河内 芥川山城  三好長慶の栄光と暗転、義興の悲劇の詳細

河内 芥川山城  三好長慶の栄光と暗転、義興の悲劇
久太郎の戦国城めぐり
ページの情報
記事タイトル 河内 芥川山城  三好長慶の栄光と暗転、義興の悲劇
概要

摂津 芥川山城 (大阪府高槻市腹・三好山(城山))<通りすがりの河内・摂津の城めぐり・その④>-三好孫次郎義興の旧蹟・芥川山城を訪ねて-長かった梅雨もやっと・・、やっと開けて夏本番!・・しかし、猛暑+コロナです。コロナも注意ですが熱中症も要注意です。スポーツドリンクと水道水を1:…… more 1で合わせて飲んでいる久太郎です。さて、通りすがりの河内の城めぐりも今回で通り越します。三好一族の群像に主眼をおいて歩いてきました。今回は三好長慶の嫡男・孫次郎義興の横顔を思い訪ねてみました。三好山を登山の途中道から望みます。(正面写真撮り忘れまして・・)麓の塚脇バス停には各説明版があり、ここから登ってみます。三好長慶は芥川山城を拠点として各地に出向いていきました。城は能勢氏・細川氏時代を経て長慶の下で防御施設を拡張していきました。(現地のイラスト鳥瞰図を転載させていただきます。)三好山まで40分、とありますが、道はなだらかで30分程です。芥川山城は大きく3つのブロックから構成されています。東曲輪群​と中央曲輪群、そして主郭のある西曲輪群となります。時間の許せる限り速足ですが見学してみました。東曲輪法面には大規模な竪土塁が落とされています。現場には現在獣除けのフェンスが竪土塁状に設置されてます。しかし、これがなんとなく当時の柵を思い起こさせます。これでは斜面の横移動進入、完全にシャットアウトされそう・・。中央曲輪に続く堀切と土橋もよく残っています。しばらく進むと分岐点に小さな字城址碑が。ここを一旦下に降りてみます。横目に石垣が見えてきました。中央部は崩れていますが大規模な石垣遺構があったようです。芥川山城の大手通は本来この中央曲輪群の下から通っていたようです。登城途中にこの石垣を仰ぎ見る者は威圧感を覚えたと思います。こういった石垣虎口跡の構えは飯盛城の遺構とよく似ているなとも思いました。中央曲輪群はまとまった広い曲輪と腰曲輪で構成されていました。写真も幾つか撮ったのですが木々の茂みが邪魔してダメです・・。あと季節がら蚊の大群に囲まれてあえなく退散してしまいました・・。ここから最高所の西曲輪群へと向かいます。こちらはキレイに整備がされている西曲輪群。陽当たりもよく踏みあとと緑が目に優しかったです。切岸の遺構が確認できて主郭部の全体像が掴みやすくなっていました。地元の方々による整備の賜物かと思われます、感謝です。広い頂上の曲輪には主郭御殿が設けられたようです。本丸跡では高槻市教育委員会によって発掘調査が行われました。礎石跡が検出され御殿的な施設が建設されていたのが確認できました。軍事施設と共に住居空間も山頂に建設されていたんですね、進んでますね。三好長慶を祀っている頂上の祠。手を合わせ訪問できたことに感謝。石碑、やっぱイイっすね~( ^ω^ )少し北には部分的にL字型に土塁囲みを備えた曲輪も。北西尾根へと続く尾根にも堀切です。この辺りの遺構は主郭部と同じように整備されてとても見学しやすかったです。主郭からは大阪平野方面が見渡せます。三好義興は父・長慶に劣らず智勇に優れた後継者でした。将軍地蔵山の戦いでは六角氏との闘いで永原重澄らを討ちとる大勝利を収めます。また摂津での教興寺の戦いでは戦死した叔父・実休の仇である畠山軍にも大勝します。松永久秀らとのタッグも冴え渡り、三好政権を支えた諸武将たちにも信頼されました。また豊かな教養人でもあり、将軍義輝や公家達からの信望も厚かったといいいます。 筑前守に叙任、御供衆となり名実共に長慶の後継者として皆に期待された若者でした。しかし永禄6年(1563)6月に病に倒れてしまいます。曲直瀬道三らの介抱を受けますが病状は悪化しここ芥川山城において死亡しました。享年22歳で、『足利季世記』では死因を黄疸と伝えています。長慶の悲しさいかばかりであったでしょう。悲嘆にくれ心身にも異常をきたすようになったそうです。翌永禄7年(1564)7月息子の後を追うように長慶も飯盛城で没しました。長宗我部元親の嫡男・信親、毛利元就の嫡男・隆元・・などなど。将来を渇望された世継ぎの早逝は大名に限らず痛ましいですね。時にその無力感は家の運命を大きく狂わす一因にもなっていきます。器量人だったプリンス義興の死が三好政権の暗転を決定づけた、といえないでしょうか。ちなみにですが・・。同じ高槻市殿町周辺にも「芥川城」と呼称された城址があります。 どこだ?どこなんだ??、うろつき回って探しまわって、やっと見つけました。わからんかったがや(*`皿´*)ノ、でも嬉しい探索でした(#^.^#)。芥川城は芥川氏によって築城されたともされています。しかしいつごろ築城されたのかは明確に解っていません。芥川山城の築城後、平時の居館として活用されていた時もあったようです。しかしながら遺構は殆ど残っておらず石碑と小さな祠が残るのみです。 今回の記事のお・ま・けです・・(*’U`*)。 close

河内 芥川山城  三好長慶の栄光と暗転、義興の悲劇
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 摂津の城めぐり 河内の城めぐり
投稿日時 2020-08-05 01:20:05

「河内 芥川山城  三好長慶の栄光と暗転、義興の悲劇」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;