第388回:松山城(加藤嘉明が築いた連立式天守の城)の詳細

第388回:松山城(加藤嘉明が築いた連立式天守の城)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第388回:松山城(加藤嘉明が築いた連立式天守の城)
概要

訪問日:2018年10月松山城は愛媛県松山市にあったお城です。日本に12基しか残っていない現存天守の城。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。また,日本三大平山城の一つにも数えられます。賤ケ岳の七本槍の一人として知られる加藤嘉明が1600年 関ケ原の戦いの功のより10…… more 万石より20万石に加増,それまでの居城であった松前城(まさきじょう)に変えて1602年より勝山に築城を開始しました。1603年には嘉明はこの地に入り名前を松山と改め城下町も形成されていきます。工事は1627年まで続けられたそうですが,加藤嘉明は会津へ移封となり蒲生忠知が入りました。蒲生氏が嗣子が無く断絶した後の1635年に松平定行が入り当初五重であった天守を三重に改築しています。以後,松平氏が明治維新まで治めますが,1784年に落雷による火災で天守 等の建物が消失。今に見ることができる素晴らしい連立天守がようやく復興されたのは松平勝善の時 1854年 安政年間でした。  ◆東の山麓にある加藤嘉明公騎馬像。七本槍の加藤は清正だけじゃないぞ!◆ここが最もよく利用される東雲口登城道にある松山城ロープウェイ・リフト乗り場。歩いても登れますがロープウェイとリフトのどちらかが選択できますので往復で変えてみるのも良いかも。山上の曲輪群である本丸,麓の居館跡として庭園整備された二之丸,堀之内と呼ばれる三之丸があります。登城口は4か所ありロープウェイ・リフトのある東雲口登城道,江戸時代の雰囲気が残る黒門口登城道,さらに明治以降に整備された県庁裏登城道,古町口登城道。今回は山上から山麓まで隈なく見るため1日目は東雲口登城道をロープウェイとリフトで往復(赤矢印)。2日目は黒門口登城道で登り,県庁裏登城道で下りました(青矢印)。この時,古町口登城口は崩落で通行止(赤×)でした。  ◆ロープウェイ・リフトは長者が平と呼ばれる平場に到着します。◆早速,高石垣がお出迎えです。櫓とともに折れが作られ横矢が掛かる仕組みになっています。  ◆勇壮な本丸石垣。圧倒されます。◆石垣の横を進むと左手に大手門跡があり,これを下りると黒門口に到ります。古い見取図によると大手門跡を過ぎると直進するように見せかけ,太鼓櫓の下で180度向きを変えて戸無門に向かうことがわかります。大手門からは何度も屈曲し,近づいてきた天守がまた遠ざかるといった動線になっています。  ◆奥に天守が見えていますが手前の太鼓櫓の下で180度向きを変えます。当時,直進方向には中ノ門がありましたが,一生懸命開けたところでどこにも辿り着かないダミーの門ですね。◆重要文化財の戸無門(となしもん)が現れます。高麗門形式のこの門は敵を誘い込むためにあえて戸を持たせなかったとか。  ◆戸無門を抜け左折すると現れるのが筒井門(復元)。◆この空間の最大の工夫は埋門形式の隠門(かくれもん)で重要文化財に指定されています。筒井門の右手奥に隠れるように設置されており,筒井門に到達した敵兵の側面より背面に回り込んで急襲する役目があります。隠門の嫌らしい位置がわかりますでしょうか?ここを通り抜けても,太鼓櫓や巽櫓が睨みを利かす空間に誘導されます、  ◆隠門の内側です。右にある筒井門より一段低く見えにくくなっています。その上に乗る隠門続櫓も現存建築物で重要文化財です。◆筒井門・隠門を抜けたとしても,太鼓櫓(左)と太鼓門(右),その間の太鼓門西塀から一斉射撃を受けることでしょう。この部分の建物は全て復元です。  ◆筒井門の後はこの太鼓門を突破しなければなりません。◆太鼓櫓は筒井門を抜けた空間にある敵と下方の戸無門付近の敵を攻撃します。  ◆広大な本丸広場。◆本案るにある井戸です。戦前までは水を飲めたそうです。  ◆本丸の南東隅を守備する巽櫓(復元)。二重櫓で太鼓門前の敵を攻撃する位置にあります。◆本丸の西側を守った馬具櫓は城内で唯一の鉄筋コンクリートによる復元で防災ポンプ操作室になっているそうです。  ◆松山城のキャラクターである”よしあきくん”と柴犬。もちろん加藤嘉明にちなんでいます。◆ここが最も見栄えの良い場所でしょう。複雑に絡んだ連立式天守。中央に現存天守である天守で重要文化財に指定されています。右手から現存建築で重要文化財の二の門南櫓,一の門南櫓と続き,左手は復元の小天守となります。壮観です。本丸の中心部は本壇と呼ばれ,多くの建物がひしめき合っています。特に紫色に塗られた現存建築物の数の多さは圧巻です。  ◆料金所を抜け近づくと奥が天守。手前左手が小天守,手前右手が一の門南櫓です。◆紫竹門東塀の上側を通って中に進みますが,この塀も重要文化財です。  ◆最初に現れる一の門(重要文化財)は高麗門形式で,ここで足止めを食らうと奥に見えている三の門南櫓(重要文化財),手前の一の門南櫓,さらに背後の小天守等から一斉攻撃を受けます。