第383回:[近江]八幡山城(羽柴秀次による近江支配拠点)の詳細

第383回:[近江]八幡山城(羽柴秀次による近江支配拠点)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第383回:[近江]八幡山城(羽柴秀次による近江支配拠点)
概要

訪問日:2018年6月,2018年12月 等八幡山城は滋賀県近江八幡市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。1585年 豊臣秀吉は甥である羽柴秀次に紀州攻め、四国征伐の戦功により近江国43万石(秀次分として20万石,宿老分として223万石)を与えま…… more した。秀次は近江の支配拠点として織田信長の安土城の程近くの八幡山へ山城と山麓に居館を築きました。秀次は補佐役の田中吉政とともにこの城に入り城下町を建設発展させました。さらに,23万石を与えられた宿老達は次のようにそれぞれ近江の主要城郭に入りました。水口岡山城(中村一氏),長浜城(山内一豊),佐和山城(堀尾吉晴),竹ヶ鼻城(一柳直末)。これにより豊臣政権の城郭ネットワークが形成されていきます。1590年に秀次が清州城に移封されると京極高次が入りましたが1595年に関白となり豊臣姓となった秀次が秀吉に謀反の罪で切腹させられると秀次が心血を注いだ八幡山城も廃城となってしまいました。しかしながら秀次が発展させた城下町は現在でも風情豊かな観光名所となっています。  ◆麓から眺める八幡山の遠景。◆八幡山ロープウェイの公園前駅(山麓側)です。八幡山城へは徒歩で上ることも可能ですがこのロープウェイが便利です。  ◆今回は登りをロープウェイ,下りを徒歩ということにしました。◆山頂側の八幡城址駅に到着,ここよりは徒歩で城域内を回ります。現地にあった案内板。一般の人にも参考にしやすいイラストであると思います。こちらは二の丸にあった縄張図。山城部は大きく本丸,二の丸,北の丸,西の丸,出丸で構成されていることがわかります。  ◆二の丸南面の石垣に沿って進んでいきます。◆途中にあったおねがい地蔵堂。願い事が叶うパワースポットだとか。  ◆この部分で左折して上っていくと本丸,二の丸の虎口へ向かいますが,直進して西の丸を目指します。◆本丸の南面石垣の下を進んでいきます。  ◆本丸石垣にはところどころ張り出しや折れが見えます。櫓台の部分かと思います。◆西の丸に向かいます。  ◆西の丸に到着。◆西の丸からの眺めは素晴らしい。琵琶湖と奥に比叡山。手前の低山は足利将軍が逃げ込んだことで知られる水茎岡山城です。  ◆西の丸に残る石垣。◆西の丸の南側にあるのが出丸。面積の大きい長細い曲輪です。  ◆草木に覆われているのですが出丸も石垣で固められていたことがわかります。◆西の丸から本丸の北側に沿って北の丸へ回り込みます。  ◆本丸北面の石垣も横矢を掛けるための折れを随所に見ることができます。◆本丸の北隅の石垣。  ◆北の丸に到着。◆なんだこれは?後で調べるとどうやら恋人の聖地として売り出そうとして作ったオブジェみたいです。山城に似つかわしくないのと,やや朽ちてきているのが気になります。  ◆北の丸からの眺めも素晴らしい。真正面の高い山が観音寺城のある繖山。その左手前の低い山(色の濃いところ)が安土城のある安土山。近江八幡市はすごいなぁ。日本100名城と続日本100名城がこんな近くに合わせて3城!◆北の丸の石垣。北之庄城に向かう尾根道に入れば見ることができます。  ◆これが城域の北限か。尾根道に残る土橋,堀切。◆いよいよ本丸に向かいます。写真は虎口の櫓台です。  ◆現在,本丸への道は瑞龍寺の参道となっています。◆参道はここで右に屈曲し山門を潜るのですが,この部分が枡形虎口となっています。  ◆山門を潜ると枡形は左に屈曲し曲輪内に侵入していきます。◆本丸に立つ瑞龍寺(村雲御所)は秀次の菩提を弔うため秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公によって京都に建てられましが,1961年に現在地に移設されました。本丸全体が境内となっておりスペースがほとんどありません。  ◆二の丸の様子。◆二の丸には展望台や庭が築かれていました。  ◆下山はロープウェイを使わず尾根に沿って下りていきます。◆下山の途中にもいくつかの削平地があります。ここは大平と呼ばれているようで,見張りの兵を配置したと考えられます。  ◆登山道の途中にあった石も石垣の残欠でしょうか。◆こちらは小平と呼ばれる削平地。  ◆日牟禮八幡宮の横あたりに下りてきました。◆城下町に残る八幡堀も秀次によって整備され外堀の役割を果たし運河としても利用されました。現在でも八幡堀めぐりということで屋形船が運行されています。  ◆風情のある八幡堀は時代劇の撮影などにもよく使われます。◆山麓の八幡公園に豊臣秀次像。八幡公園の案内図。西側の部分に秀次館跡が広がっています。  ◆大手道の左右に曲輪が雛壇状に広がっており,それぞれに屋敷があったと考えられます。◆山麓の居館跡にも山上に負けない立派な石垣が残っています。  ◆西村太郎右衛門,高田義甫(たかだよしなみ)といった近江商人の墓が曲輪の一つにありました。◆中央を直線的に貫く大手道を登っていきます。  ◆最上部近くにある枡形虎口。◆横の竹やぶの中にも石垣が広がります。  ◆秀次館跡の石垣。◆元々,秀次館跡から山上の曲輪に大手道が延びていたようですが現在は崩落により破壊されています。秀吉の後継者とされながら悲劇に見舞われた 関白 豊臣秀次の人物像についてはあまり良い話が残っていません。しかし,切腹させた側の秀吉を正当化するために歴史はある程度捻じ曲げられていると考えるのが妥当であり,この城や城下町を繁栄させた手腕というのは中々のもであったと,現地に行けば感じることができます。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第383回:[近江]八幡山城(羽柴秀次による近江支配拠点)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 滋賀県の城郭
投稿日時 2020-07-27 20:20:04

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