城となりました。現在、城の遺構は、集落の周辺部(北東部と南側)に土塁の一部が竹藪となっていました。 なお、近隣に中臣鎌足と書かれた石標を発見。中臣鎌足は中学の歴史の教科書でも登場する通り、「大化の改新」の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた人物です。 調べてみたところ、『1934年に京都大学の地震観測施設の建設中、土を掘り下げていて瓦や巨石につきあたったことからこの阿武山古墳がこの地で偶然に発見。通常の古墳にあるような盛り土はなく、浅い溝で直径82mの円形の墓域を形成していたそうです。 時を経て、2013年12月、関西学院大学の調査により、この大阪府茨木市にある阿武山古墳で発見された棺に入っていた冠帽が、当時の最高級の技術で作られ、さらに金糸を織り込んだものである事が判明。 日本書紀によれば、鎌足は死の直前に天智天皇から最上の冠位「大織冠」と大臣の位を贈られたとされており、この冠帽がそれではないかと考えられているそうです。【交通アクセス】JR東海道本線茨木駅 阪急電鉄・京都線茨木市駅から阪急バス1番のりば安威団地下車【近隣の高校】大阪府立福井高等学校 2001年に一般の普通科高校普通科総合選択制に改編されたそうです。 2年次に「国際コミュニケーション」「福祉ヒューマニティー」「スポーツ健康」「情報表現」「環境自然」「理数」の6つのエリアの中から1つを選択。またドリカムと呼ばれる「産業社会と人間」講座が設置されているのが特徴の1つです。 close

第711号安威城
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投稿日時 2020-09-01 01:40:02

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