明石城 [3/5] お互い異なる方角を向いた巽櫓と坤櫓へ。の詳細

明石城 [3/5] お互い異なる方角を向いた巽櫓と坤櫓へ。
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記事タイトル 明石城 [3/5] お互い異なる方角を向いた巽櫓と坤櫓へ。
概要

明石城 訪問記 其の三。 [前回までの訪問記 概要]大手枡形虎口から明石城へ。二の丸側から一段あがって両櫓の真下を通り抜けて西曲輪(稲荷曲輪)を経て本丸へ向かった。其の三では両櫓を内側から見ていきます。 訪問時期:2019年12月 / 2020年6月明石城 訪問記 −…… more 其の一、二、三、四、五。 明石城(2013年6月)旧訪問記はコチラ。 <訪問記> 北西の虎口より本丸へ入ろう。ここは「見の門」と呼ばれる。角の割れた石には矢穴が残るものも。右奥の隅部には三層の乾櫓が建っていた場所。乾櫓は廃城時には残っていたが、明治34年に解体。資材は同時に行われた巽櫓・坤櫓の修復に使われたとか。そしてコチラの低く広い石垣の基壇が、天守台。天守台の北側には石段が築かれている。角石の角がビシッと角を付けられていて良い感じ。上には天守は建てられなかった。石段の一番下の右端には、宝篋印塔と思われる整形された石材が転用されている。石段をあがって、天守台の上へ。すぐに上がれます。天守台上 全景。いい景色! 天守台は25mx20mの広さがあり、あの熊本城大天守と同等規模。もし建ってたら白亜の五層天守がここにそびえ立っていた。また明石城天守の築城当時の話として、元和五年に当時豊前39万石の大大名だった細川忠興から小笠原忠真(忠興の三男の正室が忠真の妹)への書状で中津城の天守を譲るという記載がある。実際は明石城に天守は無かったため、資材として流用されたと考えられているとか。天守台の上から見る坤櫓。伏見城からの移築と伝わる。実は東の巽櫓より一回り大きく、当時は天守代用だったとも。坤櫓をアップで。唐破風が切妻造にくっつけられたような構造になっている、複雑な屋根。北側から見る坤櫓。内側はこの通りシンプル。三階の屋根の妻側には赤い格子状の装飾が施してある。真っ白な櫓に朱塗りの格子は、遠くから見ても結構目立つ。もちろん反対側(南側)にもあるので、駅からもバッチリ見える。なんとも優美。天守台を降りて坤櫓へ向かってみよう。朱塗りの格子が目立つ。天守台全景。石垣の真ん中からそこそこ大きな木が生えてしまっている。坤櫓。二層目の唐破風の奥には千鳥破風があるが、こちらは西側と違って破風がある。左右で似たようなデザインながら結構変えているのがポイント。坤櫓前から天守台を見る。手前側が少し不自然に盛り上がっている。何かあったのだろうか。坤櫓。ちなみに隔月で晴れた日には中に入れるのだが、訪問時は閉まっていた。早朝は雨だったので、その時点で閉鎖を決めてしまったのだろうか?入れると思って登ってきたのだが残念。坤櫓と天守台。ちなみに本丸両櫓の間の長い土塀は平成の復元だが、この天守台と坤櫓の間の土塀は昭和33年の写真にも写っていた。では東西両櫓をつなぐ土塀(平成11年復元)に沿って、東の巽櫓へ向かおう。左側に見えている小さな森は「人丸塚」と呼ばれ、明石城がここに建つ前にあった月照寺の時代からある塚で、築城に際し寺は移設されたが塚は鎮護として残され、玉垣で囲まれ人丸社が鎮座していた図も残る。鉄砲狭間から下を覗いてみる。この下の現広場には巨大な屋敷(居屋敷)があった。ここからだとちょっと遠いかも。矢狭間からだともう少し角度をつけて見られる。居屋敷と石垣の間にある細い帯曲輪も見える。明石城といえば、両櫓とそれをつなぐこの長く白い土塀。明治34年の両櫓修理の際に壊されて以来、平成11年の復元まではこの土塀が無かったというのは、今ではちょっと想像できないぐらい馴染んでいる。今は土塀の中央裏手あたりに土台が作られ、高い土塀を越えて明石の街を見下ろすことができる。色んな角度で土塀越しの城下を見下ろしてみる。奥の方には明石大橋もチラッと見える。本丸南東端に建つ現存三層櫓、巽櫓。訪問時は閉鎖中。なお船上城からの移築とも言われる築城時の巽櫓は寛永期に火災で焼失しており、現存しているのは江戸中期の再建。訪問時は2020年6月末の休日。現地にこんな説明板があった。今までは夏場(6−8月)は入れなかったが今年は春がだめだった代わりに夏に開けるようだ。よーく読むと、平日はお昼休みに開けて、休日は「9〜11月だけ」終日開ける、ように読める。つまり6月の土日は空いていない? うーむ。平日に休みをとっていくしか無いか。 >> 明石城 [4/5] へ続く。<< 訪問時期:2019年12月 / 2020年6月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

明石城 [3/5] お互い異なる方角を向いた巽櫓と坤櫓へ。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 日本100名城
投稿日時 2020-07-09 00:40:09

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