津城(三重県)の詳細

津城(三重県)
むぎの城さんぽ
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記事タイトル 津城(三重県)
概要

【 津城 】つじょう 【 別名 】安濃津城 【 構造 】平城 【 築城者 】細野藤敦 【 築城年代 】1558年~1570年(永禄年間) 【 指定史跡 】県指定史跡 【 場所 】津市丸之内 地図 【 スタンプ設置場所 】高山神社社務所(9:00~16:00) 【 城郭検定 】出題…… more あり 織田信包(信長の弟)が1580年(天正8年)に津城を創築。 その後、藤堂高虎公が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 1611年(慶長16年)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。 本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れ 低湿地ながら防御には堅固な城でした。 駐車場 お城東駐車場へやって来ました。 以前登城した際も、ここに駐車して散策した覚えがあります。 津まんなかガイド詰所 料金所となりに津まんなかガイド詰所があります。 しかし、詰所は新型コロナウィルスの対策でお休みしているとのことです。 パンフレットと続100名城のスタンプは高山神社社務所にあると教えて頂きました。 QRコード ガイドさんが不在ということでQRコードを見てみると… スマホが代わりにガイドしてくれるみたいです。 これはなかなか良い仕組みです。 登城前にぜひ、QRコード読み取って行ってみて下さい! 駐車場から石垣が見えていましたが、 早速模擬三重隅櫓がお出迎えです! 東の虎口 ここは、本丸と東の丸を繋ぐ虎口で、 外門の東黒門と内門の東鉄門の櫓門があり、枡形虎口になっていました。 それぞれの門内に番所を設けて通行人の監視をしていました。 まっすぐ本丸に入って右側に、三重隅櫓に登る階段があります。 模擬三重隅櫓 樹が邪魔してますが模擬三重隅櫓の入口正面です。 そもそもここには三重櫓は無く、黒鉄門の多門櫓があった場所です。 戌亥三重櫓、丑寅三重櫓があったことから 模擬三重櫓を造ったと思うのですが、この向きから見た破風は 三重を強調した破風の迫力あるデザインです。 多門櫓になっていた石垣の上を歩いて丑寅三重櫓跡へ。 丑寅三重櫓跡 本来の三重櫓はこの丑寅隅の石垣上に建てられていました。 先ほどの模擬三重櫓よりシンプルで、外壁下端に1列の海鼠壁が特徴の 東向きにの多門櫓と丑寅三重櫓にはありました。 そして、丑寅三重櫓跡の角から見下ろしてみると… 高さもありますが、この角の揃った石垣の積み方を見て欲しいです。 高虎らしい、反りの無い、直線的な石垣です。 北多門櫓跡 丑寅三重櫓と戌亥三重櫓を結ぶ、北側の多門櫓が載っていた場所です。 以前訪れた時は、もっと石垣が見えていて、ここからの 石垣と水堀がとても印象に残っていたのですが、今回は草だらけの光景です。 以前は戌亥三重櫓跡まで歩いたような気がしますが…。 雨の中、この草むらを突き進むのはちょっと無理かな 本丸 本丸の中心部に降りて来ました。 やはり一番目に付くのは藤堂高虎の騎馬像でしょう! 藤堂高虎像 この銅像は記憶に残っていました やっぱり凛々しいですね。 高虎遺訓 「可為士者常之覚悟之事 一、寝屋をでるより 其日を死番と可心得 かやうに覚悟極るゆへに 物に動する事なし是可為本意」 なんとも緊張感の伝わる碑です。 戌亥櫓跡 本丸から西の丸へと渡る土橋から戌亥櫓があった高石垣を見ています。 水際に見える幅1m程の犬走は、一度堀を埋められたために近世になってから 修復されたものです。 日本庭園 現在日本庭園となっていますが、かつては番所や倉庫が置かれた 馬出し状の小曲輪になっていました。 入徳門 藩校、有造館の講堂の正門で赤門と呼ばれていました。 有造館廃校後は小学校や中学校、女学校や幼稚園の門となり、 昭和46年、現在の場所に移築され保存されています。 西の丸虎口 西鉄門と西の丸二階門で構成された枡形虎口が設けられていました。 玉櫓台 正面の石垣の上には玉櫓がありました。 橋 ここには木の橋が架かっていました。 南側の内堀です。 かつては幅100mもの広大な水堀になっていたのですが 埋め立てられて残されたのはこれだけの幅です。 城山稲荷大明社 赤い鳥居がとても目立ちます。 商売繁盛!どうかコロナに負けないよう宜しくお願い致します。。。 高山神社 藤堂高虎を祭神とし、現在の津偕楽公園に建立されましたが、 明治34年に津城に移されました。 まずはこちらでお参りをして、社務所へ。 社務所 まだ、午前7時半頃でしたが、社務所にいらした方が対応して下さり 続100名城のスタンプを押して、御城印とお守りを購入しました。 時間外でしたが嫌な顔ひとつせずに、親切に対応して頂き本当に感謝です。 スタンプ設置場所 社務所の窓口に出して頂いてありました。 天守台南側を通ってお城児童公園へ。 角は三木積みの野面積みの石垣で、折れが綺麗に見える場所です。 埋門 南多門櫓石垣にある埋門跡は、高虎の改修より前に造られた 「局丸」へ通じる門として南側の犬走に繋がっていましたが、 局丸は高虎によって取り除かれたと伝わります。 お城児童公園 この場所もかつては水堀だった場所です。 かなり幅の広い水堀が本丸を巡っていたようです。 石垣の切れ目 公園のパンダと猿のゴミ箱の裏手の石垣に 古くからの城壁と新しく積まれた石垣の切れ目が見える場所があります。 天守台 先ほどの埋門から本丸に入ると、左手に天守台が見えます。 織田信包が五層の天守を築いたのですが、関ヶ原の戦いで被害を受け、 それ以降、再建されることはありませんでした。 手前にスロープか階段か?天守台に登る場所はここ? それとも当時は多門櫓を頼りに天守台から離れた場所から天守を目指したのか? 天守台に登る入口がみつかりません。(登っちゃダメなのかも) 月見櫓跡 東側の多門櫓の南隅にあった月見櫓跡です。 本丸内の堀のようなデザインの場所(トイレ付近)は、水がグリーンになってます。 別の意味で綺麗です^^; 東の丸 内堀の中に島になっていた東の丸ですが 堀を埋め立てられたため、現在は陸続きでその形も分かりません。 内堀 北西の内堀です。 これだけでも十分そうな水堀ですが、かつてはもっと広かったのですね。 津で一泊し、ホテルのチェックアウト前に朝食を食べて朝さんぽにやって来ました。 一度訪れているので記憶を辿りながら歩いたのですが、いかに以前は何も考えずに 歩いていたことか…。 断片的な記憶は、やはり曖昧で再登城というよりも初登城と変わらない 目線で歩きまわりました。 平成25年5月3日登城 令和2年7月24日再登城 今回の参考本 東海の名城を歩く 愛知・三重編均, 中井吉川弘文館 続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)公益財団法人 日本城郭協会学研プラス close

津城(三重県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 続百名城
投稿日時 2020-08-13 15:00:03

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