第230回:志布志城(島津氏の前線基地として機能した)の詳細

第230回:志布志城(島津氏の前線基地として機能した)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第230回:志布志城(島津氏の前線基地として機能した)
概要

訪問日:2016年2月志布志城(しぶしじょう)は鹿児島県志布志市にあったお城です。南九州特有の縄張りを残し,国史跡に指定されています。築城時期は不明ですが南北朝時代には既に城郭として機能していました。大隅国の中でも主力城郭の志布志城は数多くの戦乱に巻き込まれ,数多くの城主交代があ…… more りました。南北朝時代の楡井氏(にれいし)、畠山氏に代わって,14世紀後半からは新納氏(にいろし)が城主となり,日向の伊東氏に対する前線基地の一つとして機能しました。16世紀後半には大隅国の戦国大名である肝付氏(きもつきし)の城となりましたが,肝付氏が島津氏に降ると1577年 島津氏家臣の鎌田政近が城主となりました。その後,1615年 一国一城令で廃城になるまで島津氏の外城(とじょう)として重要拠点であり続けました。志布志城は内城,松尾城,高城,新城の4つの城郭の総称で国史跡にしていされています。特に内城と松尾城は規模も大きく整備もされ残された遺構を良く見ることができますが,高城は完全に未整備でどこから侵入してよいかもわからず,新城は志布志中学校が建設され大きく改変されしまっています。  【左】まずは志布志城を構成する四城郭の内,最大規模である内城を見て行きましょう。【右】志布志市埋蔵文化財センターにあった航空写真ですが,内城の規模が大きいことがわかります。散策コースマップが各所にに設置されていますので,迷うことはありません。今回は大手口から矢倉場を経由して東側を北上。北側の大野久尾から戻ってくる形で見て行きます。  【左】内城の大手口です。志布志城には五つの主要な入口があるそうですが,ここがメインの入口となります。前日の悪天候で折れた木が道を塞いでいます。【右】大手口を入りますと切通しのような堀底道。まずは手前の矢倉場を目指しますが,詳細の縄張図が所々に設置されていました。南九州型城郭と呼ばれる南九州特有のシラス台地の曲輪の間を空堀で深く切り込んだ縄張の中でも志布志城は代表格です。  【左】南端にある矢倉場。縄張図では曲輪1となっています。弓矢などを収める倉庫のことされ,建物の柱穴が発掘されています。【右】東辺には櫓台があることから,防御施設もあったと推測されます、  【左】城主であった新納時久(にいろときひさ)の墓。明治時代に矢倉場に建てられた供養塔です。【右】城域の東側を尾根の平行方向に伸びる空堀です。深さが凄い。  【左】先の縄張図にある曲輪10の様子。土塁を確認することが出来ます。【右】曲輪10から搦手口(裏門)へ抜ける虎口。  【左】搦手口から中心部に向かうとこのような急に削り込まれた空堀を通ります。【右】元に戻り,東側の空堀を一気に北上します。  【左】大野久尾(おおのくび)と中野久尾(なかのくび)の間にある空堀に到着。【右】農道となり破壊された入口を上がると大野久尾の上段です。かなりの面積を有しています。  【左】大野久尾の下段はそれ程整備されていませんが,虎口も確認することが出来ます。【右】折り返して城域の西側を走る空堀を南下します。この空堀も凄い。  【左】北側の中野久尾(なかのくび) 上段の虎口を上から見ています。矢印のように屈曲しながら侵入する枡形構造です。【右】中野久尾上段の土塁。   【左】北側の中野久尾の下段でも土塁を確認することできます【右】下段の虎口もやはり屈曲しながら侵入します。  【左】南側の中野久尾と本丸の間の空堀です。【右】南側あの中野久尾の虎口も北側と同様の形状であることがわかります。  【左】南側の中野久尾でも土塁を確認することが出来ます。このように屈曲した枡形虎口,土塁の築かれた曲輪を空堀で切っていくというのがこの城のパターンのようです。【右】こちらは本丸虎口。やはり枡形構造です。  【左】本丸の様子。【右】本丸には立派な土塁が築かれています。  【左】本丸土塁の上に築かれた三宝荒神。【右】本丸下段も土塁で囲われています。  【左】本丸の南側の空堀。【右】本丸の南東側にある曲輪(縄張図では曲輪2)の土塁。  【左】次に松尾城へ向かいます。【右】ここが松尾城の入口です。松尾城は良い案内板が無かったので,内城にあった案内板にあった図を載せます。結論から言うと左側から登って,手前のピークである曲輪の背後にある大堀切を越えて進むことはできませんでした。  【左】ここを山側に進むと中心部に入ります。道の方を進むと廃屋のある曲輪です。【右】まずは中心部に向かうのですが,いきなり強烈な切通し。  【左】横堀のような地形を進みます。【右】登城道は一気に登ります。  【左】虎口の脇にあった石積み。【右】ここが手前のピークの曲輪で整備されています。  【左】志布志城草創期の城主である楡井頼仲(にれいよりなか)の石碑があります。【右】祠の背後には土塁。  【左】土塁の背後(北側)は攻略の不可能な大堀切が。。。ここで引き返しました。【右】入口付近に戻って,北側に進むとある空堀はシラス台地を豪快に削っています。 進むと到着するのが廃屋のある曲輪。凄い荒れ様です。矢印の方向に先程の大堀切へのアクセス路があって,その背後の曲輪群に進めたと推測するのですが,これではどうしようもありません。  【左】麓から見る高城の遠景。こちらは本丸部。全く整備されていないようで進入できそうにありません。【右】この市道は高城の本丸(左)と二ノ丸(右)の間を抜けていきます。元の堀切であった可能性もありますね。  【左】この奥の緑の部分が高城の二の丸です。【右】新城は志布志中学校になってしまっており,立入り困難です。  【左】山麓には武家屋敷や江戸時代の庭園が残されています。これは平山氏庭園。江戸初期の寺院庭園です。【右】こちらは天水氏庭園(あまみずしていえん)。江戸中期の築山枯山水の庭園です。  【左】市内にある志布志市埋蔵文化財センター。【右】ここで志布志城関連の資料を入手することができます。写真は内城の復元模型。大隅と日向の間に位置し,多くの戦乱に晒され城主が入れ替わりながら,最終的には島津氏の伊東氏に対する前線基地の役割を果たした重要拠点です。シラス台地を豪快に削った空堀は一見の価値有りです。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第230回:志布志城(島津氏の前線基地として機能した)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 鹿児島県の城郭
投稿日時 2017-03-29 20:00:01

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