第371回:赤穂城(赤穂浪士の故郷として知られる名城)の詳細

第371回:赤穂城(赤穂浪士の故郷として知られる名城)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第371回:赤穂城(赤穂浪士の故郷として知られる名城)
概要

訪問日:2018年1月赤穂城(あこうじょう)は兵庫県赤穂市にあったお城です。国史跡に指定され,日本100名城に選定されています。15世紀の後半この場所には加里屋城と呼ばれる城があったようですが,1600年に播磨を与えられた池田輝政の弟である池田長正が赤穂に入り代を拡大し掻上城を築…… more きました。現在の赤穂城は1645年にこの地に入った浅野長直が築城し巨大近世城郭へと生まれかわり1661年に完成しました。甲州流軍学者であった近藤正純や山鹿素行が縄張りに関わったことで,縄張りに甲州流軍学の特徴を残すことでも知られます。また,赤穂城を有名にしたのは1701年に発生した浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた刃傷沙汰。さらに翌1702年 いわゆる忠臣蔵として知られる赤穂浪士の討ち入り事件でしょう。浅野氏の後は永井氏,森氏と城主は交代し明治維新まで続きますが,森氏時代にもお家騒動で家老が暗殺されるという事件が発生しています。  ◆赤穂城のそばにある赤穂市立歴史博物館には城や城下町についての情報を得ることができ駐車場も整備されています。◆博物館のすぐそばにあるのが清水門跡と二之丸の東北隅櫓台。(下案内板の⑥)少し大きいですが現地の案内板です。(上が北方向)右中ほどの資料館より北側の大手門に向かい,そこから内部を見ていきます。  ◆三之丸の東隅櫓跡で,個人的には非常に気に入っている構図です。現地案内板(⑦)によると二重櫓があったと書かれているのですが,公式WEBサイトによると横矢枡形とあります。どちらかわからないのですが,横矢枡形とは櫓台状ではあるが櫓は無く土塀のみで横矢攻撃の起点とした場所です。◆城跡の正面玄関となる大手隅櫓と大手門です。現在も赤穂城の象徴の一つであるこれらは明治時代に失われた建物を子写真に基づき1955年に復元したものです。  ◆大手門に向かいます。内枡形虎口の厳重な守りになっています。◆大手の内枡形を屈曲しながら抜け,内部から見ています。  ◆大手門を抜けて左手に見えてくるのが近藤源八宅跡長屋門。江戸時代から残る貴重な建築物で市指定有形文化財となっています。主の近藤源八正憲(こんどうげんはりまさのり)は甲州流軍学を修め,父は赤穂城の縄張りを行った近藤正純です。◆近藤源八宅跡にある赤穂藩上水道の汲出井戸。地下に整備された上水道より水をくみ上げた井戸が残っています。この近辺の水は海水が混じるため7km上流の千種川より上水を引くという大が掛かりなものです。  ◆近藤源八宅跡の向かい側にある大石邸長屋門。忠臣蔵で有名な筆頭家老 大石内蔵助が住んでいました。屋敷跡は大正時代に国史跡に指定され,建物は消失しましたが,表門の長屋門が現存しています。主君 浅野内匠頭の刃傷沙汰を知らせもこの門にもたらされました。◆大石内蔵助の屋敷があった場所は現在 赤穂大石神社となっています。元の藩主である浅野家,森家や赤穂浪士を祀っています。  ◆大石神社にあった舟石です。元々,浅野家の大坂藩屋敷の庭にあったものだそうです。◆三之丸の様子。当時は武家屋敷等が並んでいました。現在は一部武家屋敷公園が整備されていますが,残りは広い敷地が残っているままです。これから色々整備されていきそうな雰囲気ですね。  ◆三之丸の西側に開く塩屋門跡の枡形です。この門は搦手門として整備されました。◆二之丸に向かいます。二之丸の北櫓台跡と折れの続く石垣,手前に水堀が見えてきました。  ◆二之丸門跡です。現在では枡形構造は失われていますが,この二之丸虎口付近は名軍学者の山鹿素行による知恵と技術が生かされていたそうです。◆赤穂城の縄張りへの貢献があったとされる山鹿素行銅像。兵法にも通じ古学の祖と言われる素行は教科書にも出てくる有名人ですが朱子学を批判した罪で赤穂藩預かりとなっていました。忠臣蔵で山鹿流陣太鼓を叩く大石内蔵助の映像といえば年末の定番でした。(最近はあんまりやってませんな)  ◆二之丸に復元された大石頼母助屋敷門。頼母助良重は大石内蔵助良雄の大叔父で家老職にあった人物です。◆復元整備中の二之丸庭園は国名勝にも指定されています。  ◆本丸を囲む内堀です。◆復元された本丸門です。  ◆本丸門は内枡形虎口となっており,手前には高麗門,奥には櫓門が供えられ厳重な守りとなっています。◆本丸内部の様子です。  ◆本丸に残る天守台。結局天守は建てられなかったそうですが,高さ,大きさ,石垣技術の高さなど一際存在感を放っています。◆天守台から見る本丸庭園。国名勝に指定され整備が進んでいます。  ◆本丸御殿跡は平面展示でわかりやすく示されています。◆本丸の東側に開く厩口門。森氏時代は台所門と呼ばれていました。廃城後は赤穂高等学校の通用門になっていたそうですが,発掘調査により判明した高麗門が復元されています。  ◆厩口門から出て本丸の東側に沿って二之丸を進みます。◆本丸の南側まで回り込みますと刎橋門跡(はねばしもん)があります。当時は木橋になっており,本丸を攻められた場合はこの橋をより脱出,橋を落として海側の水手口から非難するという軍略に基づいた縄張りになっています。  ◆本丸の南端にある横矢枡形。この部分には櫓が建てられず土塀で囲んだ中より城兵が横矢掛け,応射する仕組みでした。◆本丸西側の石垣の屏風折れです。このように多くの横矢掛けが存在しています。  ◆花見広場として整備された二之丸の南側部分。◆城の南側部には発掘調査で判明した米蔵が復元され休憩所として利用できます。  ◆米蔵休憩所の前に残る水路跡。◆城の南端に残る水手門跡。当時は海に面していたため舟に乗れるように波よけや雁木が残っています。  ◆水手門跡付近に残る曲線状の石垣。日本の城では珍しい構造で甲州流軍学の特徴を表している部分の一つです。◆城の東側に広がる舟入跡。この辺りは海の中であったということです。  ◆赤穂城の所縁の地を探索すべく町中を歩いていると中州惣門跡の石碑がありました。城下町にも惣門が設けられていたようですね。◆この息継ぎ井戸は浅野内匠頭の刃傷沙汰の第一報を告げる急使が一息ついた場所と伝わります。  ◆城下にある花岳寺(かがくじ)は歴代藩主の菩提寺となっていますが,山門は赤穂城西惣門の移築とされ市指定有形文化財となっています。◆花岳寺には浅野氏三代,森氏,赤穂義士四十七人の墓碑があります。赤穂浪士で有名な赤穂城も明治以降は学校施設などで利用されていましたが,最近は随分と整備が進んできており見学しやすくなっています。甲州流軍学の技術を生かした縄張りを堪能してみては如何でしょうか。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第371回:赤穂城(赤穂浪士の故郷として知られる名城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 兵庫県の城郭
投稿日時 2020-05-02 01:00:02

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