美濃 鶴岡山砦  織田方によって構築されたと伝わる明知城救援の砦の詳細

美濃 鶴岡山砦  織田方によって構築されたと伝わる明知城救援の砦
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記事タイトル 美濃 鶴岡山砦  織田方によって構築されたと伝わる明知城救援の砦
概要

美濃 鶴岡山砦 (岐阜県恵那市明智町大泉・諏訪ヶ根)<明知白鷹城をめぐる織田・武田間での攻防戦の趾・織田方編>・・突然ですが、自分にはちょっとした夢があります。キャンピングカーで寝泊りしながら全国の城々を東に西に訪れたいな、なんていう。まぁ、「妄想」に近いあくまで「夢の話」なので…… more すが。でも今は地元・岐阜県の城々を中心にじっくりと回るのが生きがいです。相棒・ジムニーで林道を駆け上がり訪れる人も少ない(いない)城で一日を過ごす。充分すぎるくらいの贅沢なのかもしれません。今日も気を付けて行ってきま~す!(待っててね~)さて、明知白鷹城をめぐる織田・武田間での攻防戦の趾。前回の武田方・杉野一夜城編に続いて今回は織田方編となります。明知城救援のために織田方によって築かれたと伝わる鶴岡山砦を訪れました。小泉集落からの田んぼ越しに眺める鶴岡山が美しいと思います。鶴岡山は諏訪ヶ根山とも呼ばれています。したがって別名で諏訪ヶ根砦、諏訪ヶ峯陣城、等と呼ばれることもあります。丁度田植えの時期、コンバインと蛙の声があたりを包んでいました。今回は大泉集落から延びる、ふるさと林道野志・吉良見線を利用しました。林道頂上あたり、はためく幟が案内してくれます。おそらく大河ドラマの『麒麟がくる』、光秀効果だと思われます。以前来た時とは格段に整備されて案内板も設置されていました。交通量はほぼゼロなので見通しのよい路肩に駐車していきます。すわがね登山道マップを参考に周辺の見所もチェック。自然と歴史が体感できる山、とあります。満喫するには麓から登るのが正道かもしれません。なだらかな山なのでのんびりトレッキングするのにもってこいな山かと。散策道を上り詰めると砦の主郭部に到達します。織田家の家紋入り幟がたくさんはためいていて壮観でした(バタバタ)。本当に戦場の砦に来たような臨場感。幟はまだ設置して間もない新しい印象をうけました。適度な整備で全体的に見学しやすい様子です。主郭曲輪内部は若干傾斜になっているもののほぼ平らです。頂上の地形が元々ある程度の広がりをもっていたと考えられましょう。この点は杉野一夜城と比較すると陣城としての広大さを感じます。鶴岡山から明知城方面は切り開かれ視界が効きます。これは嬉しい( ^)o(^ )!(杉野一夜城は眺望が得られませんでしたので)砦の東端部に足を進めると明智町の街と城砦群がちゃんと見えます。期待を裏切らない整備に感謝です。双眼鏡を持参すると便利ですね。明知城、仲深山砦、落合砦の位置関係がよく把握できますよ。明知城を南東方向に俯瞰できる位置にあります。距離は約3kmで杉野一夜城のそれと比べるとほぼ同じ距離感に感じます。が、明知城救援の織田軍が消極的であった、ということにはなりません。これ以上の前進は危険だと判断した上での慎重な陣取り位置だと思われます。明知城と武田方の一夜城、両方に睨みを効かせる事ができ、なおかつ仮に有事には神箆城、或いは小里城方面に撤退することができる地となります。 頂上付近には諏訪大明神(写真左)と諏訪明神(写真右)が鎮座しています。主郭部東端部の切岸の様子。主郭部の切岸ラインは南側がまったくの手付かず状態です。しかし東~北~西の北半周ラインは明瞭な切岸ラインが付けられています。全体的に明知城方面に関しては手薄、といった縄張りです。主郭部周囲を取り巻いている犬走り。幅約2メートル弱の犬走りが主郭部の下を等高線に沿ってあります。途中から腰曲輪程度の広さになったtりする連絡道とみられます。この点は杉野一夜城と共通するようで面白い。北西部の切岸と犬走り曲輪の様子。このラインは高さが3メートル以上に揃えられた切岸。谷に沿って美しい曲線を描いています。