第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)の詳細

第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)
こにるのお城訪問記
ページの情報
記事タイトル 第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)
概要

訪問日:2018年4月吉田城は愛知県豊橋市にあったお城です。続日本100名城にも選ばれています。背後に豊川を抱いた微高地に築かれたこの城は戦国時代初期の1505年に国人領主である牧野古白(まきのこはく)によって築かれたとされます。戦国時代には今橋城と呼ばれ,東三河を支配する上で重…… more 要な拠点であったため,牧野氏や戸田氏の争奪の場となりました。やがてこれが拡大し駿河・遠江の大大名 今川氏と 西三河の松平氏の争奪の場となっていきます。1529年に勢力を伸ばし戸田氏を制圧して支配下に置いたのは徳川家康の祖父にあたる松平清康でした,ところが1535年に寄与安が家臣により暗殺されてしまいますと今川氏に支配され,三河攻略の重要拠点として機能します。1565年に松平(徳川)家康により奪還されるまではの約30年は今川氏の拠点であったわけですが,家康時代は重臣の酒井忠次がこの城の城代として東三河を統治します。この間に忠次は武田信玄の侵攻に耐え抜く等の働きを見せています。豊臣秀吉時代となり家康が関東に移りますと1590年 池田輝政が15万2千石の大名として入りこの城を近世城郭へと改修していきます。江戸時代に入ってもこの城が重要拠点であったことには変わりなく,三河吉田藩は松平氏の各家,水野氏,小笠原氏,久世氏,牧野氏といった有力な譜代大名が次々と入れ替わり明治維新まで存続しました。  ◆豊川越しに見る遠景。◆城の象徴である復興櫓の鉄櫓(くろがねやぐら)を拡大。現在,吉田城の中心部,三の丸より内側は豊橋公園として整備され市民の憩いの場として開放されており,城の遺構も良く残っている部分です。  ◆豊橋市美術博物館の駐車場に車を置き三の丸に向かいますと,写真の様に土塁の間に道が通っていきます。◆三の丸の土塁の横には川毛口門跡の石柱が建っているのですが,後で縄張図を見ますともう少し北側に門跡がり,この道は後世に付けられた道のようです。  ◆三の丸の外周には東から南の道沿いに掛けてずっと土塁が残っています。◆元々は土塁の外に堀があったはずですので,手前の道路は堀跡ですね。  ◆こちらが表玄関となる三の丸口門跡です。◆三の丸の様子。現在は二の丸との境目が無くなっていますので,非常に広大に見えますが,歩いているうちに二の丸に入っているという感じです。  ◆二の丸口の土塁上にあった着到櫓跡。現在,二の丸の土塁や中堀は消滅していますがポツンと残っています。◆着到櫓跡に登ってみました。集まる城兵の点呼や本丸に向かう敵の側面攻撃を目的としました。  ◆本丸南御多門跡です。橋で内堀を渡り本丸を守った千貫櫓跡の石垣の下を通っていきます。◆内堀は良く残っています。こちらは橋より左手。  ◆橋の右手側の内堀。左の石垣との落差が凄い。◆南御多門跡付近の石垣には刻印が多く残されています。これは▽感じですね。中心部を示した図。本丸には南御多門跡脇の千貫櫓と合わせて辰巳櫓,入道櫓,鉄櫓の四基の櫓が築かれていたことがわかります。  ◆本丸の様子。◆これが本丸南東部の辰巳櫓跡の石垣。  ◆本丸北東部の入道櫓跡。◆そして,この復興櫓が象徴的存在の鉄櫓跡(くろがねやぐら)。最大の櫓であった鉄櫓は天守の役割を果たしたと考えられています。1954年に再建され現在は資料館になっており吉田城に関係する展示を見ることが出来ます。  ◆鉄櫓から見る豊川の流れ。◆本丸には井戸跡もありました。  ◆本丸から北側下にある腰曲輪に下りる北御多門跡です。急な階段で枡形虎口になっています。◆こちらは本丸から東にある金柑丸に抜ける裏御門跡の枡形虎口です。  ◆裏御門跡を抜けると内堀の東側を見ることが出来ます。◆金柑丸は今橋城時代に本丸があった場所と言われています。それ程大きな曲輪では無いのですが,三の丸との間には土塁が残っています。  ◆金柑丸の南側の二の丸に戻りますと二の丸御殿があった場所です。◆本丸の北側にある腰曲輪に下りてきました。すぐ横を豊川が流れています。  ◆腰曲輪にも櫓があったようで,この場所が川手櫓跡です。◆鉄櫓の石垣には池田輝政時代の野面積みの石垣が残されています。  ◆鉄櫓の西側に内堀の突端が顔をのぞかせています。◆川沿いを西に進みますと豊城中学校の下あたりに水門跡が残っています。かわから直接物資を城に運び入れるための水門です。吉田城には近世 江戸時代の間に惣構えが整備されていきました。少し町中に残る惣構えの名残を探索してみましょう。  ◆何の変哲もありませんが明治時代まではこの辺りに大手門がありました。その場所を示す標柱のみです。◆ここは曲尺手口門跡(かねんてぐちもん)があった場所です。  ◆東惣門跡には小さな門が復元されていました。当時は番所,勝手,駒寄せ場等があったそうです。◆東惣門跡の交差点の対角線上にあった常夜燈。2001年に復元されたものですが,元々この場所に1805年に立てられた大燈篭が吉田名物であったそうです。戦国時代の東三河の複雑な勢力争いを理解するには避けて通れないお城です。公園整備され見やすく遺構も残っているので是非にも。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 愛知県の城郭
投稿日時 2020-05-25 02:40:02

「第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;