◆次に現れる二の門(重要文化財)も薬医門形式です。  ◆二の門を抜けると正面にある天神櫓(復元)です。本壇の北東隅を守備します。◆二の門を抜けたあと本壇の中心に至るためには二つの経路があります。一つは写真の三の門(重要文化財)から鉄筋門を経由するルートです。  ◆三の門南櫓の横を通っていきます。一の門,二の門,三の門のそれぞれを狙える重要な位置にあります。手前の土塀も現存建築物の鉄筋門東塀(重要文化財)です。◆復元の鉄筋門(すじがねもん)を抜けると本壇中心部です。  ◆本壇中心部へ至るもう一つのルートは写真の仕切門(重要文化財)から内門を経由します。◆仕切門内塀も現存しており重要文化財です。  ◆復元された内門を抜けると本壇中心部です。◆天守の穴蔵(地階のこと)は貯蔵場所であった部分ですが,現在は天守の入口として使われています。  ◆天守より本壇中心部の様子です。仮にここに辿り着いたとしても四方八方より攻撃されることがわかりますね。◆天守に至るルートが如何に複雑かがよくわかります。  ◆天守より本丸の全体を見ています。山上にも関わらず広大な曲輪であることがわかります。◆天守より西方面には戦国時代に伊予を治めた河野氏の湯築城(手前の緑,現 道後公園)を見ることができます。  ◆ここからは本壇の周囲を見ていきます。まずは重要文化財の紫竹門をくくり,西側に回り込んでいきます。◆この紫竹門西塀(重要文化財)も松山城は多く残る現存土塀も一つです。本壇西側の案内図です。このうち乾櫓と野原櫓が現存建築物で重要文化財となっています。  ◆内側からみた乾門の枡形です。奥の建物が現存の乾櫓で手前が乾門東続櫓(復元)となります。◆復元された乾門は搦手口を守る重要な櫓門でした。さらに外側にあった乾一の門との間の空間では乾櫓,乾門東続櫓や高石垣に囲まれ一斉射撃を受ける仕組みです。  ◆乾門付近からは北側の登り石垣の残欠を見ることができます。この城の特徴である登り石垣は敵による斜面横移動を防ぐ防御機構ですが,加藤嘉明が朝鮮式城郭の技術を取り入れたと言われています。北と南に二本あったのですが,北側は写真のようにほとんど残っていません。南側は良く残っているので後ほど見ることにしましょう。◆搦手側にはもう一つ重要な現存建築物の野原櫓があります。望楼型の櫓という非常に珍しい建物で松山城内で最古の建築物と言われています。  ◆乾門付近から見る本壇西の様子。復元の北隅櫓(左)と南隅櫓(右)がきれいに見えますね。◆本丸の北東に復元された艮門,艮門東続門。ここから出撃し本丸石垣下を伝うことにより,正面から攻めてきた敵の背後に回り込むことができました。  ◆本丸東側の石垣の様子。艮門からはこの石垣の下に続いています。◆麓に戻りまして,今度は当時の大手筋であった黒門口登城口から登っていきます。写真は黒門跡です。  ◆黒門跡を抜けるとわずかな間に三つ門と五度の屈曲があります。◆槻門跡(けやきもん)の横に残る西大砲台の高石垣。  ◆黒門口登城口に残る江戸時代の石畳。◆本丸の大手門跡の手前です。これを抜けると本丸です。  ◆次に近世に整備された県庁裏登城道はロープウェイ・リフトの山上駅のある長者ヶ平から県庁に裏に下りていきます。この道は歴史はありませんが良く残る南側の登り石垣を間近で見れることが魅力です。奥に長大な登り石垣が見えてきました。◆登り石垣の近景。下の二之丸から本丸を縦に繋ぎ城郭として一体化させる役割も持っています。  ◆二之丸跡に整備された二之丸史跡庭園を見学します。復元された多門櫓が入口になっています。◆展示室にある二之丸史跡庭園の模型。  ◆二之丸は藩主やその家族の居住空間や政庁に相当する表御殿がありました。◆現在は様々な庭園や有料施設として利用できる建物が建てられています。  ◆二之丸の重要な遺構である大井戸遺構。階段で下りるくらいの巨大さです。◆次に山麓に広大な面積を有する。三之丸跡を見ていきましょう。水堀に囲まれ堀之内とも呼ばれます。東側に残る水堀です。  ◆三之丸の東側虎口と土塁です。◆三之丸の小普請所跡。 広大な敷地には藩の施設や家臣の屋敷がありました。  ◆現在は城山公園堀之内地区として整備され公共施設や広場があり市民の憩いの場となっています。◆三之丸を囲む立派な土塁。  ◆西側の水堀。白鳥などもおり良い雰囲気です。◆最後に行ったときは通行止めになっていた古町口登城道の入口。本来,搦手の乾門まで登れるはずです。多くの現存建築物に復元を上手く組み合わせた複雑な建物群は圧巻。七本槍の加藤嘉明による城ということで歴史的にも申し分なし。個人的な好みでは近世城郭ベスト5に入ると思います。大きな地図で表示お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第388回:松山城(加藤嘉明が築いた連立式天守の城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 愛媛県の城郭
投稿日時 2020-08-24 19:40:03

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