第385回:荏原城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)の詳細

第385回:荏原城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)
こにるのお城訪問記
ページの情報
記事タイトル 第385回:荏原城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)
概要

訪問日:2018年10月荏原城(えばらじょう)は愛媛県松山市にあったお城です。県史跡に指定されおり,恵原城や会原城等とも表記されます。築城時期は不明ですが,建武年間には忽那氏が戦ったとの記述が残りその時代と考えられますが,室町時代後期から戦国時代からは伊予守護であった河野氏の重臣…… more 平岡氏の居城でありました。内紛などで有力な戦国大名へとなることができなかった河野氏ですが平岡氏は主家に最後まで支え主力として戦いました。当主が平岡通倚(ひらおかみちより)の時1585年の四国攻めよりの豊臣秀吉による四国攻めにより大名としての河野氏は滅亡しました。1600年 関ケ原の戦いを発端として四国での戦いは東軍の加藤嘉明軍に対し西軍の毛利方に呼応し平岡直房が挙兵,河野氏旧臣と連携し荏原城に立てこもります。一連の戦いは三津浜夜襲等の名で知られますが,毛利方が敗れたことにより鎮圧され荏原城も廃城になったと考えられます。  ◆荏原城は方形単郭の城郭であり南側に土橋で接続した虎口から内部に入ることができます。◆虎口にある史跡 荏原城趾の城碑。  ◆5mはあろうかという土塁。◆方形の四隅には櫓台があったとされます。ここは東南隅の櫓台です。  ◆東土塁上の後継。◆郭内の様子。果物の木がたくさんありました。     ◆西南の土塁に残る石積み。◆最も櫓台の雰囲気を出しているのこの西南隅。  ◆西側から北側の土塁は内側に犬走りが残っており兵の移動に使われたと想定されています。また西側土塁には一段下がった場所があり搦手口があったとの説もあります。◆北西の隅にある祠。  ◆北側の土塁。やはり犬走りが残っています。◆中世平城にしては珍しく広大な水堀が残っているのもこの城の特徴です。写真は西側堀。  ◆東側の堀は水路にようになっています。◆この部分は北側の堀です。暑かったせいでしょうか少し水が汚れていますね。中世城郭の中でも平城は宅地や耕作地への転換で遺構が残らないことが多いのですが,ここは綺麗に残っています。また,戦国大名 河野氏の重臣 平岡氏の城というのも歴史的なポイントも高いのではないでしょうか。大きな地図で表示お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第385回:荏原城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 愛媛県の城郭
投稿日時 2020-08-09 02:00:02

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