美濃 杉野一夜城  白鷹城に向けられた武田氏による白刃の砦の詳細

美濃 杉野一夜城  白鷹城に向けられた武田氏による白刃の砦
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記事タイトル 美濃 杉野一夜城  白鷹城に向けられた武田氏による白刃の砦
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美濃 杉野一夜城 (岐阜県恵那市明智町杉野・大平山)<明知白鷹城をめぐる織田・武田間での攻防戦の趾・武田方編>久し振りの記事更新になります。久し振りすぎて何を書いていいものか思い浮かんでまいりません。コロナウィルスの影響で城めぐりを一切断念しておりました・・。・・と言わなければい…… more けないところですが・・。実を申しますと、国の解除対策状況を見ながら隣の郡に出掛け城探索しました。しかしながらバツの悪さはありません。世界中の専門家と言われる人や政治家が様々な意見を述べています。でもその第一人者と呼ばれる方の意見がいつも正しい訳ではなさそうです。いや、むしろ間違った意見を述べることも普通にあるでしょう。何を信じ、何を鵜呑みにしないか・・。多くの意見を聞いたうえで総合的に物事を判断していかなくてはいけません。それができなければ今後の世界を上手く生きてゆけなくなりますからね。特に自分・・。城に行けない人生なんて・・。・・さてかなり前置きが長くなりましたこと申し訳ありません。今回は明知白鷹城をめぐる織田・武田間での攻防戦のあとを巡りました。両軍によって築かれたといわれる各々の陣城砦です。まずは明知白鷹城攻めにあたって武田軍が陣を構えたとされる杉野一夜城です。杉野地区から見上げた一夜城のある大平山。大平山という名の通り、麓からみても山頂付近は平らになっていそうです。大軍の駐屯地とするのであればこのような山容で眺望が得られればよいのでしょう。大平山は明知白鷹城を南西約2.5km先に見据えています。一夜城へは安住寺の裏山の林道を利用しました。遠山景行公の墓所がある安住寺の裏山からも直登できそうです。が、自分は林道から地形図を頼りに適当な所から尾根を目指しました。このあたりは勘によるところが大きいのですが、たいがいドンピシャです。尾根沿いピーク手前に現われる堀切が城域への目印です。堀切、といっても規模的には浅く遮断性を重視したものではなさそうです。内部の遺構とは近いながらも連動性がなく単独仕様となっています。これは遮断よりも城域を画す一線的な意味あいがあるのではないでしょうか。主郭部の周囲には狭いながらも曲輪が確認できます。曲輪からは主郭部周囲を武者走りが延びています。後ほどの散策で解ったのですが・・。この犬走りは主郭下部をほぼ一周しています。手元のウォッチ機能では一周約370メートルもありました。主郭部の東側の切岸を観察します。上の写真でみるとかなり掻き揚げられた切岸に感じられます。しかし全周囲がこの様になっている訳ではありません。東端部と西端部の一部のみでみられる以外は実に曖昧なラインになっていきます。主郭部から見下ろす腰曲輪と堀切方面は確かに急峻になっています。主郭部内部は軟傾斜となって端部も曖昧ですが広さは充分。「一夜城」というように視覚的に城郭に見たてることが最優先です。内部は将兵同士が移動連絡でき、万が一の反撃に備えれば充分でしたでしょう。城方に圧力を加えていく拠点となるのが役割でした。最高所には「永久穂神社」が祀られています。明知城方面には3~4段ほどの平坦地を連続させています。曲輪自体も粗雑で曲輪化されていない箇所も見られます。ただ所々に見られる曲輪同士の連絡口(虎口か?)付近は比較的はっきりします。陣城というのは端から端までを整地する必要はない、ということが理解できます。竪堀の起点のようにも見えますが連絡虎口と思われる掘り込みです。南東尾根からは足下に杉野地区と門野地区が望めます。残念ながら木々が濃く明知白鷹城が鮮明に見えるポイントはありませんでした。しかし木々の間から僅かながら明知城の位置ががチラチラと確認できました。城址でのチラリズム。興奮してどうする・・。天正2年正月、明知城を巡っての争奪戦が繰り広げられました。武田家を継いだ若き当主・武田勝頼と迎え撃つ遠山氏と織田信長。先年の上村合戦での勝利と岩村城の奪取の成功で意気揚がる武田軍。杉野一夜城は岩村城から派兵した武田方による築城かと考えられています。武田方の将・秋山伯耆守虎繁がここで戸障子をたて廻し、一見して白壁のように見せかけた、といわれるのが一夜城の由縁です。視覚的効果はこの上ない影響を与えたことでしょう。或いはこの地に武田勝頼自身が出張った、とも伝わります。当時遠山方の城砦群を文字通り「風林火山」の勢いで落としていった勝頼。ここから睨み付けられた明知城方はすくみ上っていたのではないでしょうか・・。この状況に対し織田方も翌月2月1日に先遣隊を明知城救援に派兵します。信長は嫡子・信重(信忠)と共に岐阜を出立します。風前の灯となった明知城にとって織田の援軍こそが唯の頼みとなりました。次回は織田方が陣したといわれる鶴岡山砦を訪れます。南東尾根をさらに進むと石仏と石祠があります。慶長8年に遠山氏はこの一夜城の跡に愛宕神社を勧請し、鬼門除けとして建立しました。当時の名残りが今でもこうして語り継げられているのでしょう。縄張り図面、自分には明知城に突き付けられた大きなナタの刃のように映りました。㋹は遠山景行公夫婦の墓地がある安住寺です。Ⓢは最寄りの林道からのルートを示しました。ここから尾根を西に辿ります。Ⓖは杉野一夜城の主郭部です。永久穂神社が祀られています。 close

美濃 杉野一夜城  白鷹城に向けられた武田氏による白刃の砦
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 恵那市の城めぐり
投稿日時 2020-06-12 06:40:02

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