明知城とは反対側になる方向だけにその意図がカギを握っているよう・・。西尾根を分断する堀。この堀は堀底で上記の犬走り曲輪に続いていきます。堀底にはある程度の空間があり、尾根を絶つという程のものではなさそう。南側は斜面が崩落していますが恐らく竪堀へと繋がったと考えられます。西端の虎口。切岸途中からからスロープを開け虎口としています。主郭部への虎口は他にも2カ所ほど確認できます。どの虎口もスロープ状になっているのが共通していて興味深い。こちらは北の谷にある水源池(小泉川源流地)。切り立った断崖上の北側切岸。鶴岡山砦にて最も顕著に作事をされた部分です。上段の曲輪内には若干の土塁址のような土盛りが確認できます。本命虎口はこの場所であった可能性を示しています。短期間の普請にしてはかなりしっかりした縄張りの鶴岡山砦。天正2年正月下旬、東美濃の明知城が武田氏に囲まれました(前記事参照)。信長は2月5日に自身が岐阜を出立、明知城の北西約20kmの神箆城に着陣します。この後詰め出陣は迅速な対応だったと思われます。しかしここからが問題でした・・。時節は厳寒の山地。その上道は険しく軍勢の動きがままなりません。進みあぐねている間に明知城では守将の一人・遠山友信が武田軍に通じてしまいます。城代として信長から派遣されていた坂井一族も明知城内で悉く誅殺されたようです。明知城救援は完全に失敗、城は武田方に奪われてしまいました。信長は明知・岩村両城を押さえるため神箆城に河尻秀隆を、小里城に池田恒興を入れます。自身は次の手を打つため岐阜に引き上げるより他ありませんでした。現地で考えたメモを記したいと思います。武田氏と織田氏、それぞれの勢力によって構築されたとされる陣城を見ていきました。両陣城ともに伝承や後世文献が元となってるので推定で考察する部分があります。その中でも共通する遺構があることは注目すべきだと思いました。即ち。①両陣城供、主郭内部はほぼ手を加えず傾斜を留めている。②主郭部下の周囲に犬走り状の連絡ルートが取り巻いている。③それぞれの勢力の進軍ルート元方向に堀切を設けている。④曲輪同士の連絡虎口がスロープ状に施されている。⑤当然ながら明知城に向けられた高い山上の位置にある。⑥これは偶然か?両陣の標高が全く同じ!  (杉野一夜城は△733m、鶴岡山砦は△732m、まさかの1m差)⑦集落とはかけ離れた位置に構えられている。⑧明知城までの距離が3km前後という間隔も同じ。別々の勢力によって構築された割には共通点が多いように思います。当時の「陣城」というスペックが詰まった姿を現在に残しているといえましょう。しかしながら両陣城供に決定的な特徴の違いも見いだせないのも確かです。不自然だと思う点を挙げるならば・・。織田方によって作事されたという鶴岡山砦はあまりにも短期間で出来過ぎています。行軍もままならなかったのに果たして可能だったのか・・。万の軍勢をもってすればこの程度の急造砦が普請できる、ということでしょうか?鶴岡山砦の切岸ラインは杉野一夜城のそれと比べてもしっかりしたものです。一方その前に武田氏が構築したとされる杉野一夜城は時間があった割に粗雑です。場合によっては織田方と決戦になることも想定される重要拠点になったハズです。明知方に脅威的圧力を与えられればそれで良かったのでしょうか?武田・織田間にて明知城を巡って睨み合った攻防戦の址。現地で考察してみるともっと複雑ないきさつがあうように感じました。ま、しかしそこはロマンはロマンとし当時に想いを寄せてみたい場所です。㋹は鶴岡山砦、Ⓢは明知白鷹城、Ⓖは杉野一夜城の三角位置関係を指し示します。杉野一夜城と鶴岡山砦との距離は4km弱(一里)といったところでしょうか。 close

美濃 鶴岡山砦  織田方によって構築されたと伝わる明知城救援の砦
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 恵那市の城めぐり
投稿日時 2020-06-12 07:00:02

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