第377回:[美作]勝山城(戦国時代 三浦氏累代の城から江戸中期の再建へ)の詳細

第377回:[美作]勝山城(戦国時代 三浦氏累代の城から江戸中期の再建へ)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第377回:[美作]勝山城(戦国時代 三浦氏累代の城から江戸中期の再建へ)
概要

訪問日:2018年4月勝山城は岡山県真庭市にあったお城です。現在は江戸時代の名残の残る城下町として有名な美作勝山の城は市史跡に指定されています。戦国時代は美作西部に勢力を持った三浦氏の本拠地であり,その頃は高田城と呼ばれていました。(現在も城名は勝山城,高田城 どちらも同じくらい…… more の頻度で使われます)関東より地頭として下った三浦貞宗が14世紀後半に築いたとも戦国時代に入り三浦貞連が築いたとも言われますが定かでありません。いずれにしても戦国時代を通じ美作三浦氏の代々の高田城を居城として機能します。三浦氏は周辺の尼子氏,三村氏,毛利氏,宇喜多氏といった大勢力の侵攻に悩まされ,三度にわたり城を奪われながらも,その度に執念で城を取り返して復活するということを繰り返します。この戦いの中で討死した三浦貞勝の妻が美女として知られたお福であり,後に宇喜多直家へ嫁ぎ宇喜多秀家を生むといった逸話はよく知られるところです。勝山付近にはお福ゆかりの地も多いのです。最終的には1575年 毛利氏に抗しきれなくなった三浦貞広は城を明け渡し三浦氏は美作三浦氏は滅亡しました。その後,豊臣政権下では宇喜多秀家,関ケ原の戦いで宇喜多氏が没落すると小早川秀秋,1603年よりは津山藩の森忠政の所領となり重要な支城として機能しましたが、1615年 元和の一国一城令の頃に一旦廃城になったと考えれます。この城の珍しいところは,1764年に三浦明次が勝山藩を立藩したことにより城が再建され復活したことです。西尾城より移ってきた新たな主君はくしくも三浦氏であり戦国時代の三浦氏と遠い祖先を同じくするそうです。この後,明治維新まで三浦氏が治め現在の勝山の城下町へと続いているわけです。  ◆旭川越しに臨む勝山城。如意山に本城,勝山に出丸が築かれています。◆市立図書館の前あたりが近世 勝山城の大手門があった場所となります。現地にあった案内板の一つ。中世山城より引き継がれている山城部分は本丸・二の丸側と出丸側に分かれていることがわかります。さらに本丸の山麓には近世 江戸時代に整備された重臣屋敷跡や藩庁といった三の丸があったことがわかります。  ◆図書館横の駐車場の奥に発掘により整備された三の丸の遺跡があります。◆三の丸では石垣や礎石建物跡などを見ることができます。  ◆これは石段の跡です。◆井戸跡もありました。  ◆三の丸を上方から見ています。石造りで中々の遺構であることがわかります。◆山の中腹までは車で上ることができます。現在,グラウンドになっている場所は上の案内板で二の丸となっている場所で,ベンチの横の表札にも二の丸跡と書かれています。下の本丸を中心とした縄張図で近世の調練場となっており,要するに江戸時代には兵の調練場として使われたということでしょう。  ◆石碑には史跡 城山および太鼓山と書かれています。本丸のある如意山を城山,太鼓櫓があったとされる出丸のある勝山を太鼓山と称しているようです。◆グラウンドを突き抜けて進むと竹の小径という山道が続いており西回りで本丸方面に向かうことができます。  ◆竹の小径の入口の左手に櫓台の案内。実はこの場所に近世の櫓台があったそうですが,わかりにくいです。◆この場所から降りていくと櫓台の石垣を見ることができます。  ◆これは素晴らしい石垣。戦国時代の三浦氏の城は基本的に土造りですので,江戸期に整備されたと考えられますが史料などは出てこないそうです。◆別の角度から櫓台の石垣。  ◆竹の小径を進み西回り本丸に近づくわけですが,南西斜面に残る畝状竪堀。◆縄張図を見ていますと6本の竪堀が残るようですが,写真ではわかりにくいかもしれません。  ◆竹の小径は少し荒れていました。◆西側に広がる小屋の段と呼ばれる曲輪群。西側からの攻撃を防ぐべき築かれ,重臣の牧氏の居館があったと伝わります。  ◆江戸時代には小屋の段に土塀が築かれた記録がありますが,この付近にはそのものと思われる瓦を見ることができます。◆つづら折りで高度を上げていきます。遊歩道の横には小規模な曲輪がいくつかあるのですが整備はされていません。  ◆本丸斜面に残る石積みのようです。◆この窪んだ部分がどうやら本丸虎口のようで,櫓台のような跡も残ります。  ◆本丸虎口を上から見ています。◆この太い土塁が櫓台跡と考えられます。  ◆本丸内部はきれいに整備されています。◆本丸の東側にある曲輪(縄張図にある二丸)です。  ◆二丸より本丸の切岸を見ています。◆二丸,二丸次といった東曲輪群の切岸です。  ◆堀切や竪堀を見ながら東側の尾根を下りていきます。◆これは中でも規模の大きい堀切です。  ◆堀切は竪堀となり下の車道まで続いていることがわかります。◆この辺りが城域の東端になるようです。  ◆車道に出てきました。この車道はグラウンドの二の丸横まで続いていますので,こちらから見て回る人もいるよです。◆車道側から先ほど見てきた竪堀の断面を見ることができます。  ◆車道を二の丸の方へ降りていきますと左手に馬洗場跡がありました。◆次に谷を挟んだところにある出丸の入口までやってきました。昔は本城側から出丸へ谷の道路を渡る橋があったようなのですが,撤去されたのか無くなっていました。出丸部分の縄張図です。車道は鎖がしてあり入れませんでしたので,北側から赤色の線のとおり攻めていきます。  ◆舗装道を少し入ったところから出丸にとりつきました。◆これは出丸の北の尾根を断ち切った規模の大きな堀切です。  ◆出丸の主郭にはテレビの中継局が建っています。◆主郭の一つ下の曲輪にあるカンカン井戸。深さは5m以上あり重要な水の手であったと考えられます。  ◆出丸にも規模の大きい竪堀が数本残っています。◆これは出丸の西端の曲輪です。  ◆下山は舗装道を下りましたが,道からも写真のような堀切・竪堀を見ることができました。◆本城と出城の間の道を東に抜けた場所に江戸時代の東虎口がありました。堀,土橋,番所などがあったそうです。写真でいうと一段下がった民家や畑地は堀があった場所かと思われます。  ◆城下町として有名な勝山に残る勝山町並み保存地区です。◆勝山武家屋敷館として渡辺屋敷が公開されています。上級武士の屋敷として貴重な現存建築物です。地味な美作の戦国史にあって,不屈の精神で戦った三浦氏の名前は歴史に刻まれるべきでしょう。雰囲気の良い勝山の町並みもあり,付近には名湯もあり。セットでいかがでしょうか。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第377回:[美作]勝山城(戦国時代 三浦氏累代の城から江戸中期の再建へ)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 岡山県の城郭
投稿日時 2020-06-12 19:20:02

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